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2016年10月12日
第14回国民の自衛官に10人2部隊 津波の教訓伝え続ける/南西地域の領空侵犯監視
【山本優美子のなでしこアクション(4)】日航機墜落事故から31年 「勝利なき戦い」に挑んだ自衛隊員たちの苦悩を忘れてはなりません
http://www.sankei.com/affairs/news/160807/afr1608070001-n1.html
2016.8.7 01:00更新
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御巣鷹山に墜落し、バラバラになった日航機の機体。主翼の破片にはJALの文字=1985年8月13日、群馬県多野郡上野村

8月になると、8月15日の終戦の日や靖国神社参拝が毎年話題になりますが、私が思い出すのは昭和60年(1985年)8月12日に起きた日本航空123便墜落事故です。ヘリコプターから吊るされた自衛隊員が通称・御巣鷹の尾根(群馬県上野村の高天原山)で生存者を引き揚げて救出している映像が印象に残っている方も多いでしょう。あれは陸上自衛隊の写真ですが、航空自衛隊もまた長野県川上村に救難指揮所を設置して活動をしていました。
犠牲者520名、生存者4名。史上最悪の航空機事故に、航空自衛隊は創設以来最大規模の災害派遣出動に踏み切りました。8月12日の事故発生から8月30日の撤収までの18日間は「勝利なき戦い」と呼ばれていました。私の父は当時、入間基地の副司令であり、現地指揮官を務めました。父の保管している当時の資料を見ると、空の守りから陸に降りた航空自衛官の「勝利なき戦い」の様子がよく分かります。
自衛隊のPKO派遣や阪神大震災、東日本大震災での活躍もあり、今では国民の間で自衛隊に対する理解がずいぶん広まりました。共産党幹部が「防衛費は人を殺すための予算」と発言すると非難されるまでになりました。
しかし、昭和60年当時は今のようなインターネットやSNSによる情報はなく、新聞・テレビなどの大手メディアによる情報がすべてでした。にもかかわらず、その大半は自衛隊バッシングがメディアの正義だと言わんばかりに、まともな防衛知識もないままに自衛隊批判が繰り広げられていました。
事件発生2日後には、ある大手新聞社が「自衛隊に抗議・疑問続々」という見出しで自衛隊の現地到着が遅かったと批判し、それに続いてデマ・放言のようなバッシングが始まったのです。
自衛隊バッシングに熱心な一部メディアは、救難活動の妨げにもなりました。特ダネを求めて軽装で山中に入った記者やカメラマンが脱水症状を起こして陸自のヘリに救助されたこともありました。着陸許可がないのに新聞社やテレビ局のヘリが、救出活動中の現場空域に進入し、2次災害が起きかねない事態も招きました。現場の記者が正確な記事を書いても、冷房の効いた本社にいるデスクに没にされたり、歪められたりして、現場の記者はその都度に自衛隊に弁解したという話も残っています。
では、メディアが批判したように、本当に自衛隊は現場到着が遅かったのでしょうか?
8月12日18時57分、JAL123便がレーダーから消えた4分後の19時01分に百里基地から戦闘機2機が緊急発進し、19時21分には上空から炎を確認しています。
20時33分に羽田空港から災害派遣要請があると、7分後の20時40分には航空自衛隊入間基地から先遣隊30名が出発しました。日付が変わった13日01時10分には同じ入間基地から548名の派遣隊が出発しています。
現地へ急ぐ派遣隊にとって、最初のハプニングは高速道路料金所で起きました。災害派遣で緊急な出動なのだと説明しても料金所の担当者は「料金を払わねば通せない」の一点張り。結局、自衛隊員が立て替え払いしました。急な出動だったので財布を携帯していない隊員も多く、大型車の通行料3200円の支払いに苦労したそうです。
御巣鷹山の事故現場までは40度近い急斜面を歩かねばなりません。背丈以上ある熊笹の藪を切り開き、ロープを伝いながらの移動で3時間以上かかりました。
現場のあまりに無残な様子におう吐する隊員もいましたが、隊員達はみな懸命に働き、「一刻も早く遺族のもとへ」と肉片となった遺体を丁寧に毛布にくるみました。
「遺品はそのままにしておくようにという指示が出されていましたが、熊笹の中に時計などが落ちてると、このまま永久に見つからなかったら遺族は悲しむと思い、目立つ場所まで動かしました」
「悲惨な現場でも尻込みする者はいなかった。作業終了、下山といっても『もっと残ってやりましょう』、『休憩だ』といっても『いや続けましょう』という」
「夜、宿営地に帰った時には、みな作業服が汗でズブ濡れで疲労でおし黙っている。それでも足を怪我した隊員に翌日は『休め』というと『どうしても行かせてください』と必死でいう」
このような現場報告が残っています。18日間の救難活動に派遣された航空自衛隊の隊員は入間・浜松・百里などの各基地から延べ約1万人。怪我で手当てを受けた隊員はいましたが、脱落者はゼロでした。
こうして厳しい任務を終えて戻ってきた隊員を待っていたのは、メディアによる一方的な自衛隊批判でした。隊員はさぞ驚き、落胆したことでしょう。
そんな中、隊員の励みになったのは派遣部隊の前線基地となった長野県南佐久郡川上村のみなさんの協力でした。到着早々、地元の農家の方々が「隊員のみなさんにビタミンを」と大量の高原野菜を差し入れてくれました。汗まみれで帰ってくる隊員に、村の健康センターのお風呂を提供してくれました。体育館を宿舎として提供した川上第二小学校は始業式を2日遅らせてくれ、児童たちは励ましのお手紙を送ってくれました。
「じえいたいのみなさん、とてもつかれたでしょう。じこげんばにいって、ぼろぼろのいたいをみつけて、たいへんでしたね。学校にとまって、毎朝そうじをしてくれてどうもありがとうございます」
「8月22日の昼食をじえいたいのみなさんといっしょにたべさせていただいて、どうもありがとうございます。カレーやサラダとてもおいしかったです。げんばなどにいっていたいをはこんだりしますか。ああいうところでは、しごともきつくてたいへんだと思います。まいにちあついなかごくろうさまです」
川上第二小学校の中澤弘之校長先生(当時)は学校の記録書にこう残しています。
「隊員と児童のふれあい、この大惨事の中で昼食会や激励会がごく自然の形でなされた。隊の救援活動や児童の学校生活に効果的であった。組織体としての自衛隊の規律ある行動、礼節をわきまえた奉仕の精神、子供たちへの思いやり等、児童に多くの教訓を与えた」
あれから31年。自衛隊創設以来の大規模な災害派遣となった日航機墜落事故が残した教訓は果たして生かされているのでしょうか。
救難活動を安全・円滑に実施するために不可欠となる救援機や取材ヘリなどの空中統制は、航空法で十分に規定されているでしょうか。災害派遣車両を料金所で止めるようなことはさすがになくなりましたが、大規模な災害など緊急事態に対応するための法律は、その後の2つの大震災を経て整備されたでしょうか。自治体と防衛省の役割分担・協力体制は充分構築されているのでしょうか。災害派遣された自衛隊員への手当ては充分でしょうか。不幸にも殉職した場合、残された家族に充分な賞じゅつ金は用意されているのでしょうか。
自衛隊の任務は、自衛隊法第3条にあるように「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする」であり、災害派遣は主任務ではありません。災害時の自衛隊派遣は当たり前だと思われていますが、派遣中も限られた人員で通常の防衛業務も遂行しているのです。
政府は、もの言わぬ自衛官に「勝利なき戦い」を強いてはいませんか。自衛隊がその能力を充分に発揮できるよう、憲法改正とともに法整備を進め、装備や予算も充実させるべきです。それが、日航機事故で亡くなった520名の犠牲者の霊に報いることにもなると私は信じます。
■山本優美子(やまもと・ゆみこ) なでしこアクション代表。上智大学卒。保守系活動にボランティアで関わるうちに慰安婦問題は女性が取り組むべきと考え、2011年に「正しい歴史を次世代に繋ぐネットワーク~なでしこアクション」を立ち上げ代表となる。海外の邦人女性とも連携し、対外発信、国連対策にも取り組む。好きな言葉は、「国家とは亡くなった祖先、現在の私達、これから生まれる子孫、三者の共同事業である」。
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【自衛隊幻想】「現場にはグレーゾーンなどない!生身の人間が動いているんだ」自衛隊OBが「日本の虚構」にもの申す
http://www.sankei.com/politics/news/161008/plt1610080001-n1.html
2016.10.8 01:00更新
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「富士総合火力演習」の予行で2機並ぶAHー64D「アパッチ・ロングボウ」=8月27日、静岡県御殿場市の陸上自衛隊東富士演習場(彦野公太朗撮影)

