12
その一方的な暴力は一瞬でもあり、終わりのない永い時間のようでもあった。息を切らすどころではない。息を吸うのも忘れる程、上場見は鉄パイプを振り続けていた。
「ひゅう、ひゅう、ひゅう」
乱れた呼吸音がおかしい。それから、血が付き曲がった鉄パイプを、自分の後方へ無造作に放り投げた。乾いた音が2度3度と響き転がった。
上場見の手が震えていた。冷汗をかき、顔貌も唇も血色が悪い。完全に酸欠状態であった。しかし何を思ったのか、口元には笑みが漏れる。それからおもむろに、N-3の内ポケットから小さな針の付いた、2㎝四方のチューブを取り出し、首筋に打ち注入。 その途端、顔貌には血色が戻り、呼吸までもが落ち着いてきた。
「ハァ~これでスッキリしたぜぇ~」
グッタリと倒れている成海を満足げに眺め、それから左手のみで引き起こし、壁に押し付け、右手で成海の乳房を鷲掴みにし、力任せに揉みだした。
頭部からは血を流し、苦悶の表情の成海。
「げひゃひゃひゃ!このクソアマがぁー ! 少しは女らしい声でも出してみろやー !! 」
「うっ…くっ…」
それから上場見は、雑巾でも捨てるかのように、路上へ成海を放り投げる。
「今日テメェ等がここに来るのは調べがついてたぜぇ~。下村のクソも始末できたし、今日はツイてんなぁ~ひっひっひっ」
下卑た薄笑いを浮かべる上場見。
「テメエの事も、しっかり調べさせて貰ったぜぇ~このクソアマァ~」
成海の頭を踏みつける上場見。
「ヤサも分かったしよぉ~。あのメガネっ娘は妹なんだってなぁ~ひっひっひ。お次はあの美味そうな妹を、たぁ~ぷり可愛がってやってから、俺ぁトンズラする事にするぜぇ」
ヘラヘラと笑いながら踵を返し、その場を立ち去ろうとする上場見。
「ひーひっひっひ」
だが、その後ろで、傷だらけの成海が音もなくユラリと立ち上がった。
上場見は完全に油断していた。それは想定外の出来事であった。 『 ジャリッ 』 靴音に反応し、後ろに振り向いた瞬間だった。 成海の鋭い回転と全体重を乗せた浴びせ蹴りが、斜め上から鋭く落ちてきて、オフブーツの右踵が上場見の右頬に深々とめり込んだ。
「アッ×▽+ガッ*>=―― !? 」
声にならない呻き。グラつきながらも数歩後ずさり、なんとか倒れず踏み留まった上場見であったが。その顔貌は血の気が引き、頬が大きく陥没してしまっていた。
血走った目を大きく見開く。
「カアァーー ! 」
そしてまた、さっきのチューブを取りだし首筋に打つ。
そんな成海もアドレナリンが痛みを掻き消していた。満身創痍であるものの、ここで倒れられない理由が出来た。全身全霊、腹の底から叫ぶように吠えた。
「ふざけんなぁぁぁーーー!絶対に行かせるかー !! 」
『七菜香の元へは絶対に行かせない !! 』 暗い闇へ意識が落ちて行きそうなところであったが、奇しくも先程の上場見の一言で、アドレナリンが脈を打ち、一気に覚醒したのだ。
「げひゃひゃひゃひゃ」
上場見は再び鉄パイプを拾い、大きく振りかぶり、成海めがけて振り下ろした。
『クソッこれ以上体が動かない!殺られる !! 』
鉄パイプが迫る。絶体絶命であった。覚醒したものの、身体に残るダメージまでは掻き消せなかった。ガードを固め目を瞑る成海。
夜空にニブイ音が鳴り響く。頭頂部で十字受けの構えを取っている成海の姿。しかし鉄パイプは身体のどこにも触れていなかった。
恐る恐る目を開けた。一瞬何が何だか分からなかったが、それは束の間、すぐに理解した。目の前にあったのはデスペラードジャケットの背中だった。下村が上場見の鉄パイプを受け止めていた。
「成海っ ! しっかりしろ !! 」
「下村さん !? 」
しかし、急に下村が後ずさり、吐き捨てるような嗚咽が漏れた。
「がっ…くそっ…」
そのまま後ろへ倒れこんでくる下村の体を、成海は受け止めた。
「あっ !? 」
成海の瞳が大きく見開かれた。
信じられない光景だった。 『まさかこんな !? 』
そのまさかは、下村の腹部に大型のコンバットナイフが刺さっていたのだ。
凶悪な蛇顔で高笑いする上場見。
「げひゃひゃひゃひゃ~~。いい加減くたばれ下村ぁ~」
ナイフの柄尻が蹴飛ばされた。
そのナイフは下村の体を貫通し、傷口からは激しく血が噴き出て、成海を真っ赤に染め上げた。
「… ~ !! …」
