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2024年02月01日 イイね!

トヨタの紙カタログ廃止に思う

この記事は、トヨタが紙カタログ廃止へについて書いています。

先日、みん友さんの凌志さんがトヨタの紙カタログの廃止についてブログで取り上げていらっしゃいました。(凌志さん、勝手にトラックバックすみません。)

最近の自動車会社のカタログ事情は実は疎いのですが、特に輸入車は廃止の方針になっているブランドは増えているようですね。

その流れがついに大企業トヨタにもやってこようとは、最早時代の流れと言わざるを得ません。

そこで、トヨタ自身はカタログ廃止についてどのようにリリースしているのか。ホームページを調べてみると、1月29日付のリリースがありました。以下引用します。

(引用開始)
トヨタは日本国内において2025年より紙の商品カタログのご提供を終了し、全国のトヨタ販売店で「スマートカタログ」運用を推進していきます。

これまで長年にわたり、紙の商品カタログをご提供してきましたが、SDGs、カーボンニュートラルへの取り組みを一層進めるため、2025年1月よりトヨタブランドの車両の紙カタログの制作と印刷を終了します。

紙の商品カタログは年間約7,000トンもの紙資源を使用しており、多くの森林資源を使用しているだけでなく、その製造工程や輸送、保管、廃棄などの課題もあり、その解決に向けた検討を進めてきました。今回の紙資源使用削減によるCO2排出削減効果は年間1.1万トンに及びます。(トヨタ・コニック・アルファ株式会社調べ)。
(引用終了)

SDGs、カーボンニュートラルなどと言った取り組みを進める中で、紙資源のムダという問題に直面し、そうなると廃止することが一番の解決策となるわけですね。

それと同時にインターネットの普及は紙カタログ廃止のさらなる追い風となったことでしょう。ちょっとした変更や特別仕様車の追加などでいちいちカタログやリーフレットを作成することはメーカーにとってかなりの負担だったに違いありません。

とここで、トヨタのカタログづくりに対するエピソードを一つ。

2018年4月に惜しまれつつ国内販売が終了したアベンシス。2015年10月にはキーンルック&アンダープライオリティのフロントマスクを採用した後期型へとマイナーチェンジを実施しています。

翌2016年7月には一部改良を実施。その一部改良というのがアルミホイールデザインを変更しただけという、たったそれだけの改良。

詳細は下記の過去ブログを参照いただきたいのですが、グレード紹介のページやトヨタセーフティセンスCのイメージ写真までちゃんとホイールが差し替えられています。改良前と改良後のカタログでは最早間違い探しレベル(驚

トヨタのカタログづくりに対する執念すら感じます。ホイールデザインの改良であっても、一切カタログに手を抜いていないところは、さすがトヨタといえるでしょう。

個人的には自動車カタログコレクターとして、古今東西さまざまなカタログを集めてきました。最近はコレクションの意欲がかなり低下してしまい、すっかりご無沙汰です。

トヨタが紙カタログの廃止に取り組めば、他メーカーも間違いなく追随していくことでしょう。カタログコレクターとしては残念で仕方がありません、、、
Posted at 2024/02/01 23:29:16 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日本車カタログ | 日記
2022年06月19日 イイね!

日産プリンス店総合カタログ【1982年3月発行】

日産プリンス店総合カタログ【1982年3月発行】かつて日産は最大5つの販売チャネルを有していました。

日産店、モーター店、チェリー店、サニー店。そして今回ご紹介するプリンス店です。

その後、それぞれの販売店は統廃合を進め、再編により1999年頃から2000年頃にかけて、ブルーステージとレッドステージの2つの販売チャネルにわけられました。

幾多の変遷を辿りながら、現在はどの日産販売店でもすべての日産車の購入が可能となりました。それによって、販社同士の競争が激化したのは言うまでもありません。

こうした流れはトヨタでも進められたので、日産は先を見据えた販売戦略を早めに推し進めたと言っても良いのでしょうね。

さて、冒頭写真がカタログ表紙です。たて30cm×よこ20.5cmと、他にあまり例のないサイズです。A4用紙にとても近いサイズのようです。全4ページの折り畳みの簡易なカタログ。