※この記事は、陸海の特殊部隊創設者をはじめ自衛隊OBらが日本の安全の虚構について指摘する『〈自衛隊幻想拉致問題から考える安全保障と憲法改正〉』(荒木和博・荒谷卓・伊藤祐靖、予備役ブルーリボンの会著、産経新聞出版 本体1200円+税)の第二章から抜粋しました。ネットでのご購入は〈こちら〉へ。
荒木和博(特定失踪者問題調査会代表) 安保法制の整備の目的の一つとしてはグレーゾーンをなくす、切れ目がない防衛をという話でもありました。グレーゾーン事態とは、自衛隊に「防衛出動」が命じられる「有事」ではないけれども、海上保安庁や警察による「治安維持」での対処は困難という事態です。
伊藤祐靖(海上自衛隊「特殊部隊」初代先任小隊長) そもそも現場の 人間には、グレーゾーンなどないのです。だって生身の人間が動いているのですからね。どう解釈するか、それは後で政府でやって、という話です(笑)。
実際に現場で事が起こる。現場はグレーゾーンなどないから、それに対処するしかない。しかも、それについて責任を取るのは現場なのです。
一番わかりやすいのは、震災が起こったときに、道の真ん中にクルマが転がっていたとします。それを取り除かなければ、被災者の救出作業が進まない。でも、そのクルマを動かすと、遺失物横領罪など何らかの罪になってしまいます。
「クルマをどかせ!」と現場で命令を下すと、命令を下した人ではなく、実際にクルマを動かして、場所を移動させた人の罪になる。
いずれにしても、法を犯さない限り救出作業が進まない。だから、誰か現場の人間が罪を被るか、「罪になるのでできません」と言うか、どちらかしかありません。
荒谷卓(陸上自衛隊「特殊部隊」初代群長) 領域警備については、橋本(龍太郎)内閣のときから出ている話です。たとえば、北朝鮮の大量難民の中に武装難民がいたらどうするか、尖閣に漁民に見せかけて中国軍の特殊部隊が入ってきたらどうするか。そのような具体的な事象に日本はレベルを上げながら対処できるのか、ということです。
現行法では、海上では平時、まず海上保安庁が対処する。仮に対処できなくなったら、「海上警備行動」が発令され、海上自衛隊が対処する。その次に「防衛出動」、つまり有事になります。これが状況に応じてスムーズに対処できると言い切れるならグレーゾーンはありません。
拉致問題で言えば、外国の特殊部隊が日本に入ってきて、日本人を拉致していった。つまり、外国の特殊部隊は普通に我が国の陸域に入ってきている。北朝鮮の特殊部隊ですら簡単に日本に入って来ているのだから、その他の国の特殊部隊はもっと入って来ることができます。
軍の特殊部隊が入ってきたときに、警察が対処する。警察が対処できなければ「治安出動」か「防衛出動」ということになります。「治安出動」は警察力の補完ですから、自衛隊が出ていったからといって、軍事行動をするわけではない。警察力のあくまでも補完だけを行う。しかし、相手は軍隊ですから警察力では対処できません。相手が軍の特殊部隊だとわかったら、「防衛出動」するしかないわけです。
このようなことが本当に隙間なくできるようになっているのか。政府が自信を持って「なっている」と言えるなら、グレーゾーンはないということになります。
荒木 伊藤さんは能登半島沖不審船事件のとき、「みょうこう」に乗っていて北朝鮮の工作船を追いました。当初は海上保安庁が北朝鮮の工作船を追っていたわけですが、燃料がないからこれ以上追えないと帰ってしまった。
伊藤さんによる「予備役ブルーリボンの会」のサイトの連載『「お世話になりました。行ってきます」北朝鮮工作母船追跡事案』には次のように書かれています。
〈しばらくすると、保安庁から連絡が来た。
「ただ今から警告射撃を行います」
パラパラパラ、上空に向けて花火のようなものが打ち出された。てっきり、警告射撃前の試射だと思っていた。そろそろ本射が始まるのだろうか? と思っていた。
「警告射撃終了」
「え~~終わり? あれ本射なの?」(あんなんで、誰がビビるっつんだ)
さらに続けて、連絡が入った。
「海上自衛隊護衛艦『みょうこう』こちら海上保安庁『○○○』です。本船、帰投するための残燃料に不安があるため、これにて新潟に帰ります。ご協力ありがとうございました」
「なに~~~?? !!」
「え~~~~帰る?? !!」
「『ありがとうございました』だ~~?? !!」
保安庁の船は反転し、帰って行った。その船尾灯はあっという間に見えなくなった。私と艦長は、途方に暮れて見つめ合っていた。大海原のど真ん中に艦長と私二人っきりで取り残された気分になった〉
伊藤 この後、「海上警備行動」が発令され、海上自衛隊が警告射撃を行いました。そして工作船への立入検査隊が出撃しようというところで突然、工作船が逃げたわけです。
荒谷 このときは、海上保安庁では対処できず、「海上警備行動」が発令されました。しかし「防衛出動」に関してはどうか。
先ほど、政府が自信を持って切れ目がないと言うのならグレーゾーンはないと言いましたが、現場の感覚から言うと「本当に防衛出動をかけられますか?」という疑問はあります。どのタイミングで、何を根拠に「防衛出動」をかけるつもりなのか。
政府は安全保障会議などを開いてそれを決めることになると思うのですが、特殊部隊が入ってきたことをどのタイミングで見極められるのか。あいまいな状況で国民に対して「防衛出動をかけます」と言い切れるのか。「防衛出動」は、いまは大軍が押し寄せてくるようなヘビーなものしか想定していないので、とても重い決断になります。
