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2013年08月17日 イイね!

ワークスチームにおけるカラースキーム考察その六 ~Gulf/伝説の復活

ワークスチームにおけるカラースキーム考察その六 ~Gulf/伝説の復活すっかりのご無沙汰でゴザイマス (^ ^;

先月は37℃オーバーの酷暑の中、ターボくんを本州最南端往復に引っ張り出してお腹いっぱい (xox
しばらく野外活動はダイジョウブな感じで籠もっておりました。

そろそろツクツクボウシでも鳴いてくれないかなと願いつつ...
宿題を片づけてしまいましょう (笑
四ヶ月も空いちゃいましたが、『カラースキーム考察/ガルフ編』の最終回、お届けします。

前回までのお話は↓コチラ↓から
カラースキーム考察その四 ~Gulf/フォードの時代
カラースキーム考察その五 ~Gulf/ポルシェの時代


(承前)

'75年のル・マン総合優勝を最後に、スポーツカー耐久レースの表舞台から姿を消していたガルフ。
二十年近くの歳月を経た'94年のサルト・サーキットに、突如そのビッグネームは復活しました。
ガルフ・オイル・レーシング。
ジョン・ワイヤーが率いた'70年代のガルフ・リサーチ・レーシングと直接繋がりはなく、チームの母体となったイギリスのプロジェクト100モータースポーツが「ル・マンにガルフ伝説の再来を」とガルフ・オイル社のマーケティング部門に掛け合い、メインスポンサーに担ぎ上げた、というのが真相のようです。
マシンは、エルヴィン・クレーマーの手による、ポルシェ962ベースのクレーマーK8*。
筆頭ドライバーには、かつてガルフ・ミラージュGR8でル・マン総合優勝を勝ち取り、その後ワークス・ポルシェでもル・マン四勝の大ベテラン、デレック・ベルを迎えました。

画像は'94年ル・マンのスタート直後の様子。
十九年ぶりの復活に際し、カラースキームは原点のネイビー/オレンジに戻されました。
紺メタのボディにシルバーとオレンジのストライプが映えますね。
'94年というと、ポルシェでいえば最後の空冷モデル993が発売された年。
紺メタの993にオレンジの差し色を入れて、ガルフ復活へのオマージュ...なんてモディファイはアリかも ? (あ、すでにやっていらっしゃる方が !?:笑)
本戦では、格下のGT1カテゴリーから出走したダウアー・ポルシェ** (画像右後方に写っているFATとSHELLの二台) に先行され六位フィニッシュに終わりましたが、伝説復活を予感させるには充分なインパクトのあるマシンでした。



ガルフ・オイル・レーシングの活動は'94年のシーズン限りで終了。
しかし、ガルフのマシンは翌シーズンからもサーキットを賑わします。
'95年からガルフ・オイル社のスポンサードを受けることになったのは、イギリスのGTCコンペティション・チーム。
この年GT1クラスに参入したマクラーレン陣営の一角として、二台のF1-GTRを走らせることになりました。
ガルフ社とマクラーレン社との関係は実はとても旧く、創始者のブルース・マクラーレンが活躍した'60年代まで遡ります。
当時のガルフ社は、ブルースのレーサー/コンストラクター活動を個人的に支援していました。
画像は'68年F1選手権のマクラーレンM7Aと、同じく'68年Can-AmシリーズのM8A。
ドライバーはいずれもブルース・マクラーレンその人です。



ドライバーが車体センターに位置する三人乗りスーパーカーとして、'93年発売当時話題をさらったマクラーレンF1。
いつか自分の名前を冠した究極の公道マシンを世に送り出したい、という生前のブルースの想いがついに現実となったモデルでもあります。
その性能はさすがに非凡なものがあり、デビューイヤーの'95年ル・マンでは、国際貿易UKチームの一台が格上LMP1クラスを押し退けて、いきなりの総合優勝を果たしました。
画像は同じく'95年ル・マンを、ガルフのスポンサードで走るGTCコンペティション (チーム名はガルフ・レーシング) のマシン。
カラースキームは、前年のクレーマーK8の紺メタ/シルバー/オレンジのパタンを踏襲しているようですね。
チームはこの後、毎年カラーリングを変えながら'98年までの四シーズンをF1-GTRで戦い、'97年のル・マンでは見事総合二位を勝ち取りました (この時のチーム名はガルフ・チーム・ダビドフ・マクラーレン)。



今世紀に入り、ガルフ・オイル社のモータースポーツに対するスポンサー活動は、益々盛んになってきています。
その中から主なものをピックアップすると...
まずは2001年、アウディ陣営からル・マンに参戦したヨハンソン・モータースポーツ (英) のアウディR8。
伝統の “ガルフブルー” カラースキームの復活です。



2008年からは、ワークス・アストンマーチンのメインスポンサーに。
こちらは'08年ル・マンを走る、アストンマーチン・レーシングチームのDBR9。
御大ジョン・ワイヤー指揮の下、ワークスの初代DBR1/300が総合優勝に輝いてから、実に四十九年目のこと。
映画007公開との連動企画だったという “007” のゼッケンナンバーが印象的でしたネ。



