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りょうさいのブログ一覧

2009年12月12日 イイね!

武将絵巻 其の拾 長野業正

武将絵巻 其の拾 長野業正長野業正 (1491〜1561) 上野箕輪城主。関東管領山内上杉家臣。長野氏は在原業平の後裔と云われる。

長野氏は、周辺の豪族・国人のまとめ役立場で、「箕輪衆」と呼ばれた。
また、娘を上野の豪族に嫁がせて結束を固め、長野十六槍を編成した。

関東管領上杉憲政が北条氏康に敗れて、上野を去った後も北条氏に従わず、対抗し続ける。
光治3年(1557)から武田信玄が10回に渡り、侵攻し続けるが、居城箕輪城に立て籠り撃退する。
手こずった武田信玄は、「業正ひとりが上野にいる限り、上野を攻め取ることはできぬ」と行ったと云われる。

永禄4年(1561)死去。箕輪城落城は、業正の死から5年後の事である。

みん友のうらん4989さんのリクエストで描いてみました。
上野を代表する知勇兼備の武将ですね。武田信玄の猛攻を何回も跳ね返してるんだから凄い。
ただ、籠城戦は得意だったみたいですけど、野戦はどうだったのかな?と思う所もありますが。

其れと14歳の嫡男、業盛に残した遺言が凄い。
「私が死んだ後、一里塚と変わらないような墓を作れ。我が法要は無用。敵の首を墓前に一つでも多く供えよ。敵に降伏してはならない。運が尽きたなら潔く討死せよ。それこそが私への孝養、これに過ぎたるものはない」
まだ少年に「死ね」だなんてあまりにもムゴい話。戦国時代の厳しさよのう。
因みに業盛は19歳で遺言通り、落城の時に自害して果てました。哀れ。

併し、此の遺言は「関八州古戦録」と云う江戸時代の軍紀物に書かれている話でして、此の史料の信頼性を考えると、怪しい話なんですが。

本日は此れ切り。
Posted at 2009/12/12 19:03:33 | コメント(3) | トラックバック(0) | 武将絵巻 | 趣味
2009年10月10日 イイね!

武将絵巻 其の九 三好義賢

武将絵巻 其の九 三好義賢三好義賢 (1527〜1562) 別名之康、之虎、元康。豊前守。号して物外軒実休。三好元長の次男で三好長慶の弟、安宅冬康、十河一存の兄。

最初は阿波守護細川持隆に仕え、伊予、讃岐に出陣。また兄と共に舎利寺の戦いにて細川氏綱、遊佐長教を破る。

1553年、弟一存の力を借りて、主君持隆を見性寺にて殺害。其の子細川真之を傀儡として擁立して、讃岐、阿波を掌握する。此の時、持隆の側室で真之の母である小少将を妻とする。小少将は、後に三好長治、十河存保を生む。

1560年、長慶と共に畠山高政、安見直政を破り、河内も支配する。併し1562年、紀伊の根来衆の援助を受けた畠山高政の反撃を受け、久米田の戦いで戦死。戦国武将の中で、初めて鉄砲にて戦死したと伝わる。

武野紹鴎、今井宗久、千利休等と茶会を親しみ、三日月茶壺と云う茶器に3,000貫文と云う大金をつぎ込んだ風流人でもあった。

僕の好きな武将である忠義系(立花宗茂、大谷吉継)、豪傑系(後藤又兵衛)とはタイプが違うけど、三好義賢は結構好きな武将。でも、僕の中では全然マイナーな武将じゃないんだけど、普通の人から見ればマイナーな武将なんだろうなあ。

教養豊かな三好兄弟だけど、義賢は信長にも劣らないくらいの茶器狂いだったのは有名。なので、”義賢”と云うよりも”実休”って呼んだ方が彼らしくていい。

主君を殺して、其の側室を奪っているので悪人のイメージがあるけど、辞世の句で
 「草枯らす 霜又今朝の 日に消えて 因果はここに 廻りに来にけり」

と詠んでおり、主君細川持隆を殺した事を最後まで苦にしていたようです。
長慶とも同じで、根は気の優しい人物だったのかな。戦国武将に生まれて来なければ、風流三昧に暮らした数寄者で一生を終えていたかも。少なくとも、松永久秀のような、悪人の代名詞とは違うようです。

本日は此れ切り。
Posted at 2009/10/10 18:42:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 武将絵巻 | 趣味
2009年09月08日 イイね!

