(承前)
ポルシェ・チーム内でナンバーツーの地位を獲得。
時にはナンバーワンのJWAガルフをも打ち負かす、めざましい躍進を遂げた'71年。
このシーズン終了と共に、マルティーニとポルシェとの協力関係は一旦打ち切られます。
チームとオーナーの関係が悪くなったから...というわけではなさそうです* (苦笑
*
どこまで真実か定かではありませんが、'71ル・マンでチーム監督のデチェントが採用した917/20のカラーリング、通称 “Pink Pig” がスポンサーのロッシ卿にはいたくお気に召さなかったらしく、車体からマルティーニ・ロゴを消させ、レースも観ずに帰ってしまった...という逸話が残っています ^ ^;
CSIのルール変更で、翌'72年の世界メーカー選手権出場車両は排気量3L以下に。
5Lクラスの917を封じられたポルシェは、北米Can-Am選手権以外のレース活動を停止、911のレーシングバージョン開発に全力を傾けることにしたのです。
この間に誕生したのが彼の銘車、カレラRS2.7。
レギュレーションに沿って更なる改造を施した時にベストバランスの戦闘機となる、逆算から生まれたホモロゲーションマシン。
数年の内に再度ルール改正が行われ、世界選手権が量産車をベースとした改造車両クラス (新グループ5) によって争われることになる、との情報を既に得ていたフシのあるポルシェが、そのために打った布石の第一弾でした。
マルティーニとポルシェの関係が復活したのは'73年。
今回はチーム名こそマルティーニですが、実体はワークス・ポルシェそのもの。
監督にはポルシェが招聘したモーター・ジャーナリスト、マンフレッド・ヤントケが就任。
カレラRS2.7を母体として開発されたワークスカー、カレラRSR3.0を引っさげてヨーロッパ各地のレースを荒らし回りました。
ここから数年間のレースを新グループ5車両開発のための実験フィールドと決めたポルシェは、ワークスカーをあえてプロトタイプスポーツのクラスに登録。
排気量 (3L) の枠以外、事実上無制限に近い改造が許されることになったワークスのRSR3.0は、レースごとに仕様を変え、スタイリングをダイナミックに進化させていきます。
ドライバー陣も一新、ヘルベルト・ミューラー/ガイス・ファン・レネップのナンバーワンコンビを中心に、ラインハルト・ヨースト、クロード・ハルディ、ジョージ・フォルマー、マンフレッド・シュルティらがステアリングを握りました。
'73年のタルガフローリオで優勝した、ミューラー/ファン・レネップ組のポルシェ911カレラRSR3.0。
この勝利が、純然たるプロトタイプスポーツカー達を敵に回してのものだったことは賞賛に値するでしょう。
'73年シーズン前半は、シルバーボディのボンネットとドアを、ストライプがぐるりと隈取るカラースキーム。
後半からは二台ワークスカーのうち一台に、'71年の908/03で使われた太い矢印型ストライプが採用されています。
翌'74年も新グループ5に向けてのスタディ・イヤー。
前年に続きナンバーワンコンビを務めるのは、ミューラー/ファン・レネップ組。
また新たにヘルムート・コイニクが加入し、シュルティとコンビを組みました。
マシンの方はさらに大きく進化を遂げます。
17Jの超ワイドホイールを呑み込む異様に張り出したリアフェンダーに、ボディはるか後方までオーバーハングした大型ウィング。
特筆すべきはその心臓部。
フラット6エンジンで、当面の敵である12気筒プロトタイプスポーツカー達と渡り合うためにポルシェが出した解答、それが “ターボ” でした。
カレラRSRターボ、911史上最強にワイルドなマシンの誕生です。
'74年のル・マンで総合二位に輝いた、ミューラー/ファン・レネップ組のポルシェ911カレラRSRターボ。
Can-Amの12気筒917スパイダーで培ったターボ技術を、初めて911に実戦導入。
6気筒のシングルターボEgは、わずか2.14Lの排気量から500馬力前後のパワーを生み出しました。
フロントマスクをぐるりと回り込んで、サイドからリアフェンダーまで伸びるストライプ...