表紙を飾るのはR30前期型スカイライン2ドアハードトップ。フェンダーミラーが懐かしいですね。1983年登場の後期型ではドアミラーでしたから、ちょうど端境期だったわけです。

表紙に「'82グランプリ受賞」とあるのは、月刊自家用車誌主催の国産乗用車読者人気投票総合部門第1位を受賞したからのようです。R30ってそれほどまでに人気だったのですね。誇らしいことです。

1ページめくると、

R30スカイラインのラインナップが4つも揃っていました。ハードトップ(2ドア)、セダン(4ドア)、ハッチバック(5ドア)、エステート(バン)。

イメージキャラクターを務めるのは、ポール・ニューマン氏。二枚目俳優ですし、様になりますねえ。

4ドアに設定のあったRSはカッコ良かったですね。RSはスカイラインらしいキャラクターのグレード。R32まで途絶えることとなった「GT-R」の役割を担っていたのかもしれませんね。

変わり種のモデルがあったのもR30の特徴。

ハッチバックは需要があったから設定されたのでしょうけど、どのくらい販売実績があったのでしょうか(^^)

もう一つのモデルが、

エステートと名称が与えられたバン。つまり、4ナンバーの完全商用モデルです。どちらかと言うと、スポーティなイメージが強いスカイラインに商用モデルとは意外性がハンパないですね(^_^;)

次のページには、

430グロリア。ジャック・ニクラウスがイメージキャラクターを務めていましたね。なので、「ジャック・ニクラウス・バージョン」という特別仕様車が存在しました。傍らにニクラウス佇むグロリアの写真がそれです。フロントグリルに専用バッジが装着されていましたっけ。

写真にあるとおり、430グロリアにはワゴンとバンが存在しました。当時のライバルだったクラウンにも同様に存在していましたね。一定数の顧客がいたということでしょう。

次のページは、

N10初代ラングレー。チェリー店扱いのパルサーの姉妹車でした。「愛のラングレー」というキャッチフレーズでした。コンパクトクラスのラインナップがないプリンス店にとって、待望のモデルだったことでしょう。

裏表紙はプリンス店の商用モデル。

トラックのアトラス、そして、ホーミーコーチ(5ナンバー)とバン(4ナンバー)。アトラスは現代に至るまで残されたネーミング。ホーミーはキャラバンNV350になりましたか。

全5つのうちの1つの販売チャネルに過ぎなかった時代ですので、実にシンプルなラインナップだったのですね。

裏表紙下にあるこの看板はプリンス店に掲げられてあるのを当時見かけたもんです。誇らしささえ感じられました。取り扱いモデルが一目瞭然でわかりやすいですよね。

※ポール・ニューマンが登場するR30前期型のTVCMを見つけたのでどうぞご覧ください。


こちらは4ドアセダンのRSのTVCM。
Posted at 2022/06/19 16:21:42 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日本車カタログ | 日記
2021年11月08日 イイね!

初代ピアッツァが登場するISUZU通信【1982年頃発行】

初代ピアッツァが登場するISUZU通信【1982年頃発行】日本車カタログはかなり処分したのですが、チラシは残していました。

クシャクシャにすればアッと言う間にゴミ箱行きになりそうですが、当然そんな勇気もなく、だからと言ってカタログほど嵩張らないですし。

ということもあり、チラシは保管が割とたやすいので、あえて処分しなかったのです。

今回ご紹介するのは、いすゞ自動車がまだ乗用車をつくっていた全盛の時代のチラシ。ピアッツァとファーゴがとても懐かしいですね。

とここで。このチラシがいったいいつ発行されたのかとても気になります。

チラシには発行年月が一切書かれていないのですが、手掛かりとなるヒントがたくさんありました。

○ヒントその1
ファーゴの発売開始は1980年12月である。

○ヒントその2
ピアッツァの発売開始は1981年6月である。

○ヒントその3
ファーゴワゴンにサンルーフが標準装備となったのは1982年7月である。(チラシ裏面記載)

