懐かしいなぁ...
自分が博士論文を書いていたころは、まだまだアナログ的要素が多かった。
ウィンドウズも3.1から95への移行期
インターネット環境もまだまだで、今のようにネット検索した文献(抜粋じゃなくfullの状態)を直接読めてコピペなんて夢のまた夢...
資料は、基本紙媒体。図書館で直接手に入れる。取り寄せてもらう。それをコピーさせてもらう。コンピューターでの文献検索も少しはできるようになってきてはいたが、題名や抜粋(要旨)などをみて、おそらく役に立つだろうと取り寄せてみる
あるいは、筆者に手紙を出して別冊(論文は、基本科学雑誌に投稿して日の目を見る。掲載されると、その出版社に別冊を作ってもらう。自分の論文部分のみを取り出して印刷物にしてもらう)を送ってもらう。
習慣として、別冊は請求されれば無料であげる
論文は、自分で読んで(辞書を片手に訳して)、アンダーラインを引いたりして読み込むものだった。
コピペではないが、同じ方向性の論文だと説明文などは似てくる
科学論文は一般に、abstract(keyword)-introduction-materials & methods-result-discussion-acknowledgements-refarencesからなる。
同じ方向性の同じ研究をすれば結果とディスカッション以外は似てくる...当然だ
特に材料や方法を説明する場合は、なおさらだ
だって、考えてごらん
あなたが旅のレポートを書かされたとしよう
方法を説明せよと言われたとき「列車で行きました」としよう。論文では「列車とは何か」を説明しなければならないのだが、私の列車とあなたの列車が別なもののわけはなくどう説明しても列車は列車のそれだ。
Wikipediaからコピペすればこうだ(笑)
-列車(れっしゃ、英: train)とは、鉄道の線路の上を走行する車両のことである。鉄道に於いて営業用に運転される鉄道車両ならびに鉄道車両によるサービスのことを指す用語としても用いられる。一般的には鉄道車両が複数の車両(動力車と客車、または自走車両)を列を成して走ることからこのように称される-
まぁ、文章のつたなさなどで差は出るかもしれないが、まさか列車は空を飛ぶものとか説明するやつはいまい
それに、読み手はどういう旅をしてきたのか、どういうところへ行ってどういう体験をしてどう感じたかが知りたいのであって、列車の説明のことこまかな出来は要求しないであろう(精々、特急に乗ったのか、鈍行だったのかの違いはあっても)
ただ昔の論文は、PC上のコピペではないから、一語一句までは同じにはならない。何より論者は人よりかっこいい文章を目指すのでなおさらだ。
写真もデジカメで撮って画像編集ソフトで管理するのではない(画像編集ソフトがあっちゃぁ編集=ねつ造したくなるのも何となくわかる気がする...爆)
当時は銀塩フィルムでとったアナログ写真からプリントされたものを提出するのが原則だった。場合によってはネガの提出を求められることも有ったように記憶する(プリントってやっぱ手直し可能だからね)
便利を何処まで利用し、出来上がったものに何処までオリジナリティーを認めるかは難しい
ただ、そう言った観点でなく、「勉強する」「理解する」「自分のものにする」という意味で論文作成の意義を考えるなら、若者の皆さん...
コピペじゃ力はつかんよ(爆)
そして、石井 俊輔 理学博士...私より少し上の世代と思うけど駄目だよあんた(笑)
Posted at 2014/04/25 13:46:50 | |
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