そして2012年、ガルフレーシング・ミドルイーストが活動を開始***。
現在は日産エンジン搭載のLMP2マシン、ローラB12/80で世界耐久選手権 (WEC) に参戦しています。
日本人女性ドライバーの井原慶子選手が所属することでも話題になりましたね。
今のところ'70年代の圧倒的な強さの再現とまではいかないようですが、ガルフのマシンはきっとこれからも、世界中のサーキットにその鮮烈なイメージを刻んでいくのでしょう。
連載最終回の〆はコチラ、2012年のル・マン挑戦を記録した超クールな映像で (^_-)-☆




Gulf編、おしまい。


*Kremer K8 Spyder
この年改定されたル・マンとIMSAのレギュレーションに合わせ、LMP1/C90クラスの車両として製作。ハニカム・アルミとカーボンを使用したトンプソン製ポルシェ962強化モノコックに、クレーマーがデザインしたケプラー複合素材のオープンボディを架装。水冷ヘッド付き935型3リッター空冷フラット6の出力はリストリクターにより530馬力に絞られていますが、スプリントに強い軽量オープンボディと空力の良さを武器に予選二位、セカンド・グリッドを獲得しました。


**Dauer 962 Le Mans
ドイツのダウアー・レーシングが製作した、ポルシェ962を公道リーガルに仕立て直したスーパーカー。公道仕様とはいえ、心臓部には730馬力の935型レーシングエンジンがほぼそのまま搭載される反則スレスレのモデル (苦笑)。ポルシェは、ホモロゲーションに必要な最低生産台数が明記されていなかったル・マンのルールブックの穴を突いて、この車両を「市販スポーツカー」としてGT1クラスに申請しました。962ベースという点ではクレーマーK8と兄弟車のようなものですが、GT1クラスはリストリクター径が大きいためエンジンのパワーロスが少なくて済み、燃料タンクも大きなものを使用できる (=給油回数が少なくて済む) 点で、格上のLMP1クラスに対するアドバンテージがありました。


***Gulf Racing Middle East
2010年に結成されたプライベートチーム、Gulf Team Firstが母体。Gulf AMR Middle Eastを経て2012年、UAEに本拠地を置くガルフレーシング・ミドルイーストと、イギリスに本拠地を置くガルフレーシングUKに分離。ガルフレーシングUKの方は現在、ガルフブルーのマクラーレンMP4-12Cで耐久レースに参戦しています。
Posted at 2013/08/17 19:30:19 | コメント(3) | トラックバック(0) | カラースキーム考察 | クルマ
2013年04月06日 イイね!

ワークスチームにおけるカラースキーム考察その五 ~Gulf/ポルシェの時代

ワークスチームにおけるカラースキーム考察その五 ~Gulf/ポルシェの時代(承前)


'70年のシーズンを、ポルシェの公認チームとして戦うことになったジョン・ワイヤー。
ポルシェからは、最新のワークスマシンとドライバーが派遣されますが、マシンの整備とチーム運営は全面的にJWAが担当、ワイヤーのスポンサーであるガルフ社も引き続きJWAの活動を支援することが決まりました。

ポルシェから派遣されたのはワークスのエースドライバー、ジョー・シフェールとブライアン・レッドマン。
これとは別にワイヤーが独自に雇ったのが、フォード時代から旧知のペドロ・ロドリゲスと、新人のレオ・キヌーネン*。
このナンバーツー・コンビには、スポンサーのガルフ社が報酬を支払っていたようです。
*本当は自ら発掘した秘蔵っ子ジャッキー・イクスを連れて行きたかったのですが、フェラーリに先手を取られ断念。実現していれば “ポルシェのイクス” をもっと早く見ることができたんですね。


ジョン・ワイヤーの最初の仕事は、ポルシェの旗艦、917の大改造でした。
ポルシェ初の12気筒モンスターはそのパワーを持て余し気味で、デビューシーズンの戦績はいまひとつ。
GT40で大排気量マシンを御す経験をすでに積んでいたJWAの技術陣は、ボディ形状に問題ありと見抜きます。
即席でリアカウルにアルミ板をタップ留めしてハネ上げ、ボディをクサビ形に近づけることによりダウンフォースを確保、高速安定性を劇的に改善させました。

このテスト結果を基に誕生したのが、ポルシェ917K (ショートテール) です。
空力的問題が解決された917は、前年までの暴れ馬とはうって変わり、'70年シーズン開幕戦デイトナ24時間でいきなりのワンツーフィニッシュ。
その後もJWAの二台の917Kは勝利を重ね、出走した選手権レース八戦で実に六勝、圧倒的な強さを見せつけました。
画像はル・マンのコースを走る、シフェール/レッドマン組 (20号車) とロドリゲス/キヌーネン組 (21号車)。
カラースキームは、フォード時代を踏襲していますネ (^ ^b



またシーズンを完璧なカタチでものにしたいポルシェは、ツイスティなコースには専用のコーナリングマシンを用意、タルガフローリオとニュルブルクリンク1000kmの二戦に投入しました。
ポルシェ908/03、前後オーバーハングを切り詰めたボディに、8気筒3リッターエンジンを搭載した小兵です。
画像は'70年タルガフローリオの出走前の様子。
矢印をモチーフとしたカラースキームが印象的です。
JWA三台のうち、シフェール/レッドマン組 (12号車) とキヌーネン/ロドリゲス組 (40号車) がワンツーフィニッシュを決めました。



