私の職場の目と鼻の先に最近できたマンションです。1階にコンビニがある、どこにでもあるようなマンション。
でもこの場所はある人々にとっては聖地と呼べる場所なのかも知れません。
このマンションが建つ場所こそ、パチンコが産声を上げた土地です。
戦後の1948年頃、名古屋市西区で遊技場を経営していた正村商会の正村竹一が考案した正村ゲージと呼ばれる釘の配列のパチンコ台は人気を得て全国に広まり、現在のパチンコ台の原型となりました。その最初のパチンコ店がここにありました。
このマンションが建つ前は長らく駐車場でした。1948年当時と比べると道幅も拡張されていますから、当時はもっと広い敷地だたのかも知れません。私がこの土地の由来を知ったのは、駐車場の一角に立っていた立て札によってでしたが、現在はそれを記す物は何もありません。
では、正村家直営のパチンコ店はどこへ行ったのか? この場所から200mばかり離れた場所に立派な正村ビルというビルがあります。
地下に駐車場があり、1階はパチンコ、2階はスロット、最上階は正村家の居宅というビル。
6月まではこのビルに正村家直営のパチンコ店がありました。そう、過去形です。
昭和20年創業、「正村ゲージ」を考案した企業として知名度は高い。「パチンコマサムラ」の屋号でパチンコホール経営を主力とするほか、不動産事業として3ヶ所のパーキング、2ヶ所のマンション、新潟県では「ホテル太閤」を経営していた。
平成年代に入り売上高70億円台に達していた時期はあったが、個人消費低迷や競合激化などから集客は伸び悩み平成12年4月期以降の売上高は30億円台にまで落ち込んだ。
また、平成21年4月期の売り上げは14億円、最終赤字4400万円を計上、債務超過の苦しい運営が続き支えきれずに今回の措置に至った。負債総額は11億6500万円。(ニュースから引用)
最初の画像のマンションは、おそらく正村家が創業地である駐車場を手放したため建てられたものでしょう。
広告募集の文字が虚しい正村ビル。正村家もこのビルを去ったと思われます。
ギャンブルや風俗産業は不況に強いとよく言われますが、パチンコ創業家すら破産するこの不況。ここに限らず、名古屋市内でも私が住む岐阜市でも廃業したパチンコ店をよく見ます。確か、一番高いときには一玉4円の時期があったように記憶していますが、現在は0.5円のパチンコ店もあるようですね。
かつて、実家の近所にパチンコで作った借金で首が回らなくなり、夜逃げをした一家がいました。競馬の売り上げも減っているようだし、ギャンブルで身を滅ぼす人が減って、考えようによってはギャンブル産業の衰退は、ある面で悪いことではないのかも知れません。まあ、ギャンブル中毒の一番の原因は中毒者本人の中にあるとは思いますが。
景気の動向によって整理されていくものがあることは仕方のないことなのかも知れません。しかしこの終わりが見えない閉塞感。何とかならんもんでしょうか。
あ、半島への送金云々というようなコメントはご遠慮ください。
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Posted at
2010/10/18 21:33:48