1週間前のF1ブリティッシュGP、レース結果その他はともかくとして、僕にとってショッキングだったのは、サーキットの施設の老朽化を理由に、シルヴァーストーンでのF1レースが今回で最後になるというニュースでした。
なぜならシルヴァーストーンは、僕が初めて訪れた外国のサーキットであり、僕が初めてF1GPレースなるものを観戦した場所でもあるからです。
時は1975年7月、羽田から一人でパキスタン航空機に乗って37時間(!)のフライトの末ロンドン、ヒースロー空港に到着、ロンドンに1泊して当時のBLからトライアンフ・ドロマイト・スプリントなる当代随一の英国製2リッター級スポーツサルーンの広報車を借り出し、ブリティッシュGPを取材するべくシルヴァーストーンを目指したのです。
当時編集記者をやっていた『CAR GRAPHIC』誌からたった一人で4週間にわたって送り出されたそのヨーロッパ出張、僕にとって初の海外取材であり、吉田 匠、弱冠28歳のときのことでした。
その1975年F1ブリティッシュGPは、ニキ・ラウダ、クレイ・レガッツォーニ、ジェイムス・ハント、マリオ・アンドレッティ、ロニー・ペテルソンetc、etcと役者の揃ったレースで、日本からのバックヤードビルダー的プライベートチーム、マキF1が鮒子田寛選手のドライビングで予選に挑んで玉砕したレースでもあったんですが、レース当日のシルヴァーストーンは晴れと豪雨が目まぐるしく繰り返されるイングリッシュウェザーに見舞われて、最後は赤旗中断でレース終了、結果としてエマーソン・フィッティパルディが勝者になるという、なにやらスッキリしない展開に終始したのでした。
(ところで皆さん、上に名前をあげた70年代のF1ドライバー、知ってますか?)
そんなわけでレース結果はともかく、かつての飛行場跡につくられたサーキットだけあって、すこぶる広大にしてフラットであるところがシルヴァーストーンの魅力だと初めてそこを訪れた僕は実感したのですが、と同時にコースの大半の部分がガードレールから大きく離れているために、モナコGPとは正反対にドライバーはストレスなくスロットルを踏み込めるのではないかと想像できたのでした。
そうしたらそれから20年ほど後、90年代の半ばに、そこを走るチャンスに恵まれたんですね。
某自動車誌の取材でケイターハム本社で借りたスーパーセヴンを駆って日曜日のシルヴァーストーン、別名 “The Home of British Motor Racing” に立ち寄ったとき、そこで開かれていたクラブマンレースのオーガナイザーにダメモトでお願いしてみたら、なんと先導車つきで当方の駆るスーパーセヴンをクラブコースで1周させてくれたのでありますよ。
異国から突然やってきた同好の士にかくもウォームに接してくれた、 “ブリティッシュ・モーターレーシングの故郷” とそこに集うクルマ好きの人々の心の広さと暖かさに深く感激したのを、今も決して忘れることはできません。
F1ブリティッシュGPに使われなくなるだけで、シルヴァーストーンサーキットがなくなってしまうわけではありませんが、そのニュースを知ってスポーツカー親爺がなにやら寂しい気持ちになったのは、そういう理由からでありました。
Posted at 2009/06/30 15:30:13 | |
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