'70年のシーズンを総括すると、選手権レース全十戦中JWAが七勝、うち三戦でワンツーフィニッシュ。
JWA組がリタイアしたニュルとル・マンは僚友チームのポルシェKGザルツブルクが勝利し、結局ポルシェが取りこぼしたのはシリーズ第二戦セブリング12時間のみ、という完勝に終わりました。
この年のポルシェ...特にワイヤー率いるJWAチームは、本当に強かったのです。
ポルシェは獲得ポイントでフェラーリを大きく引き離し、二年連続の国際メーカー選手権を獲得。
ワークス・ナンバーワンチームを託されたワイヤーも、ひとまず面目躍如といったところだったでしょう。
唯一、ル・マンの総合優勝という課題を残して。

...そう、JWAが勝てなかった数少ないレースのひとつが、ル・マン。
スティーブ・マックイーン主演の映画『栄光のル・マン』の影響で “'70年ル・マンの勝者=ガルフ・ポルシェ” のイメージが強いですが、実際は出走したJWA勢は全車リタイア。
優勝請負人として期待されていたワイヤーは、忸怩たる思いだったはずです。
この時代、“ル・マンで勝つ” ことの意味は、現在とは比べ物にならないくらい大きかったのです。
ワイヤーの宿題は翌年に持ち越しとなります。



'71年シーズンはドライバーに一部変更があり、レッドマンとキヌーネンの代わりに、デレック・ベルとジャッキー・オリバーが加入。
それぞれシフェール、ロドリゲスとコンビを組みました。
メインマシンは引き続き二台の917Kと908/03。
前年の雪辱を期したル・マンには、専用仕様である二台の917LH (ロングテール) も投入されました。
画像の17号車はシフェール/ベル組のポルシェ917LH。
この車両はストライプ・レスで、ルーフがオレンジのカラースキームを採用しています。
これは、前年のル・マンにスポット参戦したショートテール22号車と同じデザイン。
映画では22号車が見事優勝したのですが...



シフェール組とロドリゲス組は、まさかの二年連続リタイア (>_<
JWA三番手として投入されていたアトウッド/ミューラー組の917K (19号車) が二位に食い込み、何とか面目を保ったものの、トップの座はマルティーニ・レーシングの白い917Kにさらわれてしまいました。
またしても総合優勝は僚友チームへ...
ポルシェ時代のジョン・ワイヤー、ル・マンにはよくよく縁がなかったようです (^ ^;



シーズンが終わってみれば、JWAは選手権十一戦中五戦で勝利し、そのうち三戦はワンツーフィニッシュ。
残り六戦のうち三戦はマルティーニの勝利で、前年に続きポルシェが国際メーカー選手権を獲得しました。
この間、チームの勝ち頭であったロドリゲスをアクシデントで失う**悲劇を乗り越えての、堂々たる、まさに横綱相撲の勝ちっぷりでした。
**ロドリゲスはシーズン終盤の1971年7月11日、プライベーターのフェラーリ512Mを駆ってノリスリンクで行われたインターセリエに出場、事故で還らぬ人となりました。


ガルフとポルシェの時代は、これにてお終い。
CSIのレギュレーション改定で917を使用できなくなったポルシェは、翌年の世界メーカー選手権争いから撤退、JWAとの委託契約も終了します。
ポルシェのレーシングカーが公式にガルフのカラースキームをまとったのは、実は'70~'71年の二シーズンだけだったんですね。
そしてシーズンオフには、ロドリゲスの後を追うように、ワークス・ポルシェを牽引してきたエースドライバーのシフェールも他界。
ひとつの大きな時代が終わった、感があります。
あまりに強く、あまりに儚く...わずかな時間の中で人々に鮮烈な記憶を残したチームでした。

左がシフェール (享年35歳)、右がロドリゲス (享年31歳)。
シフェールは1971年10月24日、BRMで出走したF1レース中の事故で、還らぬ人となりました。
同じチームながら強烈なライバル関係にあり、時にはサイド・バイ・サイドの激しいトップ争いを演じたふたり。
早すぎる死が悔やまれます。




その後のジョン・ワイヤーについてあと少しだけ。
ポルシェとの契約を終えたワイヤーは、次のシーズンから再びミラージュで耐久レースに参戦を開始します。
アストンマーチン時代からの片腕、ジョン・ホースマンと共に完成させたミラージュM6。
オープン二座のオリジナルボディに、フォード・コスワースDFV のF1用3リッターV8エンジンを搭載したスポーツプロトタイプ・マシン。
デレック・ベル、ジィズ・ヴァン・レネップ、マイク・ヘイルウッド、バーン・シュパンらを擁し、プライベーターとして世界メーカー選手権にエントリーしました。
チーム名は “ガルフ・リサーチ・レーシング・カンパニー”。



当初はフォーミュラカーのエンジンを耐久レース用に手懐けるのに苦労したものの、M6→GR7→GR8と熟成を重ねるにつれマシンの完成度はアップ。
'75年には、ついにチーム監督として通算四度目のル・マンの栄冠を勝ち取りました。
画像は'75年ル・マンの勝者、デレック・ベル/ジャッキー・イクス組のミラージュGR8。
このカラースキームのマシンは...そしてイクスはやっぱり強かった b(^-^;



この勝利を花道に、ワイヤーはチームとマシンの一切をグランド・ツーリング・カーズ (GTC) に売却し、引退を決めます。
1950年代から二十年以上にわたってスポーツカー耐久レースの最前線にいた名伯楽は、静かに現場を去りました。
'70年代を共に駆け抜けたガルフのカラースキームも、しばしの間、表舞台から消えることになります...


