2011年03月14日
(自己の記録として、日付を遡ってアップしています)
震災時に仲間5人と共に旅行中で宮崎県にいた父と前日に連絡を取り、黒磯までは自力で移動できたけど、そこからの移動手段がなく、2日ほど足止め状態だというので、迎えに行くことにした。
この日の朝、白河まで善意で乗せてくれる人が見つかったとのことで、白河に向けて出発。国道4号はまだ渋滞しているかも知れないため、栃木から仙台へ移動したときと同様に猪苗代に迂回するルートにした。
もしかすると仙台より買い物事情は良いかと思い、ご近所さんなどから買い物のリクエストも受けた。
宮城県南部は停電しており、信号が稼働していないが、福島県に入ると停電はなかった。が、飯坂温泉くらいまでは携帯の電波が安定していたのに、それ以降は電波マークが1本だけしか表示されず、通信できない状態になった。
飯坂温泉付近で父から「郡山で合流しよう」とメールが入ったが、通話も返信も全く出来なくなってしまい、困った。郡山まで移動できるアテがあってメールしてきているのか、単なる思いつきでメールしたのか判らず、白河に行くべきか郡山にするべきか決め倦んだままクルマを走らせた。
道中、TVで原発で爆発があったことを知る。同じ福島県内でも浜通りは大変なことになっているようだ。日本はどうなってしまうのかと憂慮した。
通り過ぎるスタンドはどこも休業している一方で、道の駅で日産リーフを見掛けた。停電は復旧がはやいから、災害に強いという利点もあるのかと感心した。
猪苗代でスーパーに立ち寄った。仙台と違って、並ばずに入店できた。ある程度、食料品は買えるようで、リクエストのあったお菓子、野菜ジュース、冷凍食品を買い込んだ。ただ、トイレットペーパーと乳児用紙おむつは買えなかった。
猪苗代でも携帯の電波状態が悪く、公衆電話でも父に繋がらない。ここで道路が郡山と白河で別れるが、悩んだ結果郡山に向かうことにした。
郡山市中心部に入ると、損壊した箇所が多いのか、やたら建物前に規制線が張られている箇所が目立つ。
郡山でも電波状態が改善せず困った。が、郡山駅前に災害用衛星電話を無料開放しているところを発見!しかし父が居るところも電波状態が悪いのか、繋がらない。仙台の自宅に電話してみたが、番号を通知してから…とのアナウンスが。186を付けてから掛けても同様だった。無料開放している電話だからなのか不明だが、番号非通知にしかならないようだ。こんな事で大事な連絡を取る障害になるとは…。ヨメの携帯は運良く非通知許可にしていたらしく、繋がった。
取り敢えず駅前でクルマに乗って待っていたら、「○○さんでは?」と声を掛けられた。聞けば、父と旅行に同行していた友人とのことで、手分けして駅前近辺を探してくれていたようだ。父から仙台ナンバーの白いミニバンと聞いていたらしく、もしかして…と声を掛けてくれたらしい。やっと父らと合流できた。
オデッセイに定員フル乗車、旅行の荷物満載、買い出しの荷物満載で仙台へ。帰路も猪苗代経由で4時間以上費やして到着。
運転しっぱなしの1日だった。
教訓:災害が起きたら、電話は非通知許可にしておくべし
Posted at 2011/04/13 00:42:20 | |
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