○ヒントその4
ピアッツァのドアミラー採用は1983年5月である。

以上のことから、少なくとも1982年7月から1983年4月までの期間の9ヶ月間のものであることが判明しました。40年ほど前のチラシということになります。

このチラシは「ISUZU通信」というタイトルがつけられています。おそらく顧客向けのPRチラシなのでしょう。

当時発売間もないファーゴとピアッツァを積極的に売り込もうという意気込みがヒシヒシ強く伝わってきます。

いったい何をアピールしているのか。
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こんな記載があります。引用します。

(引用開始)
いま、もっとも美しいクルマといわれるピアッツァに、ファーゴは似ている。優雅なスタイリングにおいて、華麗な走りにおいて。なるほど、ファーゴの快適さの秘密はピアッツァにあったのか。
(引用終了)

ピアッツァを引き合いにファーゴは流麗であることを訴えているようです。そうか、そうなのかなあ。

共通する箇所として「ISUZU通信」の中でも挙げていること。

 ・快適なフルリクライニングシート
 ・空力特性にすぐれたフロント部
 ・精悍な角型ヘッドランプ
 ・軽快なフロアシフト
 ・雨どいを内側に収納して風切り音を低減
 ・強じんなモノコックボディ
 ・曲面ガラスが生んだまろやかなスタイル


また、チラシ下側には、
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 ・ひろびろウインドゥ
 ・ガラスとボディパネルの一面化をはかった段差の少ない設計
 ・大きなリアウインドゥ
 ・便利なリアワイパー


ファーゴってそんなにもピアッツァに似ていたのか。言われてみればそうなのかもしれない。

所々に登場する漫画のキャラクターの吹き出しには、
 ・「なるほど、これならお店のイメージ・アップになる!」
 ・「これなら春夏・冬(あきない)、繁盛まちがいなし!!」
 ・「これで燃費も良いんじゃ言うことなし!!」

購買意欲を煽っているわけです。

ファーゴは当時のイスズとしては全く新しいバン(ワゴン)。まだまだ認知度は高くはなく販売実績には繋がってはいなかったのでしょう。何としてでも実績を上げたいところ。

そこで、かなり強引な気がしますが、ジウジアーロの力を借りて、ファーゴをもっと大々的に広くアピールしようという魂胆がこのチラシからは読み取れます。

ところで、「ISUZU通信」の裏面なんですが、
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当時のイスズの商用モデル。40年経った現代まで残っているのはエルフだけなんですね。

40年前の「ISUZU通信」から。商用モデルをクーペと共通項があるとしてアピールするやり方って、現代ではまずあり得ないでしょうね。のんびりした良い時代でしたね。
Posted at 2021/11/08 23:11:08 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日本車カタログ | 日記
2021年09月15日 イイね!

初代ホンダNSX日本発売当時の新聞広告とカタログ【1990年9月発行】

初代ホンダNSX日本発売当時の新聞広告とカタログ【1990年9月発行】今から31年前の9月にホンダからピュアスポーツカーたるNSXが登場しました!

当時、世はバブル景気中盤といった状況下。

1989年以降に登場した日産スカイラインGT-R(R32)やトヨタセルシオ、日産フェアレディZ(Z32)などは高額車にも関わらず、ヒットを飛ばしていました。

そう言えば、同じ頃に日産インフィニティQ45も登場していましたが、いくら高額車とは言え、あまり見向きもされていなかった残念なクルマでしたっけ。

それらのクルマたちの中にはホンダNSXも数えられていたかもしれません。

NSXは販価が800万円台からと、庶民にとっては高根の花でしたが、それなりに販売実績があったと記憶します。スゴイ時代でしたね。

今回ご紹介するのは、1990年9月に日本で販売が開始となった当時の新聞広告です。なんと、日付は9月15日。ちょうど31年前のものです。(冒頭写真)