つづく。
Posted at 2013/04/06 08:25:09 | コメント(4) | トラックバック(0) | カラースキーム考察 | クルマ
2013年03月23日 イイね!

ワークスチームにおけるカラースキーム考察その四 ~Gulf/フォードの時代

ワークスチームにおけるカラースキーム考察その四 ~Gulf/フォードの時代レーシング・ポルシェといえば...やっぱりガルフ、でしょうか ?

パウダーブルーにオレンジのストイライプ。

ひときわ目を惹く配色で、オールドポルシェの造形にもよくマッチ。
モディファイの定番として人気があるのも頷けます。

さてこのカラースキーム、いったいいつ頃から存在していたのでしょう ?

調べてみました (^ ^b
ワークスチームにおけるカラースキーム考察、第二弾は “Gulf” です。


Gulf Oil
1901年に米国テキサス州で創業の石油会社*。
自動車関連企業ということもあって、モータースポーツのスポンサーとしては最古参の部類と思われます。
1960年代初頭には既に、ガルフ・オイルのスポンサードを受け、小さなオレンジディスクの “Gulf” ステッカーを車体に貼ったレーシングカーが散見されます。

ガルフとモータースポーツの歴史を紐解く上で、絶対外せないふたりの人物がいます。
グレーディー・デービスと、ジョン・ワイヤー。
デービスはガルフ社の研究開発部門担当副社長で、'60年代には自らシボレー・コルベットを駆り、レーシングチームを率いてアメリカ国内のレースに参戦するほどのスピードマニアでした。
自社製石油製品の開発と宣伝には、レースに実戦投入して勝つのが一番と考えていたフシがあります。

一方ワイヤーは、優勝請負人として名を馳せた、レースエンジニア/チーム監督の英国人。
'50年代、ワークス・アストンマーチンの監督として活躍し、'59年にはル・マン総合優勝。
'64年にフォードに請われ、英国のアドバンスド・ビークル社でGT40の開発に携わります。
'67年からは、ジョン・ウィルメントと共に設立した、J.W.オートモーティブ・エンジニアリング (JWA) として独立。
フォードGT40や、自社開発のボディにフォードV8エンジンを搭載したミラージュで、幾多の勝利を挙げることになります。
GT40に大きな可能性を見出していたデービスが、JWAの独立に際し多額の資金を調達したことが、その後のガルフ社とジョン・ワイヤーとの切っても切れない縁の始まりでした。


下の画像は'67年2月4日、国際マニュファクチュアラー選手権第一戦デイトナ24時間にJWAから出走したフォードGT40。
JWA初期のドライバー陣は、ディック・トンプソンとジャッキー・イクスをレギュラーに、デビッド・パイパー、リチャード・アトウッド、ブライアン・ミューア、ペドロ・ロドリゲスらが名を連ねました。
まだ無名の若者だったイクスを発掘したのは、ガルフとJWAだったようです。
濃紺のボディセンターに、オレンジのストライプ。
見え難いですが、フェンダーサイドにGulfのオレンジステッカーが貼ってあります。



次は上の画像から二ヶ月半後、'67年4月25日の選手権第三戦モンツァ1000km。
どうやら...これがかの有名な “Blue & Orange”、ガルフ・カラースキームの初出です。
マシンはJWA自社開発のミラージュM1。
GT40のボディを空力的に大改造し、フォード製5リッターV8を搭載。
上のGT40と比較すると、ルーフの幅がかなり絞り込まれていますね。
一週間後のスパ1000kmでは、イクス/トンプソンのドライブで初勝利を挙げています。
伝統的なナショナルカラー**をまとうレーシングカーがほとんどだったこの時代、スポンサー企業のイメージカラー***を前面に押し出す先駈けにもなりました。



JWAはこの年のレースに、二台のミラージュM1を投入していました。
初期のレースはいずれもボディセンターにストライプが真っ直ぐ一本のカラースキームでしたが、選手権七戦目のル・マンあたりから、一台はノーズ部分が銀杏の葉型に広がるストライプに変更。
同じ配色でも、マシンの識別性が高まりますね (^ ^b
画像は'67年のル・マン24時間を走る、二台のミラージュ。
ノーズ広がりの14号車はパイパー/トンプソン組、ストレートの15号車はイクス/ミューア組。



'68年からは、国際メーカー選手権のレギュレーション改正の関係で、ミラージュM1をGT40タイプに再改造して参戦。
レギュラードライバーはイクスを筆頭に、ブライアン・レッドマン、ポール・ホーキンス、デビッド・ホッブスの四名、最終戦のル・マンではロドリゲスも起用されました。
選手権レース十戦のうちル・マンを含む五戦で勝利し、フォードのタイトル獲得に貢献しています。
翌'69年はレッドマンとホーキンスに替わり、ジャッキー・オリバーとマイク・ヘイルウッドが加入。
ル・マンでは、イクス/オリバー組のGT40がワークス・ポルシェの908とデッドヒート。
ゴール直前でポルシェをかわしてフラッグを受け、ポルシェ悲願のル・マン総合優勝を阻止しました。



'69年シーズンオフ、サーキットに激震が走ります。
なんとこの年、ル・マンで最後までJWAとデッドヒートを繰り広げたポルシェが、当の宿敵であるジョン・ワイヤーをスカウト。
ポルシェは、翌'70年からレース現場のチーム運営を外部に委託し、自らはレース車両開発に専念することにしたのです。
そこで白羽の矢がたったのが、チーム監督としての腕を買われたジョン・ワイヤーとJWAチーム。
ポルシェがこの年獲り逃がしたル・マンのタイトルを何としても手に入れるための、優勝請負人の役割が期待されたのでした...


