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りょうさいのブログ一覧

2011年08月30日 イイね!

古府散歩 其の四 記念写真と愛宕山こどもの国

古府散歩 其の四 記念写真と愛宕山こどもの国躑躅ヶ崎館を一通り見て廻ると、記念写真の有料サービスがありました。

丁度此の日が誕生日だし、今回の旅で家族三人の写真が未だ無い事もあり、撮ってもらう事に。

ソレガシは、しっかりと諏訪法性の兜を冠らせてもらいましたぞ(笑)

武田神社の参道の入口なので、観光客がこっちを見る事、見る事。
結構恥ずかしかったですσ(^_^;)

娘は兜が重いらしく、ずっと不機嫌でした。

此の後は円光院にお参りし、愛宕山こどもの国へ。
公園内にある山梨県立科学館に入ろうとしましたが、夏休みのせいか子供会の子達でいっぱい。
科学館は止めにして、園内の遊具で遊んできました。


雨上がりなので、遊具が泥んこ。
娘はお構い無しですが。


遊具は、娘には一寸難しいのが多かったですねえ。
小学生になれば、もっと楽しめそうです。


娘叫ぶ(笑)

やっぱり子供は外で遊ぶのが楽しい様です。

本日は此れ切り。
Posted at 2011/08/30 22:14:06 | コメント(4) | トラックバック(0) | 古府散歩 | 旅行/地域
2011年08月29日 イイね!

スパは楽し 2011年F1ベルギーGP

2011年F1ベルギーGPの事など。

・混戦を制して自信を取り戻したベッテル
スパウエザーの混乱の中、予選でPPを獲得した物のタイヤにブリスターが発生していたベッテル。
レースでは厳しいかなと思ったけど、ブリスターが出ながらもコンスタントにラップを刻み、4戦振りの優勝。
二連覇に向けて自身を取り戻した事だろう。
同僚ウエバーは、プライムタイヤを2回履いて、ブリスターに対処し2位。
不利と思われたスパで見事にワンツーフィニッシュは見事。

・今一歩足りないマクラーレン・フェラーリ
トップ争いに加わった物の結局はレッドブルに負けてしまった2チームは、矢張り何か足りない。
フェラーリは戦力的にも1段下だし、マクラーレンは上手く歯車が噛み合わない。
特にマクラーレンは、ハミルトンが可夢偉と接触リタイア。
バトンは、予選の失敗とスタートの混乱に巻き込まれ、二人とも勝てるレースを落としてしまった。

・復帰後ベストレースで、自ら20周年を祝う
予選でまさかのタイヤ脱輪により最後尾スタートとなってしまったシューマッハ。
得意のスパで、見事に5位フィニッシュは、今のシューマッハには優勝にも値する物だったのでは?
復帰後、純粋にレースを楽しんでいる様子なので、レース内容にも大満足だったんじゃないのかな。

本日は此れ切り。
Posted at 2011/08/29 07:42:35 | コメント(2) | トラックバック(0) | F1 | スポーツ
2011年08月28日 イイね!

古府散歩 其の参 躑躅ヶ崎館(武田神社)

古府散歩 其の参 躑躅ヶ崎館(武田神社)古府散歩の二日目は、今回僕が一番楽しみにしていた躑躅ヶ崎館。
云わずと知れた、戦国大名武田氏三代の居館ですね。

躑躅ヶ崎館は三回目ですが、今回は武田神社のお参りとしてではなく、しっかりと中世城郭としての見学です。

現在躑躅ヶ崎館は、東・中・西曲輪を中心とした主郭部は残ってますが、他は耕地・宅地化されてます。
掲載させてもらう縄張り図には、既に隠滅されている遺構もあるので、注意して下さい。


躑躅ヶ崎館
永正16年(1519)に武田信虎が石和から居館を移し、築かれた。
武田信玄の代になると、武田氏の首都にふさわしい城下町の繁栄をみせたが、勝頼が継ぐ頃には飽和状態となり、天正9年(1581)に新府城へ移転となる。
翌年に武田氏が滅びると、徳川家康が領する事となり、平岩親吉が城代となって改修を受けるが、文禄年間に甲府城が築かれると廃城になった。
現在は、武田神社が建つ。

い 参道

ガイドブックなんかでよく紹介される構図ですが、此れは大正時代に武田神社が建てられる際に作られた物なので、当時の物ではありません。
中高年の団体客が、城の石垣だと思ってしきりに感心してましたが、勿論武田氏の時にはあるはずもなく(笑)


城の南側の堀は水堀になってます。

は 武田神社

中曲輪と東曲輪は、武田神社が建てられており、勿論祭神は武田信玄。
甲斐の国の人にとっては正に神様だろうけど、信濃じゃ鬼畜外道なんだけどねえ。
当時あった土塁は、神社を造る際に壊されてしまったので、現在では中・東曲輪に区切りが無い状態です。
其れと北西隅に天守台跡があるんですが、此処は立ち入り禁止。
躑躅ヶ崎館に天守!?と思いますが、此れは徳川氏時代の物。