でも、陸上自衛隊の一部に領域警備任務を付与できれば、事態認定や防衛出動の判断が軽減されます。最近は局地的にゲリラ豪雨などが起こったりしていますね。同じように、特殊部隊は局地的に日本に入ってくる。ですから、その場所に領域警備任務を有する部隊を事前に配備できれば即応できるわけです。
しかし現状では、よほどの事態が起きないと防衛出動は発令できない。ですから、本当にグレーゾーンがないと言い切れるかどうか。
伊藤 ちなみに、「ヘビー」とは全面戦争ということです。
荒谷 たとえば、尖閣に配置する陸上自衛隊の部隊に対してだけ、領域警備行動をとらせることはいまの憲法でもできます。つまり、平時に外国の領域侵犯があったなら、軍事行動、防衛行動に準じて対処していいという、限定的なことを想定した法律をつくることは、不可能ではないと思います。
ただ、いまは防衛省の内局も含めて、そんなことをしなくても「警察」と「治安行動」と「防衛出動」を組み合わせれば対処できるという認識です。グレーゾーンはなく、連続的に対処できるようになっているというのが、政府の公式的な立場です。
荒木 これだけ日本人が拉致されていても自衛隊に領域警備権が与えられない。
荒谷 もともと戦後、自衛隊ができたときに、自衛隊に領域警備権を与えるという議論があったようです。しかしそのときは、陸上自衛隊側が一〇万そこそこの勢力ではそこまでカバーできないという意見だったらしい。また、陸自に領域警備をさせるとなると、警察の立場からすれば、あまり気持ちがよくないでしょう。
つまり、当初の消極的なジャッジと省庁間の権力問題が原因だと聞いていますが、それは過去の話として、いま現在、局地的に陸自が領域警備をするということは、大いに必要性があると思います。
※この記事は『自衛隊幻想 拉致問題から考える安全保障と憲法改正』(荒木和博・荒谷卓・伊藤祐靖・予備役ブルーリボンの会著、産経新聞出版 本体1200円+税)の第二章「『死んでこい』に理由がない」から抜粋しました。ネットでのご購入はこちらへ。
■荒木和博(あらき・かずひろ) 特定失踪者問題調査会代表、予備役ブルーリボンの会代表、拓殖大学海外事情研究所教授、国家基本問題研究所副評議員長。昭和31(1956)年東京生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。民社党本部書記局勤務の後、現代コリア研究所研究部長を経て拓殖大学海外事情研究所専任講師。以後助教授を経て平成16(2004)年から教授。平成15(2003)年予備自衛官補(技能公募・朝鮮語)を経て予備2等陸曹任官(現在陸曹長)。著書に『日本が拉致問題を解決できない本当の理由』『山本美保さん失踪事件の謎を追う 拉致問題の闇』(共に草思社)、『北朝鮮拉致と「特定失踪者」 救出できない日本に「国家の正義」はあるか』(展転社)他、最新刊に小説『靖国の宴 戦って散った男たちのおとぎ話』(高木書房)。
■荒谷卓(あらや・たかし) 陸上自衛隊特殊作戦群初代群長。昭和34(1959)年秋田県生まれ。大館鳳鳴高校、東京理科大学を卒業後、昭和57年陸上自衛隊に入隊。福岡19普通科連隊、調査学校、第一空挺団、弘前39普連勤務後、ドイツ連邦軍指揮大学留学(平成7~9年)。陸幕防衛部、防衛局防衛政策課戦略研究室勤務を経て、米国特殊作戦学校留学(平成14~15年)。帰国後、編成準備隊長を経て特殊作戦群初代群長となる。平成20年退官。1等陸佐。平成21年、明治神宮武道場「至誠館」館長に就任し、現在に至る。鹿島の太刀、合気道六段。著書に『戦う者たちへ 増補版』『明治神宮 至誠館武道』(共に並木書房)。
■伊藤祐靖(いとう・すけやす)海上自衛隊特別警備隊初代先任小隊長。昭和39(1964)年東京都出身、茨城県育ち。日本体育大学から海上自衛隊へ。防衛大学校指導教官、「たちかぜ」砲術長を経て、「みょうこう」航海長在任中の1999年に能登半島沖不審船事件を体験。これをきっかけに自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊の「特別警備隊」の創設に関わる。42歳の時、2等海佐で退官。以後、ミンダナオ島に拠点を移し、日本を含む各国警察、軍隊に指導を行う。現在は日本の警備会社等のアドバイザーを務めるかたわら、私塾を開いて、現役自衛官らに自らの知識、技術、経験を伝えている。著書に『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』(文春新書)、『とっさのときにすぐ護れる 女性のための護身術』(講談社)がある。
■予備役ブルーリボンの会 自衛官OB、予備自衛官等で構成する民間団体。拉致問題に関する自衛隊内外への啓発活動、拉致被害者救出に貢献することを目的としている。荒木和博氏は同会代表、伊藤祐靖氏は幹事長、荒谷卓氏は幹事。
※この記事は『〈自衛隊幻想拉致問題から考える安全保障と憲法改正〉』(荒木和博・荒谷卓・伊藤祐靖・予備役ブルーリボンの会著、産経新聞出版 本体1200円+税)の第二章「『死んでこい』に理由がない」から抜粋しました。ネットでのご購入は〈こちら〉へ。
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第14回国民の自衛官に10人2部隊 津波の教訓伝え続ける/南西地域の領空侵犯監視
http://www.sankei.com/life/news/160714/lif1607140011-n1.html
2016.7.14 07:44更新