つづく。



*1984年吸収合併されシェブロン社に。その後、子会社のGOTCO (ガルフ・オイル・トレーディング・カンパニー) が “Gulf” の商標権を買い取り、Gulfブランドの潤滑油販売を開始。現在はガルフ・オイル・インターナショナルと改名し、英国に本拠地を移しています。

**1900年から1960年代末まで、レーシングカーは慣習的に (時期によってはルールで規制され) その国のシンボルカラーで塗られていました。イタリア車は赤、ドイツ車は銀 (白)、フランス車は青、イギリス車は濃緑...等々。

***ガルフ社の本来の企業カラーは、ロゴマークに使われているネイビーとオレンジ。ミラージュも当初は上のGT40と同じカラーリングになる予定でしたが、グレーディー・デービスの「こっちの方が目立つし刺激的じゃない ?」的発案で、パウダーブルー/オレンジの組み合わせに。ちなみにパウダーブルーは、ガルフ社が以前に買収していたウィルシャー・オイル社のカラーだそうです。
Posted at 2013/03/23 07:00:31 | コメント(4) | トラックバック(0) | カラースキーム考察 | クルマ
2013年03月09日 イイね!

ワークスチームにおけるカラースキーム考察その参 ~MARTINI 番外編

ワークスチームにおけるカラースキーム考察その参 ~MARTINI 番外編(承前)

ワークス・ポルシェと共に成長し、世界の頂点をつかんだ最初の十年。
実はこの間、マルティーニはポルシェとの活動の合間を縫うように、他のモータースポーツへのスポンサードも行っていました。
またポルシェ後の十年は、あのモンスターマシン達が激闘を繰り広げたフィールドへも進出...

MARTINI編最終回は、そんなマシンたちにスポットを当てたいと思います。


ポルシェがヨーロッパでのレース活動を休止した'72年。
マルティーニ・レーシングは、新たなフィールドへと活動の場を拡げました。
モータースポーツの最高峰、フォーミュラワン世界選手権です。

マルティーニが初のF1スポンサーの対象に選んだのは、スイスのコンストラクター “TECNO (テクノ)”。
自社製シャシーにこれも自前の12気筒エンジンを搭載する、野心的なチームでした。
ナンニ・ガリ、デレック・ベルがドライブしましたが、戦績はいまひとつ...(^ ^;
レースごとに仕様変更され、ボディのバリエーションがいくつかあったようです。
画像は最初期のバージョンで、テクノPA123-001と呼ばれるもの。
イエローのヘルメットは、ナンニ・ガリです。



マルティーニ・レーシングが二度目のF1に挑戦したのは、'75年。
この時も、ポルシェは翌年の世界メーカー選手権の準備で一年お休みでした。
今度のマルティーニのお相手は、フォーミュラカーの名門ブラバム。
ホワイトのボディを流れるマルティーニ・ストライプ...美しいマシンですね (^ ^
フォード・コスワースのV8を搭載した、ブラバムBT44B。
カルロス・ロイテマン、カルロス・パーチェがドライブ。
シーズン中、二度の優勝を含め幾多の入賞を重ねました。



'76~'77年も、マルティーニは引き続きブラバムとのタッグでF1世界選手権に参戦します。
この間は世界メーカー選手権のワークス・ポルシェと、二束の草鞋。
マシンはブラバムBT45、エンジンがアルファ・ロメオ製の12気筒に変更されました。
やっと出てきました*、アルファ・ロメオ (^ ^;
ボディ塗色は、イタリアのナショナルカラーの赤に。
ロッソコルサにマルティーニ・ストライプ...これもまたイイですね b(^ ^
画像はカルロス・ロイテマンの7号車。
12気筒の重さが祟ったのか、前年ほどの成績を残せなかったのがザンネンです。
*ワークスチームにおけるカラースキーム考察その壱」参照



意外なところでこんな組み合わせも...
“史上最も美しいF1マシン” と称されるロータス79 (黒いJPSカーですね) の後継機種として、'79年に誕生したロータス80。
79のグラウンド・エフェクトをさらに発展させ、開発段階ではウィングレスだったという、コーリン・チャップマンの野心作。
(実戦ではさすがに無理があり、前後にウィングが装着されたようですが ^ ^;)
ポルシェとの関係が終わった翌年、なんとロータスとそんなことになっていたとは...
知りませんでした (^ ^;
ブリティッシュグリーンのマシンにマルティーニ・ストライプ...これも新鮮。
MARTINIロゴマークの映えるシルバーのヘルメットは、マリオ・アンドレッティです。




