暗中模索
五里霧中
セッティングが決まらず
悩み苦しんだ1年間
人生初の年間フルエントリーは
苦楽しいものとなりました・・・?♪
2017年 ある時はCPUがご機嫌ナナメ、またある時は足が体が不機嫌、なかなか真の実力を出
してくれなかった、人生初のシリーズフル参戦でした
結局たどり着いたのは補強パーツの取外しおよび軽量化、タイヤエア圧調整、
スロットルポジションのマメな更生で何とか去年なみの速さを再現
no32の魔性ぶりを存分に味わわされた1年でした。
そんな感じでしたので俺が悪いのか?という疑いもあり走りも迷走
2度のコースアウトと数度のスピンをやらかしました
やはり、自分自身を律する必要があるようです。
2016年 ゴールドカップツーリングカーレースの最終年だと言う事で全戦参加を目標にたてる。
清水の舞台から飛び降り、いまだかつてなく諭吉を投入しno32を魔改造した。
しかし、結局フル参加はかなわず、マシンは大幅にタイムUPできたものの本番で性能
を発揮できず竜頭蛇尾。まぁ、でもそれは望外に速くなり高望みしたからそう思えるの
であって、300km耐久も完走したし、タイムも未知の領域に踏み込めた。
ap86にしてはまずまずだったじゃないのかな?
2015年 昨年の借金返済とHANS&メット購入で首が回らず、10月に何とかレース参戦。
そしたら運よく表彰台登壇!13年ぶりでした。
妻の許可も出て耐久にMRチョキさんと組、フルスペックSAMな体制で参戦!
結果リタイヤでしたが山あり谷あり濃い1年でした。
2014年 ほぼ1年かけて86ハコ替え、ほとんどDIY。2月シェイクダウン、以降低迷トラブル多発
7月ゴールドカップ復帰!11月GC耐久参加、12月自己ベスト9年ぶりの更新!
山あり谷あり非常に濃い1年でした。
2013年 レース予選でタイムを出したいがために先行車を追走し、結果大クラッシュ、全損。
2月頭までは順調だったのにその後86の調子が悪く修理の連続。練習も思うように
出来ず、レース日を迎えた。さらに当日朝車検直前に燃料タンク漏れ発見で
テンパリまくりだった・・・。直後はやめようかと思った・・・
2012年 初めて他人の車でレース参加。新境地を開拓できた。その間1年かけて86は修理する。
2011年 1年かけて86修復。
路面が変わる前に自己ベスト更新ねらい攻めた。結果ブリッジ下左コーナーでアンダ
コースアウト、ガードレールに激突、フレーム く の字に曲がり修理と乗り換え、
それともやめるか悩む。(単独クラッシュ)
2010年 レース前日練習の夕方最後の枠で2コーナーイン巻き込みクラッシュ、リズムにのって
きてどんどんタイムUPしていたので調子にのりすぎる(単独クラッシュ)
応急処置で翌日レースには参加。ハンドリングベストではないが楽しくレースできた
しかし後日、点検してみたらフレームにダメージが及んでいた。
2009年 スーパーGT前座レース
1ヘアピン進入でインをさすも接触。相手は長年のレース仲間、家を買うためレースは
今回が最後だと語っており、本レースでのホイールは彼から借りた物だったのに・・・
一瞬の判断ミスで彼をリタイヤに追い込み、私は完走したものの失格の裁定をくださ
れた。結構86も調子よく、前座レースであったため熱くなりすぎたのかも・・・
初めて、自分が”当てた” 方になった。
2008年 スーパーGT前座レース
ただ、参加しただけ。S-GTを内から観戦するため。練習不足、資金不足、
退屈なレース。無事完走。
2007年 レース参加せず。子供は4人になりスウィートテンな贈り物をした関係で金欠。
スポーツ走行3本にとどまる。
2006年 1月、自己ベスト更新、3月レース、ミッション不調でシフトミス多発、オーバーホール決意
ついでにエンジンも92後期へ載せ変え、迎えた11月のレースは予選3位、86勢トップ、
決勝はタイヤ選択ミスでドベ。
2005年 上位集団とからめた楽しくも激しいシーズンだった。
2004年 ゴールドカップ他、耐久に参加したりして、1番走ったシーズンだった。
2003年 レース2回参加、うち1回はJGTC前座、そのレースで同じ車両から左右1回づつ、イン
から当てられる!ドアぼこ凹!レース後殴り込みに行ったな・・・
2002年 ゴールドカップ2回参加、3位表彰台1回、耐久レース参加。
2001年 レース1回参加、PSS耐久レース参加。
2000年 レース1回参加。雨中のレース、まずまずの所を走行中、はじきだされてドベ。殴りこみ
に行ったな・・・
1999年 SP走行のみ、他人の86でPSS耐久参加
1998年 2月結婚、3月 86納車 9月始めての走行、2分28秒だった。
1997年 マーチ最後のレース。MINE JTCC前座。楽しんだ。
1996年 マーチレース参加。接触すれすれ(した)のぎりぎりバトルが楽しかった。
1995年 SA22CサバンナRX-7、締めくくりのつもりで攻めるも最終コーナーで昇天
翌年はマーチレースが決まってたし、AP閉鎖も決まってたので最後の思い出に
攻めたのが間違いだった。(単独クラッシュ)
5月、スポーツ走行、1コーナー進入で私イン、御相手MR2SW20アウト側で接触。
板金だけで治る軽傷だったが御相手の方はかなりへこんでいてお気の毒だった。
一瞬の判断ミスでやってしまった。明らかに自分の方が速かったので私のミスだと
今でも思っている。(接触事故)
1994年 SA22C、FISCOと箱根国一がホームコース。
箱根でよく事故った。それも明日がFISCO走行会って日が多かった気がする・・・
~1993年? FC3S、最後は富士見パークウェイで昇天、土屋圭一のJSS FISCOの車載映像
を見て熱くなりすぎていたような気がする。
他に2回ほど事故ったが、新しいパーツをつけた時、先輩が横に乗ってたときだった
いいとこ見せようとしてたのか?パーツのおかげで今までより速くなってリスクが高
まったか? とにかく未熟だった。
今年も楽しみ、お勉強させていただきました。
来年はフルエントリーは考えていません、ただ、達成困難な目標があり、それを目指すのが一つ、
そしてチームのサーキット走行機会が増える模様なのでそこをサポートしていきたいと思っています
この過去の経験を無駄にせず、安全に楽しくレースが出来ればと願っています。
忘れそうな過去の記憶と経験をもう一度掘り起こし、明日につなげるために・・・