ストライプというよりも、ボディ下半分まるっとペインティングですね (^ ^;
'75年のワークス活動はいったんお休み。
というのも、この年から開始されると踏まれていた新グループ5 (シルエットフォーミュラ) による世界選手権の開催が、一年先延べになったからでした。
ポルシェはこの間に新グループ5車両の母体となるホモロゲーションモデル、930ターボ3.0を発売。
ワークスが一年後に向け着々と爪を研いでいる間も、マルティーニは他のモータースポーツやプライベーターへの興味深いスポンサードを行っていました。
そんな中の一台がこちら、ポルシェ908/6ターボ。
'71年まで活躍していた908/03の小型軽量ボディに、カレラRSRターボと同じ6気筒2.14Lターボエンジンを搭載。
ヘッドランプが追加され、ボディ後端にはCan-Amの917/10から流用された大型ウィングが装着されています。
ヨーストが自らのプライベーター活動のためポルシェに掛け合って実現したマシンで、三台が製作されました。
画像はプライベーターチームの “Dr. H. Dannesberger” から出走したマシン。
マルティーニのスポンサードでミューラーらがドライブ、'75年のインターセリエ選手権を勝ち取っています。
そしていよいよ'76年、新レギュレーションによる世界メーカー選手権のシーズンが到来。
カレラRS2.7から足掛け四年の歳月をかけ、ワークスが満を持して送り出した新グループ5車両、935/76がデビューします。
ドライバーには、ガルフ・フォードGT40やワークス・フェラーリのドライバーとして過去幾度となくポルシェと激戦を繰り広げてきたジャッキー・イクスと、ワークス・フォードやF1のマルボロ・マクラーレンで活躍していたヨッヘン・マスが加入。
J.イクス/J.マスのゴールデン・コンビの誕生です。
この他に'69年までポルシェのワークス・ドライバーだったロルフ・シュトメレンが復帰、シュルティとコンビを組みました。
'76年のディジョン6時間で優勝した、イクス/マス組の駆るポルシェ935/76。
ホワイトボディのセンターを貫くストライプ、“みんなが知ってる” あのマルティーニ・カラー登場ですね。
ムジェロ6時間でいきなりのデビュー・ウィンを飾った後、選手権レース七戦のうち四戦で勝利。
ポルシェに五年ぶりの世界メーカー選手権のタイトルをもたらしました。
また'76年は、前年まで選手権対象車両だったプロトタイプスポーツカーのカテゴリーが新グループ6と改められ、世界スポーツカー選手権として別立てで開催されました。
ポルシェは、Can-Amの917スパイダー譲りのコンポーネントと、既に実績のある2.14Lの6気筒ターボエンジンを新設計のフレームに搭載。
936/76という戦闘力の高いマシンを即席で仕立て、この選手権にも殴り込みをかけます。
936といえば、ホワイトボディのヘッドランプからテールまで両サイドを美しく流れるマルティーニ・ストライプが印象的ですが...
初出はコチラ、人呼んで “ブラックウィドウ (黒後家蜘蛛)”。
なんでもスポンサーのロッシ卿が、ブラックアウトされた936テストカーを一目見ていたくお気に召し、そのままマルティーニのカラーリングを施すことを命じたんだとか。
'76年のニュルブルクリンク300kmを走る、シュトメレンのポルシェ936/76 “Black Widow”。
漆黒のマルティーニ...めちゃかっこイイ !!