'70年代がポルシェとフォーミュラワンの時代だったとすれば、'80年代はランチアの時代と言えるでしょう。
1982年からランチアとタッグを組んだマルティーニ・レーシング。
グループCマシンによる長距離耐久レースもありましたが、印象深いのはやっぱりコチラ。
ランチア・ラリー037、ミッドシップ後輪駆動のグループBモンスター。
ワルター・ロール、マルク・アレン、アッティリオ・ベッテガらを擁し、グループB元年となる'83年世界ラリー選手権 (WRC) を制覇。
後輪駆動車としては最後の、WRCタイトルホルダーとなりました。

その後はアウディ・クワトロやプジョー205ターボ16といった過給器付き四輪駆動車勢に勝てず、'85年最終戦で後継のツインチャージド・ミッドシップ4WD、ランチア・デルタS4にバトンタッチします。
オペルから移籍したヘンリ・トイヴォネンの天才的な走りもあり、デルタS4はデビュー戦でワンツーフィニッシュ、翌年の選手権奪還は確実と思われました。
しかし'86年5月2日のWRC第五戦ツール・ド・コルスで、トイヴォネンがクラッシュ炎上、還らぬ人に。
これを機に、ハイパワー競争激化で事故が相次いでいたグループBは廃止されることになりました。



'92年まで続いたランチアとの十年を一区切りに、マルティーニは大規模なワークス活動へのスポンサードを取り止めました。
以降は、再びプライベーター達へのスポット的な援助が中心に。
たとえば'93年のWRCサンレモで、プライベーターながら優勝したジャンフランコ・クニコのフォード・エスコートRSコスワースとか...



ヘリコプター事故で右腕切断後、奇跡の復活を遂げた元F1パイロット、アレッサンドロ・ナニーニが参戦した'95年ドイツツーリングカー選手権 (DTM) のアルファ・ロメオ155V6TI。
マルティーニ・カラーを纏ったアルファのレーシングカー、あったんですね (^ ^




調べてみるとマルティーニ・レーシング、ポルシェやランチア以外にも、いろんなメーカーと関わりを持ってきたようです。
そういえば先日高速で遭遇したアルファは、'96年発表の丸目四灯アルファスパイダー。
年式的にもばっちりで、ビアンコの車体にマルティーニのモディファイ、頷けます b(^ ^

同時代に活躍したレーシングカーへのオマージュ。
時代考証も鑑みた “通” なモディファイ、という視点でいけば、'70年代のポルシェと'80年代のランチアはテッパンとして...
ピンポイントで'75年式の白いフォードや、'76~'77年式の赤いアルファにマルティーニ・ストライプも、カッコイイかも知れませんね。
'79年式のロータス・エスプリ...ブリティッシュグリーンの個体はなかなか無いか !?
あとは、'76年式の “黒い” ポルシェ...とか (←コレはぜひ誰かやってほしい : ^ ^)


こうして、さらなる妄想が芽吹いていくのでした (苦笑



MARTINI編、おしまい。
Posted at 2013/03/09 20:00:21 | コメント(3) | トラックバック(0) | カラースキーム考察 | クルマ
2013年03月03日 イイね!

ワークスチームにおけるカラースキーム考察その弐 ~MARTINI 黄金期編

ワークスチームにおけるカラースキーム考察その弐 ~MARTINI 黄金期編(承前)


ポルシェ・チーム内でナンバーツーの地位を獲得。
時にはナンバーワンのJWAガルフをも打ち負かす、めざましい躍進を遂げた'71年。
このシーズン終了と共に、マルティーニとポルシェとの協力関係は一旦打ち切られます。

チームとオーナーの関係が悪くなったから...というわけではなさそうです* (苦笑

*どこまで真実か定かではありませんが、'71ル・マンでチーム監督のデチェントが採用した917/20のカラーリング、通称 “Pink Pig” がスポンサーのロッシ卿にはいたくお気に召さなかったらしく、車体からマルティーニ・ロゴを消させ、レースも観ずに帰ってしまった...という逸話が残っています ^ ^;


CSIのルール変更で、翌'72年の世界メーカー選手権出場車両は排気量3L以下に。
5Lクラスの917を封じられたポルシェは、北米Can-Am選手権以外のレース活動を停止、911のレーシングバージョン開発に全力を傾けることにしたのです。
この間に誕生したのが彼の銘車、カレラRS2.7。
レギュレーションに沿って更なる改造を施した時にベストバランスの戦闘機となる、逆算から生まれたホモロゲーションマシン。
数年の内に再度ルール改正が行われ、世界選手権が量産車をベースとした改造車両クラス (新グループ5) によって争われることになる、との情報を既に得ていたフシのあるポルシェが、そのために打った布石の第一弾でした。


マルティーニとポルシェの関係が復活したのは'73年。
今回はチーム名こそマルティーニですが、実体はワークス・ポルシェそのもの。
監督にはポルシェが招聘したモーター・ジャーナリスト、マンフレッド・ヤントケが就任。
カレラRS2.7を母体として開発されたワークスカー、カレラRSR3.0を引っさげてヨーロッパ各地のレースを荒らし回りました。
ここから数年間のレースを新グループ5車両開発のための実験フィールドと決めたポルシェは、ワークスカーをあえてプロトタイプスポーツのクラスに登録。
排気量 (3L) の枠以外、事実上無制限に近い改造が許されることになったワークスのRSR3.0は、レースごとに仕様を変え、スタイリングをダイナミックに進化させていきます。
ドライバー陣も一新、ヘルベルト・ミューラー/ガイス・ファン・レネップのナンバーワンコンビを中心に、ラインハルト・ヨースト、クロード・ハルディ、ジョージ・フォルマー、マンフレッド・シュルティらがステアリングを握りました。