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災害派遣や国際貢献などで著しい功績のあった自衛官を顕彰する「第14回国民の自衛官」(フジサンケイグループ主催、産経新聞社主管、防衛省協力)の選考委員会が13日、東京・大手町の産経新聞社で開かれた。
 選考会では、陸、海、空それぞれの専門分野で功績のあった自衛官や部隊が推薦され、自己犠牲の精神での人命救助や、社会との絆を強める活動、自衛官としての努力や成果などが重視された。東日本大震災で妻や長女ら家族4人が犠牲となり、津波の教訓を伝える語り部のボランティア活動を続ける自衛官や、海中の不発弾処理を約23年間、無事故で実施してきた自衛官、南西地域の領空侵犯をレーダー監視する航空隊など10人2部隊を選出した。
 表彰式は10月12日、東京都新宿区のホテルグランドヒル市ケ谷で行われる。受章自衛官、部隊は次の通り。
 【陸上自衛隊】施設学校(茨城・勝田)岡崎倫明3等陸佐(53)▽普通科教導連隊(静岡・滝ケ原)小城健一1等陸曹(40)▽第50普通科連隊(高知・高知)八木亜生都2等陸曹(25)▽第52普通科連隊(北海道・真駒内)片山志保即応予備2等陸曹(38)▽第6施設大隊(山形・神町)佐々木清和1等陸尉(49)▽元第5対戦車ヘリコプター隊(三重・明野)前田陽一元3等陸佐(54)▽富士教導団特科教導隊(静岡・富士)山崎隼人3等陸曹(24)、山崎侑子3等陸曹(23)▽第8通信大隊陸士会(熊本・北熊本)
 【海上自衛隊】横須賀警備隊本部(神奈川・横須賀)●川好夫海曹長(48)
 【航空自衛隊】救難教育隊(愛知・小牧)藤木信吾准空尉(53)▽南西航空混成団南西航空警戒管制隊(沖縄・那覇)
                   ◇
 協  賛=一般社団法人日本防衛装備工業会、防衛懇話会、タカラベルモント、青山メインランド
 特別協賛=航空新聞社
 選考委員=志方俊之・帝京大教授▽井上和彦・ジャーナリスト▽野津研二・一般社団法人日本防衛装備工業会専務理事▽石井聡・産経新聞社論説委員長▽乾正人・産経新聞社編集局長▽ 伊藤富博・産経新聞社事業本部長
●=魚へんに生