ただしこのカラースキームは、シーズン初戦のこのレースのみでお蔵入り。
戦績がイマイチだったこともありますが、カメラ映りのあまりの悪さにロッシ卿が興醒めされたようで (苦笑
二戦目からはボディをグランプリホワイトに塗り替え、残り六戦は無敵の連勝。
見事にこの年の世界スポーツカー選手権を勝ち取りました。
こうして五年ぶりに世界メーカー選手権を奪還、スポーツカー選手権と併せ二大タイトルを手中にしたポルシェとマルティーニは、その地位を磐石のものとすべく、翌'77年も万全の態勢で臨みます。
まずはメインマシンの935をツインターボ化、さらにボディ形状を空力的に洗練してパワーアップ。
イクス/マス組、時にシュトメレン/シュルティ組の駆るポルシェ935/77は前年同様出走した七戦中四戦に勝利、二年連続世界メーカー選手権獲得に貢献しました。
'77年シーズン終盤戦、雨のブランズハッチ6時間で勝利したマス/イクス組のポルシェ935/77。
935/76との最も大きな差異は、ボディワーク。
ボディの後端にまるっと一枚カウルを被せて高く持ち上げた構造になっていて、空力特性が大幅に改善。
カラースキームは前年を踏襲しています。
一方この年のポルシェは、前年あまりに簡単に勝って拍子抜けしたのか、グループ6による世界スポーツカー選手権への参戦を見送ります。
しかし、伝統のル・マンのカップにだけは拘りを見せました。
前年の総合優勝を花道に引退したファン・レネップの代わりに、主にマトラ・シムカでル・マンの連勝経験もあるアンリ・ペスカローロ、北米におけるポルシェのレース活動を中心的に支えてきたブルーモス・レーシングからハーレー・ヘイウッド、こちらもポルシェ遣いであるヨースト・レーシングからユルゲン・バルトを招き二台の新型936/77を投入。
ル・マン二連覇を達成しました。
'77年のル・マンで総合優勝した、バルト/ヘイウッド/イクス組のポルシェ936/77の4号車。
実はこのレース、イクスはペスカローロと組んで3号車で出走していたのですが、マシントラブルでリタイア。
急遽バルト/ヘイウッド組の助っ人に入り、鬼神の走りで先行するマシンを猛追。
トップから9ラップ遅れだったナンバーツーマシンを、見事勝利に導きました。
ホワイトボディの左右サイドを美しく流れる、マルティーニ・ストライプ。
この後も様々なメーカーのマシンを彩った、典型的なマルティーニ・カラースキームの誕生です。
共に黄金時代を築いたマルティーニ・レーシングとポルシェ・ワークスの蜜月は、翌'78年に終焉を迎えます。
最後のシーズンに相応しく、この年マルティーニ・カラーをまとって出走したのは、いずれも印象的なマシンでした。
まずはポルシェ935/78 “モビーディック (白鯨)”。
シルエットフォーミュラのレギュレーションを極限まで拡大解釈して創り上げられた、911究極の変異体。
前後に伸びやかにオーバーハングしたその白いシルエットは、まさに白鯨。
マルティーニのトリコロールが、大海原を突き進む巨鯨の圧倒的な推進力を表現しているようにも感じられます。
'78年のシルバーストーン6時間で優勝した、マス/イクス組のポルシェ935/78。
ル・マンにおけるプロダクションモデルによる総合優勝...それだけを至上目的に創造されたモンスター。
マシントラブル等もあり、本番のル・マンで本来の力を発揮できなかったのが悔やまれます。
そしてもう一台、ポルシェ911SCサファリ。
ワークスが久々に荒野に送り出した、オフロード・スペシャル。
911としては以上に高い車高が、逆に凄みのこのクルマ。
ボディを彩るカラースキームも、アフリカの大地に相応しい、プリミティヴな勇者の戦装束のようですね。
'78年WRCイーストアフリカン・サファリラリーに出走した、ビヨン・ワルデガルド/ハンス・トルスゼリウス組のポルシェ911SCサファリ。
'78年シーズンから販売の911SCをベースとした、グループ4仕様。
ワークスマシンとしては、'74年のサファリカレラ2.7以来のオフローダーでした。
ポルシェがワークスで参戦し唯一、獲り逃したメジャータイトル。
この後ポルシェと決別するマルティーニ・レーシングの、今後の展開を暗示するようでもあります。
今回も駆け足になってしまいましたが (汗
'68年からのマルティーニ・レーシングの歩みは、まさにポルシェと共に、だったことが解りました。
世界のトップ・オブ・トップに上りつめるまでの十年間、濃密でしたね~ (^ ^;
もちろんこの後もマルティーニ・レーシングの歴史は続きますし、まだまだ興味深いマシンがいくつも登場します (あ、アルファ・ロメオの件を忘れてた ^ ^;)。
そのあたりはまた次回、かいつまんでご紹介することにして...
今日のところは、ここまで (^_-)-☆
つづく...