1ページ全面広告で、写真とたくさん詰まった情報で、見る者に興味を惹かせる内容となっています。

一部拡大します。
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『ここに、1台のホンダがあります。』

決して長くはないキャッチフレーズですが、後世に名を残すモデルとして、当時のホンダが必死になって取り組もうとする意気込みがひしひし伝わってきます。ストレートに訴えているのですね。

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興味のある方はご覧いただくとして、私が興味を惹いた一節を引用します。

1963年、ホンダは高性能な小型スポーツカーを、初めて世に送り出しました。S500と名づけられたその車から27年、今日、NSXがファクトリーを出ていきます。それは長い夢、無数の夢の集合体です。スポーツカーが好きな人が集まってスポーツカーを創る。スタートからホンダはそういう会社でした。そして、その時点で考えうる最高のものしか登場させようとしませんでした。NSXに目を注いでください。そこに今日のスポーツカーの到達点、今日のホンダがあります。
(引用終了)

実はホンダ車は所有したことが一度もないので語れるほどの知識の持ち合わせはありませんが、初代NSXとは本田宗一郎の精神が宿ったクルマなのだと捉えています。

とても30年も前に誕生したクルマとは思えないほど優れたデザインだと思います。

ところで、つい先日のことですが、みん友さんの羊会7号車さんがホンダカタログを取り上げていらっしゃったので、完全にマネして私も(^_^;)

これは簡易カタログ。(1990年9月発行・14ページ)
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当時地元のベルノ店を訪ねてもらってきました。NSXのロゴ入りの封筒までいただきました。ハシゴして同じカタログを計3冊持っています。

冒頭のページ。
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まあとても小さな文字なのですが、リトラクタブルをオープンにしてヘッドライト点灯のNSXが映っているのが何気にカッコイイ。記載を取り上げます。

NSX。それはホンダが’90年代へ向けて送り出す、新世代のピュアスポーツである。スポーツカーの在り方にまったく新しい地平を切り拓くと同時に、世界第一級のピュアスポーツを創造しようとする開発陣の熱い信念のもとにそれは生まれた。量産メーカーとして、独自のテクノロジーとパッケージングで、時代を先駆けるクルマづくりをしてきたホンダは、一方でつねに爽快な走りを求めるというスポーツマインドを持ち続けてきた。
(引用終了)

先ほどの新聞広告とは一見して異なる文面も、実は伝えたいことは同じ。当時のホンダってつくづく技術者集団のメーカーなのだなというのが率直な印象です。

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以前、拙ブログでもこのカタログを取り上げているので、今回は写真だけで。
(参照:”Our dreams come true”初代NSXカタログ【1990年9月発行】

NSXは2016年に2代目が発売となりました。そのNSXも生産が終了を発表し、最後の限定モデルなるタイプSを発表しました。

  ≪画像は拝借しました。≫
初代の精神って2代目に引き継がれているのかというのが気掛かりですが、販価は倍以上に上がってしまいましたね。ちなみに日本限定30台、2794万円也。あぁ高い、、、

ホンダは凄いクルマをつくり上げたというのが、30年前当時に率直に感じた印象。

パフォーマンスやポテンシャルの内容からすると、800万円台という価格設定は決して高くはなかったクルマだったのでしょうね。改めてこのようなクルマをつくったホンダは凄いメーカーだと思ったのです。

※NSX30周年記念のストーリー動画をご覧ください。(2020年10月)
Posted at 2021/09/15 22:29:49 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日本車カタログ | 日記
2021年05月26日 イイね!

