こんばんは。
うちの会社はGWが10連休なので帰省してきました。
気になる燃費ですが・・・
行き南周り、出発と同時にトリップ0セット、出発の20km前当たりのセルフで満タンに給油。
広島出発
刈谷PAで給油 42.51L
高速を降りて蒲田で給油 30.2L
仙台着
高速降りて泉で給油 45.3L
色々仙台を走りまわる
仙台発
仙台富沢SSで給油 33.4L
群馬草木ダムSSで給油42.2L
小矢部SAで給油 38.8L
流野西SAで給油 36.7L
↑
ここまでで走行距離2987km
総給油量 223.8L
燃費は約13km/Lと思った以上に良い結果になった。
走行内容内訳は、
・行き南周り高速道 1,179km
・仙台周辺及び長野までの一般道 1,033km
・帰り北周り 775km
と、案外一般道走行が多かった割に、結構良い値が出て驚きです。
渋滞は行きが宝塚過ぎたあたりで4kmと、海老名を過ぎて10km程度、上越で14km程度にハマりましたが、GWにしては渋滞を回避できたと思います。
なんだかんだで、南周りの方が体感的には近かった気がします。
SQUALOのオフに顔出して、13時に広島発。山陽-名神-東名あたりは殆ど流れに任せて法定速度前後で巡航。新東名はフェラーリが丁度いい速度で走ってたので、お尻を借りてスムーズに進行。却って燃費が悪くなりそうな速度だったんですが、大したこと無かったみたいです。
首都高は一度湾岸線を通って見たかったのと、大黒とかいう有名なPAに寄って見たかったので、勘を頼りにぐるぐると2周して大黒PAへ。
そこで寝ようと思ったのですが、寝付けなかったので出張でたまに使う、蒲田のWarehouseというネカフェで24~6時は一泊。
翌朝、調布の弟に挨拶してこうと思った物の、C2に迷い込み、GPSロストして自機の位置を見失う。
なんとか立て直そうと、C1を内回りしてみたり、外回りしてみたり、横羽根線に出たり湾岸線に出たりしてみたけど、立て直せず外環経由で東北道に離脱。あ、あの有名な地下へもぐるグルグル道も通りました。
東北道に入ったのが14時で、仙台着が17時ごろ。親戚宅で家族と合流。
仙台ではあっちいったりこっちいったり、外食が嫌いな親父の居ない日は4号線バイパスを北上して泉で親父以外の家族と飯を食って、北環状からニッカに寄って、秋保経由で富沢に帰るという仙台一周とかもしてみました。
なんだかんだで、家族への奢りの飯代だけで2万こえとる・・・。
実家のマンション前にちょっと路宙した愛車を見ると、ランエボより長いな・・・しかし、この絶妙なバランスが高速機として実にカッコいいな等と写真を撮って見た。
車体の1/3がエンジンでも構わない。そうVR-4はV6 2500CCツインターボのGTカーなのだ・・・・なんちゃって。
帰りは北周りに決定して、予想される国見や福島ジャンクションの渋滞を避けて、ある意味Z字の航路をショートカットする形で、新潟から高速に乗るフライトプランを提出。
鉄道員ながら電車に乗るのが好きな親父が、新潟まで同乗したいと言うので一緒に出発。
3時に仙台を出て順調に会津を越えたのは良い物の、R282で東北山脈を越えるつもりが、行ってみたらまだ冬期通行止めで引き返す羽目に。
100kmも引き返すのはしゃくなので、南下しつつ山脈を越えるルートを模索するもなかなか見つからず。親父を降ろす都合上、あまり辺鄙なところから高速には乗れないので、結局長野駅を経由地に設定。
順調になんかするも、日光や軽井沢といった行楽地が経由に入ってしまい、渋滞で満足に勧め無くなる。
仕方が無いので、栃木-群馬-長野については険しい山岳ルートを選択する。
センターラインが無い険しい山道をひたすら走る。2速にも関わらずブーストが掛るような傾斜を上がったり、時にはバイカーが列挙してひやりとしたりしつつ、何時間もかけて長野へ抜けた。
途中親父が運転を代わってくれた。昔はギャランGTO、シルビアと乗り継いできたらしいが、MTの扱いがホトホトヘタになってた。思い返せば自分が4・5歳の時、無くなくシルビアを捨ててATのマーク2に乗り換えて、その後ずっとATだからしょうがない。
とはいえ、ギアがぎゃりぎゃり言ったり、凄まじく長く半クラッチをしていると、愛車のオーナーとしてはなかなか心配なものである。
しかし、とっても懐かしい感じがした。親父が運転して、助手席で座ってる。スヌーピーの漫画での言葉だけど、「いつか後部座席で安心して寝る世界が終ってしまう。助手席に座るようになって、いつかは自分が運転しないといけなくなるんだ。」まさに、自分は最早運転席に座る歳になって久しい。でも、助手席に座ってウトウトできる体験が出来たのはなんとも言えない良い感じだった。
群馬の峠道で、2速でつづら折りを加減速しながら登り続けた結果、油温度が130度、水温が110度、油圧もアイドル700RPMで1.0km/cm^2以下にまで落ちてしまったので、クーリングの為停車している時に、親父が写真を撮ってくれた。
顔はWEBの都合上モザイクを入れたけど、なかなか足長でしょう。丁度ズボンをずり上げてるとこだった。
ちなみに、下の道はこんな感じだった。
長野に着くと、親父はココで良いからと駅から1kmもあるコンビニで降りてしまった。親父はルート選択を誤って無駄な遠回りを延々とさせてしまったことを気にして、何度も詫びていた。自分としては今日中に広島に着ける可能性がなくなったのは残念だったけど、なんとも言えない満足感があった。
正直、自分の仕上げた車で、親父と何百キロも、それこそ市街地から山道まで、時には親父に運転して貰って自分が寝ながら、ツーリングする経験をした人がどれほど居るだろうか。お互いに見たことなの無い景色や、初めて行く場所に一喜一憂しながら、親父という特別なポジションながら、ドライバーでありナビゲータとして対等に付き合えたのは凄く新鮮で、懐かしく楽しい時間だった。
惜しいのは最終目的地が決まっていて、仕事というスケジュールが決まっていた事だけだと思う。
昔なら「ルートを承認したのはお前だろう」と一括していただろう親父が、何度もすまなそうに謝って、最後は差し入れをしてくれて、自分の道中を心配しながら去って行った姿が忘れられない。
親父も歳を取ったと思うと、なんとも言えない気分になる。
後は上越で渋滞にはまったり、寝不足で回らない頭を回しながら高速で広島に帰ってきた。
三原久井で降りて、攻めた峠を半ば半自動で駆け下りて家に帰って寝た。
なんだかんだで疲れたけど、たちまち仕事には刺し触りなく(7時で帰ったので課長はムッとしてるだおるけど)GWは終った。
書き始めから酒が入り始めたので、取り留めの無い長文になってしまったけれども、正直今の仕事だといつまで生き残れるか分からない。
今は仕事で手いっぱいな親父だけども、いつか親父が定年して暇になったら、この記事を見つけるかもなと思いつつ書いてみた。正直、帰りルートは失敗だったかもしれなかったけど、最高に楽しかった。心残りなのは、ひたすら詫びる親父に、うまく気持ちを伝えられなかったことだけだった。
広島に帰って、また下らない仕事に追われる毎日に戻ると、いずれまた家族の事なんて小説や映画で見た話のように、現実味が無くなって忘れてしまうに違いないけれど、覚えているウチに残しておこうと思った。