'73年のタルガフローリオで優勝した、ミューラー/ファン・レネップ組のポルシェ911カレラRSR3.0。
この勝利が、純然たるプロトタイプスポーツカー達を敵に回してのものだったことは賞賛に値するでしょう。
'73年シーズン前半は、シルバーボディのボンネットとドアを、ストライプがぐるりと隈取るカラースキーム。
後半からは二台ワークスカーのうち一台に、'71年の908/03で使われた太い矢印型ストライプが採用されています。



翌'74年も新グループ5に向けてのスタディ・イヤー。
前年に続きナンバーワンコンビを務めるのは、ミューラー/ファン・レネップ組。
また新たにヘルムート・コイニクが加入し、シュルティとコンビを組みました。
マシンの方はさらに大きく進化を遂げます。
17Jの超ワイドホイールを呑み込む異様に張り出したリアフェンダーに、ボディはるか後方までオーバーハングした大型ウィング。
特筆すべきはその心臓部。
フラット6エンジンで、当面の敵である12気筒プロトタイプスポーツカー達と渡り合うためにポルシェが出した解答、それが “ターボ” でした。
カレラRSRターボ、911史上最強にワイルドなマシンの誕生です。

'74年のル・マンで総合二位に輝いた、ミューラー/ファン・レネップ組のポルシェ911カレラRSRターボ。
Can-Amの12気筒917スパイダーで培ったターボ技術を、初めて911に実戦導入。
6気筒のシングルターボEgは、わずか2.14Lの排気量から500馬力前後のパワーを生み出しました。
フロントマスクをぐるりと回り込んで、サイドからリアフェンダーまで伸びるストライプ...
ストライプというよりも、ボディ下半分まるっとペインティングですね (^ ^;



'75年のワークス活動はいったんお休み。
というのも、この年から開始されると踏まれていた新グループ5 (シルエットフォーミュラ) による世界選手権の開催が、一年先延べになったからでした。
ポルシェはこの間に新グループ5車両の母体となるホモロゲーションモデル、930ターボ3.0を発売。
ワークスが一年後に向け着々と爪を研いでいる間も、マルティーニは他のモータースポーツやプライベーターへの興味深いスポンサードを行っていました。
そんな中の一台がこちら、ポルシェ908/6ターボ。

'71年まで活躍していた908/03の小型軽量ボディに、カレラRSRターボと同じ6気筒2.14Lターボエンジンを搭載。
ヘッドランプが追加され、ボディ後端にはCan-Amの917/10から流用された大型ウィングが装着されています。
ヨーストが自らのプライベーター活動のためポルシェに掛け合って実現したマシンで、三台が製作されました。
画像はプライベーターチームの “Dr. H. Dannesberger” から出走したマシン。
マルティーニのスポンサードでミューラーらがドライブ、'75年のインターセリエ選手権を勝ち取っています。



そしていよいよ'76年、新レギュレーションによる世界メーカー選手権のシーズンが到来。
カレラRS2.7から足掛け四年の歳月をかけ、ワークスが満を持して送り出した新グループ5車両、935/76がデビューします。
ドライバーには、ガルフ・フォードGT40やワークス・フェラーリのドライバーとして過去幾度となくポルシェと激戦を繰り広げてきたジャッキー・イクスと、ワークス・フォードやF1のマルボロ・マクラーレンで活躍していたヨッヘン・マスが加入。
J.イクス/J.マスのゴールデン・コンビの誕生です。
この他に'69年までポルシェのワークス・ドライバーだったロルフ・シュトメレンが復帰、シュルティとコンビを組みました。

'76年のディジョン6時間で優勝した、イクス/マス組の駆るポルシェ935/76。
ホワイトボディのセンターを貫くストライプ、“みんなが知ってる” あのマルティーニ・カラー登場ですね。
ムジェロ6時間でいきなりのデビュー・ウィンを飾った後、選手権レース七戦のうち四戦で勝利。
ポルシェに五年ぶりの世界メーカー選手権のタイトルをもたらしました。



また'76年は、前年まで選手権対象車両だったプロトタイプスポーツカーのカテゴリーが新グループ6と改められ、世界スポーツカー選手権として別立てで開催されました。
ポルシェは、Can-Amの917スパイダー譲りのコンポーネントと、既に実績のある2.14Lの6気筒ターボエンジンを新設計のフレームに搭載。
936/76という戦闘力の高いマシンを即席で仕立て、この選手権にも殴り込みをかけます。
936といえば、ホワイトボディのヘッドランプからテールまで両サイドを美しく流れるマルティーニ・ストライプが印象的ですが...
初出はコチラ、人呼んで “ブラックウィドウ (黒後家蜘蛛)”。
なんでもスポンサーのロッシ卿が、ブラックアウトされた936テストカーを一目見ていたくお気に召し、そのままマルティーニのカラーリングを施すことを命じたんだとか。

