コッパ デ トーキョー。
美しいクルマたち。
時の洗礼を受け、生き永らえてきたクルマたち。
プレス機で打ち抜かれたのではなく、職人達が手作業で丁寧に叩き出したカタチ。
目で見て、その曲面を手で触り、カタチを整えていく。
愛でるように何度も何度も。
そのようにして作り出されたクルマは工業製品であるとともに、工芸品でもある。
その美しい色と形が織りなす輝き。
当時と変わらぬ輝きを纏った自動車が、現在まで生き永らえているという事実。
現役で走り続けることによって得た存在感、オーラが、見る者の心を強く刺激する。
生まれてから50年以上経ったクルマが今現在もガソリンと空気を混合し、圧縮させ、火花を散らして走る。
そのリアルな燃焼。
圧縮された混合気を爆発させて得る動力を自分の右足でコントロールしながら走る。
ドライバーと息を合わせながら。
まるで会話をするかのように。
内燃機関を動力とする自動車は、モーターで走るそれとはやはり趣きを異にする。
時代の流れはどうやら電気で動くモーターのようだ。
踏み込んだ瞬間に最大トルクを発生する電気自動車を否定するつもりはない。
また同じようなことをここに書いてしまうけれど。
ガソリンを燃やして走るクルマを愛でるのはもはやノスタルジックな行為なのだろうか。
我々人間と同じように空気を吸って二酸化炭素を排出し、ピストンの上下運動をクランクを通して回転運動に換え、まるで意思を持って前へ進もうとするもの。
その振動はガソリンエンジンが我々生命体により近いものであるかのように感じさせ、我々が電気モーターよりシンパシーを感じるのは自然なことだ。
さらにそれがキャブレター仕様であれば、より人間の感覚・感情に寄り添ってくるのは間違いない。
それは現代のクルマたちと比べ、さらに生物に近い。
キャブの咆哮に感情移入し、
荒々しい排気音に心を乱される。
そのようなものにわたしは乗りたい。
Posted at 2017/11/24 17:53:40 | |
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