第30回東京モーターショーで配布されたマツダのカタログ

第30回東京モーターショーで配布されたマツダのカタログカタログの整理をしていた時に、今から28年前の1993年に開催された第30回東京モーターショーのカタログが何冊か見つかりました。

1993年と言えば、世はバブル景気の終盤に差し掛かった頃だったでしょうか。

その直前のバブル期となる1987年から1991年頃にかけては、NSXやR32GT-R、Z33フェアレディZ、セルシオなどの高額車が飛ぶように売れた時代。今振り返ると、とんでもない凄い時代でしたね。

今回取り上げるのはその中からマツダブースで配布されたカタログ。(冒頭は表紙)表紙を飾るのは後ほどご紹介するHR-X2というコンセプトカー。

解説はほとんど省略でご紹介(^_^;)

このページに登場するHR-X2というコンセプトカーは水素自動車なんですね。今やトヨタが市販化していますが、マツダは30年も前から先を見据えて取り組んでいたのですね。


世界初ミラーサイクルエンジン搭載のユーノス800。ユーノスチャネルのフラッグシップモデル。「キーワードは、十年基準」というキャッチフレーズがそれほど遠い将来を感じないのが気になるなぁ。


ランティス、好きだったなぁ。ハッチバックのデザインが何とも言えずカッコ良かったなぁ。


ラクジュアリーセダンとして紹介されているのが、センティアとアンフィ二MS-8。うろ覚えですが、センティアと兄弟車ってMS-9でしたっけ。何せ販売チャネルが増えてそれぞれに兄弟車をラインナップに揃えたので、当時も今もわけがわかりません(苦笑


ミディアムセダンとして紹介されている、クロノス、アンフィニMS-6、ユーノス500、オートザム クレフ。これらはまさに兄弟車でしたね。あと、フォードテルスターもでしたっけ。ランティスは加わらないのでしょうかね。

販売チャネルごとに兄弟車をラインナップに揃えて、特にこのクラスはそれぞれ特徴と個性があって面白かったです。と同時に、マツダ大丈夫なのか?と心配に思ったのも事実。


コンパクトビークルとして紹介されているのは、マツダを代表するファミリア。オートザムのレビューとキャロル。レビューのキャンバストップは頭上フロントからリアまで開放となるタイプ。キャロルのキャラクターは可愛いですね♪


スポーツ&スペシャリティとして、アンフィニRX-7、ユーノスコスモ、ロードスター、MX-6。ロードスターはM/C版の1.8L搭載版。排気量が大きくなっても人馬一体の精神は宿っていますよね! 名車です。


こちらのページはライトスポーツ。ユーノスプレッソとオートザムAZ-3は兄弟の関係にありましたね。V6の1.8Lを搭載したモデルもありました。AZ-1はガルウィングドアを採用した、凝ったKカー。バブル期だからこそ市販化できたモデルでしたね。

こちらは最後のページ。

当時のマツダが取り扱っていた輸入車が取り上げられています。ユーノスはシトロエンで、オートザムはランチアとアウトビアンキ。

同じページにさまざまな名門ブランドが載るなんて、今となっては絶対にあり得ないことですね。マツダがシトロエンを取扱うとは大丈夫なんだろうかと当時は思ったものです。もちろん、ランチアも然り。

最後に、当時の各販売チャネルのラインナップを拡大。

これを眺めていると、当時のマツダはトヨタや日産に右に倣えで同じ方向を向いたので、むやみやたらに販売チャネルを増やして兄弟モデルも増やしてしまったのでしょうね。すべてはバブル期がそのようにさせたのかもしれません。

バブルの崩壊と共に、この販売戦略は失敗に終わり、軌道修正を迫られたのは周知の事実。この反省から現代の”Be a driver”の販売戦略が生かされているのかもしれませんね。
Posted at 2021/05/26 21:43:44 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日本車カタログ | 日記

プロフィール

「@ロボ部長 さん、2桁ナンバーというのは凄いですね!しかもオリジナルを保っているなんて。もう感動モノです。」
何シテル?   04/11 20:50
クルマ大好きです。日本車、ドイツ車、イギリス車、イタリア車、フランス車、スウェーデン車などなど。ブログではいろいろなことを記していて、時には違った切り口で記して...
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