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【国民の自衛官横顔(1)】PKO早期展開支援 訓練に尽力 陸自研究本部の岡崎倫明3等陸佐(54)
http://www.sankei.com/politics/news/160907/plt1609070005-n1.html
2016.9.7 06:59更新
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定年後も発展途上国のへの支援に協力したいと話す岡崎倫明3等陸佐=8月2日、東京都練馬区大泉学園町の朝霞駐屯地

陸自施設学校でカンボジアなど発展途上国に対する能力構築支援事業を担当していた昨年9~10月、ケニアで国連として初めて行われた国連平和維持活動(PKO)早期展開支援の試行訓練に、チーム長として参加した。参加4カ国の軍人に建設機械の操作方法を指導し、各国との信頼関係醸成にも寄与。「事業に携われたことがありがたく、受章できて光栄に思う」と万感の思いを口にした。
試行訓練はPKOの早期展開のため、道路などのインフラ整備能力を向上させることなどが目的だ。しかし、6週間でブルドーザーなど4つの重機の操作を教える訓練は、スタート前から前途多難だった。
中には車の免許さえ持っていない者がいた。また、ある国の幹部は技術指導に対し「覚える必要はない」と反発。「なぜ覚える必要があるのか」を理解させるところから始まった。納得させてから指導を進めると、反発していた幹部も「俺に最初にやらせろ」と積極的な姿勢をみせるようになったという。
訓練は実り、「住む場所を準備するから国に来てくれ」と参加者から声が上がるほど深い信頼関係を築くこともできた。「日本の教育なら、どこでやっても能力を高められる」という自信にもつながった。
来年8月には定年を迎えるが、「今後も早期展開支援は続く。知恵を貸してほしいと言われれば、必要なことを伝える」と協力を惜しまないつもりだ。(宮野佳幸、写真も)

防衛省・自衛隊の各専門分野での地道で顕著な功績を表彰する「第14回国民の自衛官」に選ばれた10人と2部隊の横顔を紹介する。表彰式は10月12日午後2時から、東京都新宿区のホテルグランドヒル市ケ谷で行われる。
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【国民の自衛官横顔(2)】陸自普通科教導連隊 小城健一1等陸曹(40) 陸自第50普通科連隊 八木亜生都2等陸曹(26) 国際射撃競技会で初の総合1位
http://www.sankei.com/life/news/160908/lif1609080004-n1.html
2016.9.8 08:22更新
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アーサム狙撃部門で陸自初の1位となった小城健一1等陸曹(右)と八木亜生都2等陸曹 (陸上自衛隊提供)

