四国旅行日記を書こうと、写真のアップまでやったのですが、諸事情で・・こちらの日記を先にアップします。
これは、我が家の戦争に関するお話です。
こちらの写真は、フィリピンのボソボソという地方です。
ボソボソとは、フィリピンのルソン島リサール州ボソボソという地名です。私の祖父の最期の地です。写真ののどかなところがボゾボソです。とても66年前に死闘が繰り広げられたとは思えない風景ですね。
かつてアレックス・ヘイリーの小説「ルーツ」に触発されました私は、もう5年前になりますが、自分のルーツ、とりわけ親からも教えてもらえない戦死した爺さんについて調べようと、故郷の大分県庁へ問い合わせして、
『軍歴簿』
という、いわば軍人の戸籍を引っ張り出してもらいました。(結構面倒でしたけど・・・)その結果、うちの爺さんが34歳で戦死した(とされる)場所が上記ボソボソであることがわかったのです。
この調査と同時進行で、旧日本軍兵士の慰霊の為にフィリピンに向かわれる60代の方と偶然ネットで巡り会いましたので(ボソボソの写真を撮影してくださった方です)、この方が慰霊に行かれる直前に私が「(検疫を無視してでも・・)是非に!」と無理を言いまして、ボソボソの慰霊塔にある土を一掴み分持って帰ってきてくださるようにお願いいたしました。
その方は、後日ボソボソの土と日本軍兵士慰霊塔側に咲いていたお花を一緒に届けてくださいました。(お花は丁寧に押し花にしてくださっていました) 今は、その土を遺骨の代わりに祖母の納骨堂に一緒に納めています。
なんせ、昭和22年に遺骨箱は帰ってきましたが、中身は木が入っていただけだったので・・・婆ちゃん、土だけで申し訳ないです。
軍歴簿では、戦闘による死亡のため、しっかり二階級特進になっていましたが、二階級特下げでもよかったので、できれば帰ってきて欲しかったと思っています(ただし、我が家の歴史は変わってしまいますが・・)
袋越しに土の感触を感じつつ、柄にもなく、戦争の波に流されて軍人に転職(?)させられてしまった爺さんのことを想っています。
戦争になったら、俺は爺ちゃんみたいに戦地に行くのだろうか・・・やっぱり同じように行くだろうな・・軍歴簿見たら、爺ちゃんフィリピンの特攻基地の後方支援部隊に居たんだな~。
絶対無理やけど、もしできたら
「なんでそんなとこに行ってしまったん?次男にあたる俺の親父の出生届を役場に出してからすぐに臨時招集で日本を出て行ったんね~行きたくなかったよね、あっちで寂しかったやろうねぇ~」
と孫ながら爺さんを慰めてあげたい気持ちです。
最近、うちの親父が「頭頂部が禿げてきた。うちは禿げる家系ではない」などとブツブツ言っておりますので、「父ちゃんの父ちゃんは、禿げる前に戦死したのかもしれん。遺伝かもしれん。俺も70くらいになったら禿になるのを覚悟した」と応えましたが・・・爺ちゃん、禿げる運命だったんかいな?
毎日、仕事がきついとか、金がないとか抜かしています私ですが、それでも、平和ボケでノウノウと生きている自分がちょいと恥ずかしいですね。こういった先祖がいてくれたから我々は、生きていられるのです。
とかく戦後は、↓の方を批判すればいい点数がもらえるという変な時代が続いています。
確かに問題もあっただろうけど、当時を生きていなかった我々が、当時の指導者を今の価値基準(つまり日教組教育による東京裁判史観)の上で、断罪するのって・・・これって身勝手すぎませんか?今の総理に比べたら、人間とノミくらいの違いがあると思いますよ。きっと!
そういうことに思いを巡らすことなく、単細胞的にとにかく今の価値基準だけで物事を測り、心ならずも家族と引き離され、結果国に殉じる、いや殉じざるを得なかった我らの先祖を全部ひっくるめて辱めるような言動を弄し、他国におもねるような無礼な売国奴らを今年は特に、心から軽蔑する私です。
特に、某フ○ジテレビ。貴様らそれでも日本人か?ピンポンパンのデベロンやカータンや新兵ちゃんが今の体たらくを見たら泣くぞ!
お隣りの国はともかく、我が国には「怨」「恨」なんて観念はありません。お亡くなりになったら皆さん神様仏さまです。
今戦争が勃発したとき、銃を手に日本を守る気持ちがない人間に、我々の先祖を汚すようなことを言われたくない・・・
昨年は靖国参拝してきましたが、今年はここ山口で静かに英霊たちに敬意を表しております。
Posted at 2011/08/18 23:52:20 | |
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