スカイラインは昨年で発売55周年。
記念限定車55th Limitedも555台限定で発売中。
歴史と伝統のある車名に満足感を感じられるのもスカイラインの良いところですね。
ところでスカイラインの歴史を雑誌やネットで調べていてひとつ気になることがありました。
それはスカイラインの名付け親についてです。
群馬県吾妻郡草津町にある芳ヶ平ヒュッテには櫻井眞一郎氏の筆による
「スカイライン命名の地」の記念碑があるそうです。
その記念碑についてスカイラインのファンやオーナーの集まるHP、nissan-skyline.jpの記事では
次のように書かれています。
〈記事の内容〉
スカイライン生誕50周年の1年前の2006年、ある雑誌の取材で櫻井眞一郎さんが語った言葉。
昭和三十年の三月に志賀高原にスキーに行く。
横手山から草津に下りる途中、芳ヶ平がありそこに小さな山小屋あり、そこで見た山並みが
黒に近い青空に銀色の尾根が輝いていて、とてつもなく綺麗だったと櫻井氏の印象に残る。
そこ山小屋の主人が、あれをスカイラインというんだと教えてくれたと櫻井氏が五十年前の
記憶を語ったとのこと。
それまで、具体的な地名は明らかになっていなかったが、スカイライン生誕50年を翌年に控えた
2006年春、この櫻井氏の言葉で明らかになった。
そこで、有志の方々がスカイライン生誕50周年の2007年に、この「芳ヶ平」の地にスカイラインの
記念碑を建てたとの内容の記事。
櫻井氏は芳ヶ平で聞いたスカイラインという名前を開発中の車の車名に相応しいと考え社内公募に
応募したことからスカイラインという車名の歴史が始まった。
とてもロマンチックなストーリーで、興味深い内容です。
そして櫻井氏がスカイラインの名付け親であるということは一般的にも知られていますよね。
ところが最近発売されたムック本、GT-Q 愛と悲運のスカイライン 交通タイムス社刊の
「プリンス神話の事実」 板谷熊太郎氏が書いた記事の内容では
スカイライン名付け親についての公式見解と事実は違う。公式見解はスカイラインの語り部としての
役を担った櫻井氏が名付け親だが、事実は当時のプリンスの社長の團伊能氏。
1955年当時まだ入社4年目の若輩であった櫻井氏が名付け親になるなどということは、
当時の企業文化ではまずありえない。
セールスキャンペーンでスカイラインの顔として選ばれた櫻井氏が、キャンペーンの一環として
名付け親であると事実ではないことをやむなく語った。
という趣旨のことが書いてあります。
板谷氏のプロフィールは良く分かりませんが日産の社員だった方のようです。
芳ヶ平のスカイライン命名の地の記念碑にはファンやオーナーさんが訪れているそうです。
私も機会があったら行ってみたいと思っていましたが・・・
実は櫻井氏は名付け親ではなく、「芳ヶ平」のストーリーも事実ではないとすると・・・
長い歴史があるとこんな謎も生まれてきちゃうんですね。
私はやはり櫻井氏の命名という公式見解の方がロマンがあっていいなぁと思ってしまいます。
Posted at 2012/01/15 09:54:53 | |
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