今春開催されたオーストラリア陸軍主催の国際射撃競技会(AASAM=アーサム)の狙撃部門で、陸上自衛隊として初の総合1位を獲得した。実戦経験のある米国や英国など12カ国の精鋭18チームが参加した中での快挙は、自衛隊の射撃技術の高さを世界にアピールした。
銃を撃つ八木亜生都2等陸曹と風向きなどを指示する小城健一1等陸曹は、「今回世界一になれなかったら今後は無理」と周囲に言われるほどの最強ペア。小城1等陸曹は「失敗してもお互いが取り戻すという信頼関係があった」、八木2等陸曹も「2人の呼吸がかみ合っていた」と振り返る。
1位になるまでの道のりは簡単ではなかった。特に小城1等陸曹は「アーサムに出るまで4年間、メンタル面などを鍛え直した。中隊や家族にも迷惑をかけ、出場が決まったときは涙がこぼれた」と話す。
本番(狙撃部門)の標的は約1キロ先。八木2等陸曹は「射撃は常に平常心でいることが重要。1年前には風の影響を完璧に読み切れない部分が自分にあったが克服し、自信を持ってのぞんだ」結果、狙撃部門の総合1位だけでなく、小銃部門でも見事優勝した。
アーサムでの結果が「(テロなどさまざまな脅威に対する)抑止力につながれば」と期待する2人。今後の目標は射撃技術のさらなる向上に加え、後進の育成だ。八木2等陸曹は「指導者としてアーサムへ行き、次に出る選手を優勝させたい」と力強く語った。(角田純一)
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【国民の自衛官横顔(3)】ウルトラマラソンこなす鉄人 陸自第52普通科連隊の片山志保即応予備2等陸曹(38)
http://www.sankei.com/politics/news/160909/plt1609090087-n1.html
2016.9.9 23:56更新
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救命の訓練を率先して行う第52普通科連隊本部管理中隊即応予備2等陸曹、片山志保さん=陸自旭川駐屯地(杉浦美香撮影)

「誰か心臓マッサージをできる人いますか?」
北海道・陸上自衛隊旭川駐屯地。衛生技術の実習を行う即応予備自衛官の誰よりも率先して声を出した。「反復して自信がなければ、実際に実践することはできませんから」
短大卒業後、陸上競技を続けるため、当時スポーツに力を入れていた陸自に入隊した。自衛隊が主催する大会の駅伝チームの選手として活躍し、28歳で退官すると同時に即応予備自衛官となった。
その後は年30日の訓練を毎年こなしてきた。東日本大震災では「現場に行けるか」と連絡を受け、覚悟を決めた。結局、自らの派遣はなかったが、自衛官である夫は遺体捜索の任務に従事した。
現在は旭川市の幼稚園で栄養士を務めながら、衛生技術の習得や指導を行っているが、実は自衛隊での経験を生かした、もう一つの顔がある。
退官後に自分の体力を試そうと参加したサロマ湖100キロウルトラマラソンで上位入賞し、それをきっかけに日本代表として世界選手権に連続出場。個人として最高6位、日本団体として銀メダル獲得に寄与した"鉄人ウーマン"だ。
さらに100キロ女子では世界1位のタイムを記録したこともあるなど、走る能力は並の男性自衛官をしのぐ。
「選手として今の私があるのも自衛隊があってこそ。私の人生の全てです。この体力、衛生技術も含めて役立てたい」。そう話し、目を輝かせた。(杉浦美香)
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【国民の自衛官 横顔(4)】陸自第6施設大隊・佐々木清和1等陸尉 津波で家族失い 体験語り継ぐ
http://www.sankei.com/politics/news/160917/plt1609170015-n1.html
2016.9.17 07:57更新
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「語り部」として自らの震災体験を伝えている佐々木清和1等陸尉 =山形県東根市の神町駐屯地(森山昌秀撮影)

平成23年3月11日。東日本大震災による津波で宮城県名取市の自宅が押し流された。妻、りつ子さん=当時(42)、長女、和海(かずみ)さん=同(14)、妻の両親の5人家族。自らは陸自船岡駐屯地(宮城県柴田町)で勤務中だった。「みんな避難して無事だろう」と信じたが、自身の携帯電話に着信記録がなく不安がよぎった。10日後に和海さん、翌日はりつ子さんらと悲しみの対面を果たした。
有事に道路や橋の構築・修復を通じ戦闘支援する施設科に所属する。大地震などでは瓦礫(がれき)の撤去活動などに従事する災害派遣のプロ集団だ。昭和57年の入隊以来、阪神大震災、有珠山噴火、中越地震と数々の災害現場を経験。東日本大震災では自らも被災者でありながら、約70人の隊員を率いる中隊長として宮城県石巻市と駐屯地を往復した。
「自分が弱さを見せたら多くの人命救助に従事する部隊の士気に関わる。痩せ我慢でも自分なりに気を張っていたつもり」という。
昨年6月、名取市の津波復興祈念資料館の依頼で語り部のボランティアを始め、8月までに計18回、約800人に自身の体験を伝えた。「自分の身を守るため津波の危険があればとにかく逃げること、家族との平凡な日常生活のありがたさを訴えている。それが自分の務めだと思っている」
現在は山形県東根市の神町駐屯地に勤務。帰宅後、「今日も暑かったよ」などと語りかける仏壇の傍らには、今年、成人を迎えるはずだった和海さんのスーツが用意してある。(森山昌秀)