に 井戸

日常に武田信玄も使ったであろう井戸。
建物は残ってなくても、井戸があると日常生活の息吹が感じられて良いですよね。

ほ 西曲輪

始め躑躅ヶ崎館は単郭で、西曲輪は天文20年(1551)武田義信の婚儀に合わせて新設されたもの。
此処には旧睦沢小学校校舎があったのですが、他に移転した為、現在発掘調査の真っ最中。
此の日、雨上がりの為か作業してませんでした。残念。

へ 枡形虎口其の壱

西曲輪南の虎口は内枡形になっていて、当時は橋が架かっていた様です。
此の外の梅翁曲輪は、徳川氏時代の物。
宅地化されており、南西に堀が残っているそうですが、今回は未訪。

と 枡形虎口其の弐

西曲輪の北も枡形虎口になっていて、こちらは土橋。
堀も空堀です。

ち 北(味噌)曲輪

婦人達の居館と伝わる北曲輪は、現在田畑に。
とは云え、馬出しの名残や土塁もしっかり残ってます。
他の箇所もそうですが、土塁の基底部には石積みによる補強がされているのが分かるでしょうか?

り 大手虎口

東曲輪の東が大手。
流石に他の虎口よりも幅広く、土塁も高い。
土橋は石積みによる補強がしっかりとされてます。

ぬ 空堀

大手周辺の堀は空堀で、幅も広くて深さも深い。
流石に此処に降りてみようとは思いませんでした(^▽^;)

る 石積み

各虎口には、石積みによる補強がありますが、流石に大手の物は石がデカい。

を 石塁

大手の東は発掘調査が行われ、奇麗に整備されてました。
此の石塁には階段もあった事から、上に何らかの建造物があったと考えられる様です。
で、此れは徳川氏又は豊臣氏による物で、此の下には三日月堀が出て来ました。
三日月堀、つまり半月型の堀で、おおっ、武田氏必殺の丸馬出しではないか!
でも、山梨県内で丸馬出しがあるのは、新府城に続いて2例目なんだって、意外。

わ 惣堀北側虎口

城の一番外にある惣堀には2本の土橋がかかってました。
北側の虎口には、石段が見つかったそうです。

初めて城として見て廻りましたが、館と云うには思ったよりも土塁も高く、堀も深くて立派。
とは云え、武田氏の首都とするとやっぱり狭いよなあ。
武田勝頼が此処を捨てて、次世代の戦国大名へ脱皮しようとしたのは、正しい判断だと実感しました。

参考文献:日本城郭大系8、現地案内板

本日は此れ切り。
Posted at 2011/08/28 20:57:17 | コメント(2) | トラックバック(0) | 古府散歩 | 旅行/地域
2011年08月25日 イイね!

古府散歩 其の弐 甲府城

古府散歩 其の弐 甲府城大善寺でお参りした後は、娘が寝てしまった事もあり、早めに甲府市内のホテルにチェックイン。

降っていた雨も止んでいたので、ホテルから歩いて5分ほどで行ける甲府城へ行く事にしました。

甲府と云うと、武田信玄の居館である躑躅ヶ崎館の陰に隠れてしまい、今イチパッとしない城ですな。
近世城郭なので、僕も大して興味なかったんですが、ホテルから近かったのでせっかくだから足を運んだ次第。
なので、縄張り図は現地案内板の写真で手抜きじゃ(^▽^;)


甲府城
武田家滅亡の後、甲斐へ侵入した徳川家康の命を受け、平岩親吉が天正11年(1583)に築城を始めた。
天正18年(1590)に徳川氏が関東移封となると、豊臣家の領地なり、羽柴秀勝・加藤光泰・浅野長政・幸長親子と目まぐるしく主を変えた。
関ヶ原の戦いの後は、再び平岩親吉が城代となり、其の後は徳川義直・忠長・綱重・綱豊と云った徳川一門が城主となり、城番が置かれた。
徳川綱豊が将軍となった後は、柳沢吉保が城主となり、柳沢氏が大和郡山へ転封となると、天領として甲府勤番制が置かれた。

鍛冶曲輪門

鍛冶曲輪と楽屋曲輪(現山梨県庁)を繋ぐ鍛冶曲輪門。
平成8年に復元されたもの。

遊亀橋

水堀を橋で渡るので、如何にも近世城郭っぽい感じだが、此れは公園化の為に作られたで、当時の物ではありません。
遠くから見ると、石垣が段になっていてなかなかカッコいい。