'76年のニュルブルクリンク300kmを走る、シュトメレンのポルシェ936/76 “Black Widow”。
漆黒のマルティーニ...めちゃかっこイイ !!
ただしこのカラースキームは、シーズン初戦のこのレースのみでお蔵入り。
戦績がイマイチだったこともありますが、カメラ映りのあまりの悪さにロッシ卿が興醒めされたようで (苦笑
二戦目からはボディをグランプリホワイトに塗り替え、残り六戦は無敵の連勝。
見事にこの年の世界スポーツカー選手権を勝ち取りました。



こうして五年ぶりに世界メーカー選手権を奪還、スポーツカー選手権と併せ二大タイトルを手中にしたポルシェとマルティーニは、その地位を磐石のものとすべく、翌'77年も万全の態勢で臨みます。
まずはメインマシンの935をツインターボ化、さらにボディ形状を空力的に洗練してパワーアップ。
イクス/マス組、時にシュトメレン/シュルティ組の駆るポルシェ935/77は前年同様出走した七戦中四戦に勝利、二年連続世界メーカー選手権獲得に貢献しました。

'77年シーズン終盤戦、雨のブランズハッチ6時間で勝利したマス/イクス組のポルシェ935/77。
935/76との最も大きな差異は、ボディワーク。
ボディの後端にまるっと一枚カウルを被せて高く持ち上げた構造になっていて、空力特性が大幅に改善。
カラースキームは前年を踏襲しています。



一方この年のポルシェは、前年あまりに簡単に勝って拍子抜けしたのか、グループ6による世界スポーツカー選手権への参戦を見送ります。
しかし、伝統のル・マンのカップにだけは拘りを見せました。
前年の総合優勝を花道に引退したファン・レネップの代わりに、主にマトラ・シムカでル・マンの連勝経験もあるアンリ・ペスカローロ、北米におけるポルシェのレース活動を中心的に支えてきたブルーモス・レーシングからハーレー・ヘイウッド、こちらもポルシェ遣いであるヨースト・レーシングからユルゲン・バルトを招き二台の新型936/77を投入。
ル・マン二連覇を達成しました。

'77年のル・マンで総合優勝した、バルト/ヘイウッド/イクス組のポルシェ936/77の4号車。
実はこのレース、イクスはペスカローロと組んで3号車で出走していたのですが、マシントラブルでリタイア。
急遽バルト/ヘイウッド組の助っ人に入り、鬼神の走りで先行するマシンを猛追。
トップから9ラップ遅れだったナンバーツーマシンを、見事勝利に導きました。
ホワイトボディの左右サイドを美しく流れる、マルティーニ・ストライプ。
この後も様々なメーカーのマシンを彩った、典型的なマルティーニ・カラースキームの誕生です。



共に黄金時代を築いたマルティーニ・レーシングとポルシェ・ワークスの蜜月は、翌'78年に終焉を迎えます。
最後のシーズンに相応しく、この年マルティーニ・カラーをまとって出走したのは、いずれも印象的なマシンでした。
まずはポルシェ935/78 “モビーディック (白鯨)”。
シルエットフォーミュラのレギュレーションを極限まで拡大解釈して創り上げられた、911究極の変異体。
前後に伸びやかにオーバーハングしたその白いシルエットは、まさに白鯨。
マルティーニのトリコロールが、大海原を突き進む巨鯨の圧倒的な推進力を表現しているようにも感じられます。

'78年のシルバーストーン6時間で優勝した、マス/イクス組のポルシェ935/78。
ル・マンにおけるプロダクションモデルによる総合優勝...それだけを至上目的に創造されたモンスター。
マシントラブル等もあり、本番のル・マンで本来の力を発揮できなかったのが悔やまれます。



そしてもう一台、ポルシェ911SCサファリ。
ワークスが久々に荒野に送り出した、オフロード・スペシャル。
911としては以上に高い車高が、逆に凄みのこのクルマ。
ボディを彩るカラースキームも、アフリカの大地に相応しい、プリミティヴな勇者の戦装束のようですね。

'78年WRCイーストアフリカン・サファリラリーに出走した、ビヨン・ワルデガルド/ハンス・トルスゼリウス組のポルシェ911SCサファリ。
'78年シーズンから販売の911SCをベースとした、グループ4仕様。
ワークスマシンとしては、'74年のサファリカレラ2.7以来のオフローダーでした。
ポルシェがワークスで参戦し唯一、獲り逃したメジャータイトル。
この後ポルシェと決別するマルティーニ・レーシングの、今後の展開を暗示するようでもあります。



今回も駆け足になってしまいましたが (汗
'68年からのマルティーニ・レーシングの歩みは、まさにポルシェと共に、だったことが解りました。
世界のトップ・オブ・トップに上りつめるまでの十年間、濃密でしたね~ (^ ^;
もちろんこの後もマルティーニ・レーシングの歴史は続きますし、まだまだ興味深いマシンがいくつも登場します (あ、アルファ・ロメオの件を忘れてた ^ ^;)。
そのあたりはまた次回、かいつまんでご紹介することにして...


今日のところは、ここまで (^_-)-☆


つづく...
Posted at 2013/03/03 20:00:16 | コメント(3) | トラックバック(0) | カラースキーム考察 | クルマ

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「オレは根っからのポルシェファン。そしてまた、それは最高のモノでなければならない。それでこのポルシェの究極的モデルともいえる、3リッターのターボをしとめたのさ」...
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