主催 フジサンケイグループ
主管 産経新聞社
協力 防衛省
協賛 日本防衛装備工業会、防衛懇話会、タカラベルモント、青山メインランド
特別協賛 航空新聞社
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【国民の自衛官横顔(5)】陸自中部方面航空隊第5対戦車ヘリコプター隊 前田陽一元3等陸佐(54) 日本一の「コブラ」パイロット
http://www.sankei.com/politics/news/160921/plt1609210004-n1.html
2016.9.21 06:59更新
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対戦車ヘリコプター「コブラ」を自在に操ってきた前田陽一元3等陸佐

戦うためだけに生まれてきた対戦車ヘリコプター「AH-1S」。通称・コブラ。その獰猛(どうもう)な機体を自在に操り、誰もが「日本一のコブラパイロット」と最高の尊称で呼ぶ。「人の評価なのでわかりません」。本人はいたって謙虚だ。
昭和53年、地元・山口県宇部市の宇部工業高1年のとき、友人から誘われて陸上自衛隊少年工科学校(現・陸自高等工科学校)に。ヘリとの出合いは58年にパイロットの卵を養成する陸曹操縦学生になってからだ。そして、平成元年に当時最強とされたコブラの乗務が始まる。
コブラはフルに燃料を搭載すると、最大離陸重量に近くなり、最大武装できない。逆に最大武装すると燃料が制限され、長時間の飛行ができないという"矛盾"を抱える。このため、飛行時は常に限界ギリギリのパワーが必要で、「日本一危険なヘリ」といわれるほど操縦が難しい。
第1対戦車ヘリコプター隊(北海道帯広市)に所属していたとき、高度約1千メートルで突然、エンジンが停止した。地上までに残された時間は約1分間。再始動は数分かかるため、選択肢にはない。冷静な判断でオートローテーション(自動回転)を使って着陸し、同僚と機体を守った。
部隊の記念行事では、自衛隊パイロットの栄誉とされる展示飛行の大半を任された。その卓越した飛行技術を多くの後輩に伝え、今年3月に現役を退いた。今は故郷に戻り、山口市の防災危機管理専門委員として市民の安全を担う。戦士の休息はまだまだ先のようだ。(菊池昭光)
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【国民の自衛官横顔(6)】陸自富士教導団特科教導隊(静岡) 山崎隼人3等陸曹(24)・山崎侑子3等陸曹(23) 沖に流された親子、夫婦で救助
http://www.sankei.com/politics/news/161004/plt1610040005-n1.html
2016.10.4 01:02更新
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長女の穂乃佳ちゃんをあやす山崎隼人3等陸曹(右)と妻の山崎侑子3等陸曹=静岡県富士市の富士学校

昨年8月31日、休暇を利用して訪れた静岡県下田市の多々戸浜で、山崎隼人3等陸曹と妻の山崎侑子3等陸曹はサーフィンやボディーボードを楽しんでいた。午前10時ごろ、浜辺に響いたのは「助けて」という叫び声。侑子3等陸曹が振り返ると、沖合で流されている母と娘を発見した。
ボディーボードを携え、一目散に海に飛び込んだ侑子3等陸曹。近くまでたどり着いたが、親子2人はパニック状態となり、侑子3等陸曹の体にしがみついて「怖い、怖い」と恐怖に震えていた。まもなく隼人3等陸曹も駆けつけ、親子に「大丈夫ですよ」と声を掛けて落ち着かせながら、冷静にボディーボードをつかませた。
目の当たりにしたのは、子を思う母の強さだった。母親は先に救助され、岸に到着した際も「怖い怖い」と腰を抜かしていたが、娘がまだ海にいると知るやいなや、迷わず海へ飛び込んだ。侑子3等陸曹はその姿が今も目に焼き付いている。
今年6月、夫婦の間に新しい命が誕生した。「謙虚な人になりますように」との思いを込めて、隼人3等陸曹が「穂乃佳」と命名。娘をあやす2人はとても幸せそうだ。救助のときには驚いた母親の行動も、子供を持つ今となっては「自分が溺れると分かっていても同じ行動をとると思う」と理解できる。
「人として当たり前の行動でも感謝されるのはうれしい」と隼人3等陸曹。育児休暇中の侑子3等陸曹を支えながら仕事に励んでいる。(吉沢智美、写真も)
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【国民の自衛官横顔(7)】陸上自衛隊第8通信大隊陸士会 自衛隊サンタ、児童施設を慰問
http://www.sankei.com/politics/news/161004/plt1610040048-n1.html
2016.10.4 21:04更新
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児童養護施設を慰問し、子供たちと会食を楽しむ陸上自衛隊第8通信大隊陸士会の隊員たち(大村報徳学園提供)