水堀

南側に残る唯一の水堀ですが、此の日は雨だったのに水量が少ないなあ。

工事中

訪れた日は、天守曲輪の石垣修理と鉄門の復元工事を行ってました。

本丸櫓跡

城の中心にあった本丸櫓跡の石垣。

暗渠

本丸櫓の石垣の根元にある排水用の暗渠。
発掘現場説明会に行く様になってから、こう云うのにも目が行ってしまう。

天守台

甲府城の天守については、古絵図には描かれていないそうです。
でも、最近は天守はあったのではないかと研究されているとか。
石垣に登ると、甲府市内が見渡せてなかなか気持ちいい。

稲荷櫓

復元された稲荷櫓の中は資料館になってますが、僕が訪れたのは夕方の為、既に閉まってました。
中には、甲府城の復元模型があるそうで、一寸残念。

二重石垣

稲荷曲輪にあった二重石垣。
中の物が古い石垣で、積み直されたのが、発掘調査で分かったそうです。

内松陰門

こちらも復元された門。
城内にある塀も全て復元です。

見学の途中で雨が降って来たので、急ぎ足での見学になってしまいました。
翌朝、甲府駅前の武田信玄の銅像を見に行ったので、ついでに駅北の山手御門にも行ってみました。

山手御門

中央線の線路を挟んであるので、此れだけだと単体見えて、非常に変な感じがする。
空堀を挟んで土橋を渡ると、中は内枡形になってます。

う〜ん、相変わらず今イチ近世城郭の見方が分からないなあ。

本日は此れ切り。

Posted at 2011/08/25 23:35:34 | コメント(3) | トラックバック(0) | 古府散歩 | 旅行/地域
2011年08月23日 イイね!

古府散歩 其の壱 山梨県立博物館・大善寺

古府散歩 其の壱 山梨県立博物館・大善寺娘の夏休みの思い出として、甲斐の国の国府である甲府を中心に1泊旅行に行って来ました。

甲斐の国と云えば、武田信玄。

井上靖の小説「風林火山」の如く、甲府を古府と呼んで、ぶらりと散歩旅です。

1日目は雨が降ったり止んだりの生憎の天気。
雨の中、傘をさしての観光は娘には大変なので、先ず最初に訪れたのは、山梨県立博物館。
って、古府散歩なのにいきなり甲府市じゃなくて笛吹市じゃん(^▽^;)

夏休みの企画展で、「歴史の中の昆虫たち 昆虫大博覧会」をやってました。
昆虫の描かれた日本画や陶磁器等が展示されてましたが、うちの娘もそうでしたが、子供達に人気だったのは世界の昆虫の標本でしたね。


ぬりえコーナーにて

企画展が見終わると、11時になっていたので、毎週日曜日に開催される「あそんでまなぼう! 寺子屋ひろば」と云う学芸員による体験イベントに参加してみました。


此の日は、「時代の着せかえファッションショー」で縄文・平安・江戸・大正時代の服の話。
娘も、着せ替えに参加して来ました。

其の後常設展を見て来ましたが、新しい博物館(2005年開館)だけあって体験施設が多くてなかなか楽しいです。
江戸時代の農村や城下町のジオラマなんかは、人形の表情が面白くて娘だけじゃなくて僕も楽しめましたね。


甲州葡萄を摘むのに使われた籠を背負う娘。

娘も随分と気に入ったらしく、昼食の時間も含めて3時間半も博物館で遊んでました。

此の後は、甲州市の大善寺へ。

大善寺
養老2年、僧行基が甲斐の国で修行をしていた際、夢に右手に葡萄を持った薬師如来を見て、其れと同じ薬師如来像を安置したのが始まりと云う。
其の後、行基が薬とする為に葡萄を栽培にする様になったのが、甲州葡萄の始まりと伝わる。

山門

なかなか重厚な門構え。
雨が降っていたのが残念。
大善寺は、三枝氏の菩提寺でもあります。

本堂(薬師堂) 国宝

弘安9年(1286)の刻印のある鎌倉時代の建物。
すっきりとした良い建物です。
本堂の中にある厨子も国宝で、其の厨子の中に安置されている薬師如来、日光・月光菩薩は重要文化財。
厨子の両脇ある十二神像立像も重要文化財で、中には武田時代に塗られた朱塗りの立像もあり、興味深かったです。

庭園

庭園は県指定文化財。
大善寺は、史跡民宿として泊まる事も出来るので、宿泊者はゆっくりと庭を眺めてのんびり出来る事でしょうね。

他にも、武田勝頼が新府城から落ちた際に腰掛けたと伝わる腰掛石や、武田家滅亡を書いた「武田勝頼滅亡記」の著者理慶尼の墓等があるんですが、雨なので止めときました。

本日は此れ切り。
Posted at 2011/08/23 23:41:01 | コメント(3) | トラックバック(0) | 古府散歩 | 旅行/地域

プロフィール

「最近、みん友の皆さんにコメント出来なくてごめんなさいm(_ _)m」
何シテル?   07/21 22:46
車のサイトなのに、車ネタはあんまりありません(^▽^;) 最近は、中世城郭(江戸時代の城は其れほど興味ない)を中心とした史跡巡りのブログがメインになりつつあり...
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