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すた☆君のブログ一覧

2020年10月16日 イイね!

可児才蔵生誕地と御嵩町の亜炭廃抗問題

「可児才蔵 生誕地」~可児市御嵩町~

可児才蔵の生誕地がハッキリ御嵩町というのを知ってから、凄くいきたかったんですが、この町に問題があって、実家の親から「絶対に行くな」と言われていたので、行くのをやめていました。

御嵩町は「亜炭の町」と言われていて、町面積の約10%に地下空洞が残っていて、約40年間で200件以上の陥没事故が起きています。

亜炭とは「石炭に準ずる燃料」として、戦中戦後に大量に使われました。

2007年には東西40メートル、南北30メートル、すり鉢状に1メートル陥没、2010年には住宅5棟が傾く大規模地陥没があり、全国ニュースになりました。

御嵩町は国に対して「国策で亜炭を掘ったのだから、国が責任を」と言っていますが、国は「穴を埋め戻さない事業者に責任がある」と言い、「採掘事業者は行方不明で分からない。個人採掘者もいた。」との事で、そのままになっています。

400年以上も前の戦国時代の事が分かるのに(明智光秀の生誕地とか。可児市)、どうしてたった70年前が分からないんだ? と思わずツッコミを入れたくなります。

「絶対に行くな」と言われていましたが、一瞬ぐらいならいけるだろうと、ドキドキしながら行ってみました。

御嵩を訪れてみると、中心地は結構な町だったので、非常に驚きました。

寺門

お寺の本堂は工事中で、門前に説明がありました。


説明①

説明②

朝倉義景の側室の息子というのは、初めて知りました。

歴史的には面白いです。

亜炭廃抗問題が解決したら、また行きたいです。
Posted at 2020/10/18 16:10:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 可児才蔵 | 旅行/地域
2016年01月15日 イイね!

広島・山口 戦国史跡巡り ③  才蔵寺~可児才蔵墓所~ 

以前からいつかは行ってみたいと思っていた、可児才蔵のお墓。


広島市内の住宅地の中にあり、道が狭いうえに駐車場もない。

妻に車で待機してもらい、足早にお寺へと向かった。




石段


石段の右横に石仏がたくさん並んでいた。

可児才蔵が家来たちのお墓を敵に壊されるのを恐れて、石仏にしたのが始まりらしい。


石段横の石仏



石仏は、どれもとても優しい顔をしていて、『関ヶ原合戦で一番たくさん首を取った』 とか 『「お年ですね。」 と冷やかした部下の首をはね落とした』

などと、恐ろしい伝説の多い可児才蔵のイメージからは、程遠い。





山頂のお寺の敷地はとても狭く、真ん中に小さな社があり、その手前に銅像があった。


可児才蔵の銅像




可児才蔵は福島正則の家来だったので、正則と共に広島にやってきて、ここでその生涯を閉じた。



死の間際、自分はもうすぐ死ぬと分かっていて、甲冑を身にまとって床机に座ったままこの世を去ったとか。

まさに武人である。





小さい社



槍の達人で、強すぎて首をたくさん取りすぎるので、背負った笹の葉っぱをちぎって、殺した敵の口に突っ込んで目印にして、後から部下に首を回収させた事から、

『 笹の才蔵 』 と 恐れられた。


だからなのか、このお寺には、あっちこっちに笹の葉っぱが生えていた。




可児才蔵の墓


社の後ろにあった。

関ヶ原合戦の伝説の英雄は、今もココで眠っている。



お寺は小さいながらも、愛されているんだなあ と思った。
Posted at 2016/01/15 17:21:04 | コメント(1) | トラックバック(0) | 可児才蔵 | 旅行/地域
2012年08月29日 イイね!