毎年クリスマスイブになると、鹿児島県薩摩川内市の児童養護施設「大村報徳学園」には"自衛隊サンタ"がやって来る。隊内で集めたカンパで買ったプレゼントを持参し、1泊の泊まりがけで非番の陸士会有志十数人で訪れ、子供たちと遊び、交流を深めている。
「ここまで続くと、誇るべき恒例行事になった」。水町忠男先任上級曹長(53)は笑顔で語る。始まりは昭和45年夏。第1中隊が同市の海水浴場で水難救助訓練を行った際、施設の児童たちが海水浴に来ていた。家庭の事情で親元を離れて暮らす子供たち。引率の先生から話を聞いた隊員有志は「自分たちに何かできることはないか」と考え、同年12月から交流の慰問活動を始めたという。
46回目の訪問となった昨年のイブには、陸士会代表の吉永稜麻陸士長(23)ら若い隊員13人がマイカーに乗り合わせて向かった。公園でドッジボールやサッカーを楽しみ、食事会で子供の出し物を観賞、プレゼントを渡した。「帰るとき、小さい子たちは泣いて別れを惜しんでくれた。温かく見送ってくれた子供たちの姿が忘れられない。また来たいと思った」。吉永陸士長は振り返った。
毎年4月の第8師団創立記念行事には、同施設から児童たちが遊びに来る。白石浩幸第1中隊長(40)は「ぬくもりや優しさを提供する代わりに、陸士会隊員たちも元気をもらって帰ってくる。今後も続くよう活動を支援したい」と目を細めた。(谷田智恒)
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【国民の自衛官横顔(8)】海自横須賀警備隊本部 すけ(魚へんに生)川(がわ)好夫海曹長(48) 危険と隣り合わせで潜水1万6000時間無事故
http://www.sankei.com/politics/news/161005/plt1610050039-n1.html
2016.10.5 19:53更新
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海自横須賀警備隊のすけ(=魚へんに生)川好夫海曹長

日米両軍が先の大戦中に日本近海に敷設した機雷などを処理する水中処分員(EOD)として、22年以上にわたって、硫黄島沖での機雷処分訓練や各地の港で爆発性危険物の調査・処理に携わってきた。危険と隣り合わせの現場での潜水は1万6千時間を超えるが、任務完遂に加えて「無事故潜水」を貫いたことも大きな勲章だ。
 茨城県つくば市出身。「陸と空は目にする機会があったが、海だけは未知だった」と海上自衛隊を選び、入隊前は存在すら知らなかったEODを志願した原動力も、「新しい世界に入りたい」という好奇心だった。
 朝から晩までプール漬けの訓練を経て「陸で普通にできている動作や会話が、水中では一切できないことを知った」。その中で自己鍛錬に努め、命を削って作業をしている先輩隊員の姿にあこがれ、「天職」を極める覚悟ができた。
 掃海艦に乗船しての任務は長いときは3カ月に及んだ。任務はバディ(相棒)との2人1組が鉄則だが、海底は暗くて視界が悪く、30センチ先が見えないことも。一度、海中でバディの姿を見失ったときには恐怖と戦いながらバディの呼吸音を探した。「少しでもおごりがあれば死に直結する」という言葉を痛感した瞬間だった。
 現在は先任伍長として隊員約250人の先頭に立つ。現場での潜水任務は後進に譲ったが、「EODは『知識・技術・経験』を兼ね備えなければいけない。まだまだ自分が伝えられることはある」と前を向く。(古川有希)
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【国民の自衛官横顔(10)完)空自南西航空混成団南西航空警戒管制隊
http://www.sankei.com/politics/news/161008/plt1610080005-n1.html
2016.10.8 02:00更新
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南西航空警戒管制隊の隊員と横尾広隊司令(前列中央)。後ろはレーダー

中国機の領空接近に対する航空自衛隊の緊急発進(スクランブル)は4~6月の統計で過去最多の199回を記録した。尖閣諸島(沖縄県石垣市)にも忍び寄り、防衛白書は尖閣に向けた「南下」の動きを新たに指摘。部隊はそうした飛行に日夜目を光らせる。
 領空接近の回数の増加に加え、自衛隊機への異常接近など「何をしてくるか分からない不気味さもある」と隊司令の横尾広1等空佐(49)は話す。レーダーに映る無数の影から警戒すべき航空機を見抜き、空自機に緊急発進を命じるか瞬時の判断を迫られる。
 発見・識別・迎撃という領空侵犯を防ぐ対処の中でミスは許されず、部隊には緊張感がみなぎる。慣れと油断は禁物で、基本に忠実であることを徹底する。
 傘下に持つレーダーサイトは離島や僻(へき)地(ち)にあり、隊員には生活の不便さが伴うことも多いが、先輩隊員は任務のやりがいを伝え、家族ぐるみの包容力で若い隊員を支える。離島や僻地だからこそ、ひとたび災害が起きれば住民を救う貴重な戦力にもなる。
 部隊が国民の目に触れることは少ないものの、運用の中枢でもある。航空機やミサイル部隊に指示を出し、担当空域全体の作戦を統制するからだ。
 ただし、そこでも最も重要なのはやはり敵機の発見で、見逃せば作戦は成り立たない。
 発見を担うのは幹部ではなく、警戒管制員と呼ばれる曹士。「領空を守る目である彼らこそ受章の代表」(横尾隊司令)だ。(半沢尚久)
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Posted at 2016/10/12 09:33:28

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