1938年11月28日
ベルリンから東京へ向けて
4発長距離旅客機が飛び立ちました
Focke-Wulf Fw 200 Condor
(フォッケウルフ Fw200 コンドル)
戦前のエアライナーの中でも特に美しい飛行機で、
悲運の名機でもあります。
フォッケウルフ Fw200 コンドルは1937年に初飛行を行なったドイツの
4発長距離長距離旅客機、720hpのBMW132Gエンジンを4基搭載し
26席の座席を持備えていました。
設計者のクルト・タンクはのちに高性能な戦闘機 Ta 152を世に送り出す人物です。
Fw200 コンドル超長距離の飛行性能は、1938年8月10日に
ルフトハンザによってベルリン~ニューヨーク間5,150kmを所要時間24時間36分で
無着陸飛行を行なう事により実証され、同年11月28日に東京への長距離飛行が
試みられました。
ベルリン→バスラ→カラチ→ハノイの3か所で給油を行い
およそ48時間かかって11月30日東京へ到着
実飛行時間は42時間18分という高速記録を達成
この画期的な飛行能力によって、Fw200 コンドルはヨーロッパ諸国はもとより、
日本等、世界各国からも注文を受け、ルフトハンザは満州航空との
協力の元、ドイツと満州国を無着陸で結ぶ航路を計画しますが、日中戦争
の激化と1939年第二次世界大戦の勃発により旅客機としての
活躍場は失われてしまいます。ルフトハンザ航空の
定期航路として就航したのはわずか5機
もし戦争がなければ、Fw200コンドルはドイツ航空技術の実力を発揮して、
ルフトハンザを初め、世界主要エアラインの長距離用旅客機として
世界中を席巻し旅客機の代名詞となっていたのかもしれません。
試作3号機は、ヒトラーの専用機とされ、残りの生産は軍用機へ転用
1939年11月より実戦に投入ます。主に船舶攻撃や長距離哨戒
に使用され連合国からは「大西洋の疫病神(Scourge of the Atlantic)」と
あだ名され目の敵の存在となりますが、ベースが民間輸送機であったために、
機体構造が戦闘時の厳しい操縦に耐え切れず機体が破壊されて墜落したり、
着陸時に胴体が折れてしまうといった事故も多発、消耗が激しく次第に
第一線からは退くことになります。戦時下の為大型機の生産は難しく
生産終了の1944年までに作られたのは276機でした。
ルフトハンザ航空が、東京へ乗り入れを行なったのは1961年1月23日
それは、1938年Fw200コンドル長距離機が東京への試験飛行をして以来
のルフトハンザ航空の夢の実現だったのかもしれません。
Posted at 2011/11/28 23:39:47 | |
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