可児才蔵の生誕地の山城、可児氏の名前が初めて出てきた神社

可児市に到着してすぐに、歴史資料館の場所を尋ねるべく、可児市役所を訪れた。


可児市役所


ついでに、可児才蔵のゆかりの史跡を尋ねたが、『役場で登録されているところはなにもないですよ。』と返答が。

登録して無く、ガイドブックに載っていない、何かわかっているところはないですか?と尋ねると、いろんな部署から部署へと移されて、教育委員会へ。

応対してくれたが、同じ答えしか返ってこない。

『ガイドブックには、可児才蔵の史跡はありません。』

あきらめて帰ろうとしたとき、ちょうど学芸員の方が出勤されて、話にのってくれた。

すると、『ありますよ』と、地図を広げて丁寧に説明してくれた。

さすが、地元の研究員。

話の内容がとても濃くて、興味深い。


教えてくれたのは、

①可児氏の名前が書かれた村札が出てきた神社の場所
塩我(しゅうが)の八幡神社

②可児氏の山城の場所
室原城址
おそらくここで可児才蔵は生まれただろう との事だった。
可児氏は、この城から出てきて、森一族に仕えた 


などなど。

 

これは大変貴重な情報を得た。

お礼を言って、私と戦国マニアの友人の二人は、市役所を出た。



しかしまずは、お腹が減っていたので、とりあえず市役所前の店に入った。

ベトナム料理店 



ここは、ベトナム人のおばちゃんが営んでいた。

ボリューム一杯で、美味しかった。


きっと、市役所の職員がランチに来るのだろう。

ベトナムカレー 

市役所を出た後、ここへ是非どうぞと勧められた古墳公園へ行った。


石の古墳

これは、『河合次郎兵衛1号墳』という、岐阜県最大級の古墳らしい。

よくこれだけちっさい石を積み上げたものだ。

なかなか立派だ。

面白い。


古墳を見た後、先に述べた 森一族や明智光秀の史跡を巡り、いよいよ可児氏の史跡へと向かう事になった。




とりあえず、可児氏の名前が書かれた村札が出てきたという神社に到着した。

八幡神社 石碑

神社のすぐ横に、スポーツ公園があった。

塩河(しゅうが)公園 というのがそうだろうか。。。



鳥居 


来たところで、なんの説明図も無い。

登録されていないのだから、当然だ。


ただ、事実として、ここから可児氏の名前が書かれた村札が発見された、

それだけの事だけど、なんだかワクワクする。



鳥居アップ 


謎に包まれた、可児才蔵の生誕地に、少し近づいたような気がするからだ。


本殿 


もう、日はどっぷり暮れて、ほとんどなにも見えない。

友人と二人でいなければ、かなり怖いところだ。

ちゃちゃちゃっと写真を撮って、撤退する事にした。




神社を出た後、道並みに帰るとちょうど横に、室原城址があるので、その横を通って写真をとろうということになった。

市役所の学芸員の方の話では、ものすごい山城で、とても登ることはできないとか。。。

・・・でも、登る山城マニアとか、いるんだろうなあ。。。




ナビを頼りに、室原城址へと向かった。

するとなんと、道路は山のすぐ際まで来ていたので、山の全体の写真は撮れないと、ここで初めて気がついた。


山 3

しかし、せっかくここまできたのだからと、とりあえず証拠の写真を撮った。

ただの真っ暗な写真だが、山のラインはわかるだろうか。。。




可児城山横 ナビ 

山城横を通り過ぎたところで、ナビの写真を撮った。

分かりやすく言うと、山城は、『リトルワールド』のすぐ北東にある。



交差点 

この交差点の、すぐ左斜め後ろに山城はある。



この山城に、可児氏が住んでいた。


山 


よって、ここが可児才蔵の生誕地ではないかと推測されている。


山 



まだまだ謎に包まれた人物、可児才蔵。


しかしながら、彼の生き方はとても魅力的だ。

その魅力が、今回僕たちをここまでやってこさせたのだろう。


山城、登れなかったけど、ここまでたどり着いただけでも大満足でした。

可児市、きてよかったです。

^^
Posted at 2012/08/30 01:09:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 可児才蔵 | 旅行/地域

プロフィール

「[整備] #ノアハイブリッド ノア フロントワイパーゴム2本交換 https://minkara.carview.co.jp/userid/572723/car/2829981/6883845/note.aspx
何シテル?   05/11 09:08
旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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