レーシング・ポルシェといえば...やっぱりガルフ、でしょうか ?
パウダーブルーにオレンジのストイライプ。
ひときわ目を惹く配色で、オールドポルシェの造形にもよくマッチ。
モディファイの定番として人気があるのも頷けます。
さてこのカラースキーム、いったいいつ頃から存在していたのでしょう ?
調べてみました (^ ^b
ワークスチームにおけるカラースキーム考察、第二弾は “Gulf” です。
Gulf Oil
1901年に米国テキサス州で創業の石油会社*。
自動車関連企業ということもあって、モータースポーツのスポンサーとしては最古参の部類と思われます。
1960年代初頭には既に、ガルフ・オイルのスポンサードを受け、小さなオレンジディスクの “Gulf” ステッカーを車体に貼ったレーシングカーが散見されます。
ガルフとモータースポーツの歴史を紐解く上で、絶対外せないふたりの人物がいます。
グレーディー・デービスと、ジョン・ワイヤー。
デービスはガルフ社の研究開発部門担当副社長で、'60年代には自らシボレー・コルベットを駆り、レーシングチームを率いてアメリカ国内のレースに参戦するほどのスピードマニアでした。
自社製石油製品の開発と宣伝には、レースに実戦投入して勝つのが一番と考えていたフシがあります。
一方ワイヤーは、優勝請負人として名を馳せた、レースエンジニア/チーム監督の英国人。
'50年代、ワークス・アストンマーチンの監督として活躍し、'59年にはル・マン総合優勝。
'64年にフォードに請われ、英国のアドバンスド・ビークル社でGT40の開発に携わります。
'67年からは、ジョン・ウィルメントと共に設立した、J.W.オートモーティブ・エンジニアリング (JWA) として独立。
フォードGT40や、自社開発のボディにフォードV8エンジンを搭載したミラージュで、幾多の勝利を挙げることになります。
GT40に大きな可能性を見出していたデービスが、JWAの独立に際し多額の資金を調達したことが、その後のガルフ社とジョン・ワイヤーとの切っても切れない縁の始まりでした。
下の画像は'67年2月4日、国際マニュファクチュアラー選手権第一戦デイトナ24時間にJWAから出走したフォードGT40。
JWA初期のドライバー陣は、ディック・トンプソンとジャッキー・イクスをレギュラーに、デビッド・パイパー、リチャード・アトウッド、ブライアン・ミューア、ペドロ・ロドリゲスらが名を連ねました。
まだ無名の若者だったイクスを発掘したのは、ガルフとJWAだったようです。
濃紺のボディセンターに、オレンジのストライプ。
見え難いですが、フェンダーサイドにGulfのオレンジステッカーが貼ってあります。
次は上の画像から二ヶ月半後、'67年4月25日の選手権第三戦モンツァ1000km。
どうやら...これがかの有名な “Blue & Orange”、ガルフ・カラースキームの初出です。
マシンはJWA自社開発のミラージュM1。
GT40のボディを空力的に大改造し、フォード製5リッターV8を搭載。
上のGT40と比較すると、ルーフの幅がかなり絞り込まれていますね。
一週間後のスパ1000kmでは、イクス/トンプソンのドライブで初勝利を挙げています。
伝統的なナショナルカラー**をまとうレーシングカーがほとんどだったこの時代、スポンサー企業のイメージカラー***を前面に押し出す先駈けにもなりました。
JWAはこの年のレースに、二台のミラージュM1を投入していました。
初期のレースはいずれもボディセンターにストライプが真っ直ぐ一本のカラースキームでしたが、選手権七戦目のル・マンあたりから、一台はノーズ部分が銀杏の葉型に広がるストライプに変更。
同じ配色でも、マシンの識別性が高まりますね (^ ^b
画像は'67年のル・マン24時間を走る、二台のミラージュ。
ノーズ広がりの14号車はパイパー/トンプソン組、ストレートの15号車はイクス/ミューア組。
'68年からは、国際メーカー選手権のレギュレーション改正の関係で、ミラージュM1をGT40タイプに再改造して参戦。
レギュラードライバーはイクスを筆頭に、ブライアン・レッドマン、ポール・ホーキンス、デビッド・ホッブスの四名、最終戦のル・マンではロドリゲスも起用されました。
選手権レース十戦のうちル・マンを含む五戦で勝利し、フォードのタイトル獲得に貢献しています。
翌'69年はレッドマンとホーキンスに替わり、ジャッキー・オリバーとマイク・ヘイルウッドが加入。
ル・マンでは、イクス/オリバー組のGT40がワークス・ポルシェの908とデッドヒート。
ゴール直前でポルシェをかわしてフラッグを受け、ポルシェ悲願のル・マン総合優勝を阻止しました。
'69年シーズンオフ、サーキットに激震が走ります。
なんとこの年、ル・マンで最後までJWAとデッドヒートを繰り広げたポルシェが、当の宿敵であるジョン・ワイヤーをスカウト。
ポルシェは、翌'70年からレース現場のチーム運営を外部に委託し、自らはレース車両開発に専念することにしたのです。
そこで白羽の矢がたったのが、チーム監督としての腕を買われたジョン・ワイヤーとJWAチーム。
ポルシェがこの年獲り逃がしたル・マンのタイトルを何としても手に入れるための、優勝請負人の役割が期待されたのでした...
つづく。
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1984年吸収合併されシェブロン社に。その後、子会社のGOTCO (ガルフ・オイル・トレーディング・カンパニー) が “Gulf” の商標権を買い取り、Gulfブランドの潤滑油販売を開始。現在はガルフ・オイル・インターナショナルと改名し、英国に本拠地を移しています。
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1900年から1960年代末まで、レーシングカーは慣習的に (時期によってはルールで規制され) その国のシンボルカラーで塗られていました。イタリア車は赤、ドイツ車は銀 (白)、フランス車は青、イギリス車は濃緑...等々。
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ガルフ社の本来の企業カラーは、ロゴマークに使われているネイビーとオレンジ。ミラージュも当初は上のGT40と同じカラーリングになる予定でしたが、グレーディー・デービスの「こっちの方が目立つし刺激的じゃない ?」的発案で、パウダーブルー/オレンジの組み合わせに。ちなみにパウダーブルーは、ガルフ社が以前に買収していたウィルシャー・オイル社のカラーだそうです。