武将絵巻 其の八 吉川元春

武将絵巻 其の八 吉川元春吉川元春  (1530〜1586) 駿河守。毛利元就と妙玖の次男。
母の実家、吉川家の養子となり、1550年に家督を継ぐ。不美人の熊谷信直の娘を娶った事は、有名。
小早川隆景が山陽地方を受け持った事に対し、元春は山陰方面を担当。1571年に父元就が死去すると、弟隆景と共に「両川」として、甥輝元を補佐する。
1582年の羽柴秀吉の中国大返しでは、追撃を主張するが容れられなかった。其の後、秀吉を嫌う為、嫡男元長に家督を譲り、隠居。
1586年、秀吉の強い要請で九州征伐に出陣し、豊前小倉城にて病死。黒田如水が用意した鮭料理を食べたのが原因とも云われる。

毛利家のつよ〜い次男坊。76戦64勝で一度も負けた事無し!山中鹿介あたりにとっては、不倶戴天の敵だったんでしょう。
毛利の三兄弟と云えば、「三本の矢」が有名だけど、実際に此の兄弟達の仲はあまり良くなかったみたいですね。「元春と隆景は、夫々の家の事ばっかり考えていて云う事を聞いてくれない」と、兄隆元は元就に愚痴っていたそうです。兄と父の死後は、しっかり本家に尽くしていますけどね。

本日は此れ切り。
Posted at 2009/09/08 22:51:32 | コメント(2) | トラックバック(0) | 武将絵巻 | 趣味
2009年07月07日 イイね!

武将絵巻 其の七 木村重成

武将絵巻 其の七 木村重成木村重成 (?~1615)長門守。父は木村重茲とも云われるが不明。母は豊臣秀頼の乳母、宮内卿局。即ち、秀頼の乳兄弟。幼少の頃から秀頼の小性として仕え、知行三千石。
大坂冬の陣は、今福砦攻防戦、真田丸の戦いにて奮戦。講和の際は、使者となり、其の立ち振る舞いを賞賛される。
大坂夏の陣は、長宗我部盛親と共に、八尾・若江の戦いに参戦。井伊直孝勢と交戦し、討ち死。
家康が首実検を行った際、其の首級から香が焚き込められていたと云う逸話も残る。

僕は、此の手の主家に殉じた若者、好きなんですよねえ。(他には、武田家の仁科盛信も好い)而も、絶世の美男子だったと云うのも、江戸時代を通じて人気が高い。歌舞伎では、上記の講和の逸話が「木村長門守 血判取」と云う狂言にもなっている。(僕はまだ観た事が無いが、片岡仁左衛門辺りで観てみたい)
其う云えば、今は歴女と云う女性達が居るとか。漫画やゲームは、最近分からないんですけど、彼女達は、木村重成をどう見てるんでしょうかねえ。

本日は此れ切り。
Posted at 2009/07/07 22:09:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 武将絵巻 | 趣味
2009年04月04日 イイね!

武将絵巻 其の六 黒田長政

武将絵巻 其の六 黒田長政黒田長政 (1568~1623)甲斐守。筑前守。筑前福岡藩初代藩主。黒田如水の長男。若年の頃から、父に従い、備中攻め、賤ヶ岳の戦い、九州征伐に参戦。1589年、家督を黒田如水から譲られる。朝鮮の役にも参加するが、石田三成と不仲になる。関ヶ原の戦いでは、家康を支持し、福島正則、毛利家を調略する。其の功により、筑前福岡52万石の大守となる。

有名な銀箔押一の谷形兜(重要文化財)を描いてみました。此れは当初、竹中半兵衛が所有していたのが、福島正則の手に渡り、朝鮮の役で正則と長政が喧嘩して、仲直りした時に兜を交換して長政の物となりました。(長政は、水牛脇立兜を送った)二人は、交換した兜をかぶり、関ヶ原の戦いに臨んだようです。
其れにしても、でっかい兜。さぞ、重たいのであろうと思って調べてみたら、意外、3.1キロしかない。(福岡市博物館の図録より)鉄板かと思ったら、檜で作られた木製との事。でも、馬で駆けたりしたら、空気抵抗が凄そうな気がする。
Posted at 2009/04/04 22:46:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 武将絵巻 | 趣味

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何シテル?   07/21 22:46
車のサイトなのに、車ネタはあんまりありません(^▽^;) 最近は、中世城郭(江戸時代の城は其れほど興味ない)を中心とした史跡巡りのブログがメインになりつつあり...
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