ナイフを抑え、無言の慟哭を放つ下村。
「うそ、うそ !! なにこれ ? なんなの !? 」
成海もナイフに手を伸ばした。
成海の左頬に血まみれの右手を伸ばす下村。
「なる…み」
刹那、その手が力なく崩れ落ちた。反射的に落ちた手を握る成海。
「うそ ! うそ ! やだ、やだよぉ !! 」
下村を抱きかかえ叫び声を上げた。
「いやあああーーー ! 」
必至に傷口を抑えても、出血が止まらなかった。 だがそこへ、無情にも上場見の右脚が顔面に飛んできて、成海は蹴り倒されてしまう。 またもや生温かいアスファルトへ投げ出されるように倒れた。
凶悪な蛇顔で高笑いする上場見。
「げひゃひゃひゃひゃひゃ !! ようやく女らしい声で哭きやがったなぁ~~ !! げひゃひゃひゃひゃひゃ !! 」
成海は、血まみれの状態で涙を流しながら路上を這った。
「やだ…やだよぉ…下村さん…」
その這いずった先には、下村のバイクZ1000MkⅡが倒れていた。アクセルに手を掛ける成海。
そこへ上場見が歩み寄ってきて立ち止まる。上場見を見上げる成海。
またもやヘラヘラと笑っていた。
「ひっひっひ。下村のバイクで逃げようってか?」
上場見は、おもむろに鉄パイプを振り上げた。
「テメエもいい加減死ねや。ひっひっ」
が、成海の眼は死んではいなかった。凛と厳しい表情で上場見を睨みつけた。
「チクショー ! ふざけんなぁぁーー !! 」
セルボタンを押し、アクセルを全開にした。Z1000MkⅡは一瞬で目覚めた。KERKER KR管サイレンサーから獣の咆哮にも似たエキゾーストノートが吐き出される。 リヤタイヤが回転し路面を滑った。 次の瞬間、ジェネレーターカバーが路面を削り、バイクが立ちあがった。 それは羆が獲物に襲い掛かる様にも似ていた。
立ちあがったバイクのフロントタイヤが、上場見の顔面に直撃する。
足掻らいようのない衝撃は、脳髄にまで嫌な音が響いた。自分の中で何かが壊れる音だった。それで終わりであった。上場見は倒れたままピクリとも動かなくなった。
その様子を見届けた成海は、最後の力を振り絞り、再び倒れている下村の方向へ這い出した。
「くっ…くっ…下村さん…」
何度も意識が遠退きそうになりながら、ようやく下村の手を握った瞬間、今度こそ成海は完全に力尽き、気絶してしまった。
そこには、血まみれで倒れている3人がいた。
遠くにパトカーのサイレン音が聞こえてきた。
13
あれから一ヶ月後。ペンション輪道に成海の姿があった。少し片足を引きずりながら歩く彼女の顔には、まだ痣が残っている。
ペンション入口から出て来た成海は、ガレージに向かった。まだ傷の癒えていない身体に、オーバースライドドアは少々キツかったが、なんとか開けた。
「っしょ…と…」
ガレージの中にはすっかり修理されたKX500があった。以前より小型化された3眼ライトが気高く輝いて見えた。
そこで成海は今回の事件を思い返していた。
『病院のベッドの上で、包帯だらけのアタシは、2人の私服警官から事情聴取を受けた。このとき信じられない事実を聞かされた』
新しくなった3眼ライトを指先で “すっ“ と撫でた後、拳を握り固めた。そして凛々しい顔で唇を固く結ぶ。
『下村さんは殺害され、犯人の上場見はZ1000MkⅡと共に姿を消した…。そう下村さんのバイクでいまだ逃走を続けている』 急に悔し涙が頬を伝った。
オーバーオールのポケットからSANTANAのワッペン取り出し見つめる。
『アイツは絶対に許さない ! 』 悔しさが歯ぎしりと共に溢れ出す。
KX500のアクセルに右手を置いた。
「下村さん…」
“ すっ ” と軽い動きでKX500に跨り、キーを捻る。それから軽くキックを踏み下ろし、上死点を探した。カシャカシャとメカニカルな音が静かに響く。
『必ずアナタの仇を討ちます!そしてアタシ達を繋ぐライン (Z1000MkⅡ) をリカバリー(取戻す) する !! 』
“ガシュッ” 一気に勢いよくキックを踏み下ろされた。2ストの初期始動の排気音が高らかに鳴り響いた。
『絶対に取り戻します!!』
3眼ライトKX500のフロントマスクが “ ギラリ ” と鈍い光を放つ。
『このサードアイと共に ! 必ず !! 』
ファンファーレではない。これは、成海の孤独な闘いのゴングであったのだ。
前編終了。後編へとつづく