2015年が始まってから早くも3カ月、もうそろそろこの地域では梅の花が咲き始める頃合いだ。
もっとも、実家のほうはまだまだ雪の中だが。
さて、今回はいつもと雰囲気を変えていこうと思う。
今回の記事は、長野愛知静岡県道1号飯田富山佐久間線を全線走破レポートという具合になる。しかし、時間の都合で薄っぺらい内容になってしまった。
そして今回、本当は数回に記事を分けたかったのだが、都合により一つにまとめなければならなかった。
長野愛知静岡県道1号は3県にまたがる県道で、ほぼ全線が天竜川に沿っている。
さらに、長野県、愛知県、静岡県、いずれにおいても県道1号の冠を頂いたナンバーワン県道なのである。
県道1号は長野県飯田市の国道256号交差点を起点として、天竜川左岸の泰阜村や天龍村(国道418号重複区間)を通過し、天竜川右岸に渡って愛知県豊根村の旧富山村地区をかすめて佐久間ダムに至る。静岡県浜松市天竜区佐久間町を通過すると国道473号と一旦重複し、その後愛知静岡県道9号天竜東栄線との交差点で終点を迎える。路線延長は約92kmである。
今回は終点である浜松市天竜区佐久間町側から攻めることにした。
国道151号線を経由して愛知県の東栄町から県道9号へ入ってすぐの小さな川を渡ると浜松市天竜区に至る。そして写真の奥に見えているのが県道1号終点と9号の交差点だ。
県道1号は直進、9号は現在立っている場所と、交差点を右折した先だ。
振り替えってみる。
あのきらびやかな名古屋市がある愛知県とは思えないような自然豊かな光景が橋の向こう側に広がっている。
ここに到着したときには、時刻は15時32分を回っていた。
これが終点側からみた青看板だ。
特に変わったところはないが、水窪は「みさくぼ」と読むらしい。
県道1号マークがあとから貼りつけられている。
交差点の前に設置された多数の通行止めを表す看板。
この近辺は地質が悪く土砂崩れなどが発生しやすい。
こちらの看板はトンネルの補修工事による通行止めとその迂回路を表すものだった。
凄まじい錆び具合の看板だ。
右折は国道152号線と書かれているが、だいぶ昔のものなのだろうか…。
今は右折しても国道152号線はすぐに現れないのだが。
そして問題はこれだ。
先日の土砂崩れで2人が犠牲になってしまった国道473号原田橋落橋事件。
現在は河川敷内に仮設道路(一部舗装)が用意されていて、通れるようだがはたしてこの車で行けるのだろうか…。
不安になりながらも先へ進むことにする。
終点から数えて最初の県道1号の標識だ。
このあたりから既に道幅が狭い。しかし交通量はそれなりなので要注意だ。
しばらく進むと国道473号との重複区間となる。
直進の設楽は、したらと読む。
県道1号はここで右折することになる。
右折して少し進むとなにやら道路工事をしていた。
どうやらここが仮設道路の入り口らしい。
直進すれば元々の国道473号だが、今日はここを右折して河川敷へ下る。
これが仮設道路だ。
思ったほど路面は悪くないが未舗装である。
現在の車高では気をつけないとオイルパンヒットの可能性がある。
慎重にかつ、後続車をイライラさせない程度のスピードで川を渡る。
土管を横に並べた上に土を盛った道路で川を渡るなんて、なかなか体験できない。
感動ものだ。
これが仮設道路からみた原田橋だ。
見事に落橋している…。
写真には映っていないが、フレームの左側の外には想像を絶するようながけ崩れの光景があった。
なんとか仮設道路を通り抜け、佐久間市街へとやってきた。
仮設道路の最後に盛り上がった部分があってキツかったが、無事に通り抜けられたようだ。
JR飯田線は佐久間ダムへ水没したためこのあたりから迂回区間となる。
県道1号はこの先を左折だ。
交差点を左折してすぐに現れるのがこの先の道が険しいときに現れる電光掲示板。
これがあの有名な静岡県なのに愛知県の規制表示がでている、例のアレである。
そして名無しの隧道を通り抜ける。
元々は佐久間ダムの工事用道路だったのかも?という意見が多いようだ。
道路に対して約90度で坑口を開ける隧道。こういう光景もほとんど見なくなってしまった。
隧道を何本か抜けると、そこには巨大なダムが広がっていた。
これが佐久間ダムである。
竣工当時(昭和31年)は日本で最大級のダムであった。その高さは155.5m、総貯水量は326,848,000 立方メートルにもおよび、発電量は上流の新豊根発電所と佐久間発電所をあわせて147万キロワットである。
日本の電力史を語るうえでは欠かすことのできない佐久間ダム。
電気系学科に属する者としては一度訪れてみたかった。
戦後、日本にも高度経済成長の波が訪れようとしていた。
そんなときに需要が高まっていたのが電力だったのである。
しかし、戦後間もなく民営化したばかりの電力会社には急峻なV字峡谷を形成する天竜川にダムを建設するほどの資金や余裕がなかった。
そこで昭和27年に発足したのが特殊法人電源開発株式会社である。
この電源開発株式会社は現在はJ-POWERという愛称で親しまれている。
電源開発株式会社はその名の通り、電力の安定供給、国土の開発のために発足し、その使命を果たすべく佐久間ダムの建設に取り掛かった。
ダム建設で問題となり得るのは水没保障である。しかし、佐久間ダムは市町村だけではなく、愛知県、静岡県、長野県の3県にまたがる巨大ダムであったためにその交渉は難航した。
当時の国鉄飯田線は現在のダム湖底を走っており、駅や集落もあった。
現在の佐久間湖右岸を通るのが愛知県道1号であるが、実は左岸にも県道がある。
静岡県道288号大嵐佐久間線だ。
ここ、佐久間ダムはその終点にあたる。
写真左と写真奥は静岡県道1号だ。
実はこの静岡県道288号線は、静岡県から正式に廃止が言い渡された、まぎれもない廃道なのである。
実際は県道の8.2kmだけのはずだが、ダムから数100メートルのところで既に通行止めになっている。
これがオブローダーたちの間では有名であろう通行止めの標識である。
文字の書体がずいぶん古めかしい気がする。
夏焼には現在も人が住んでいて、大嵐駅側からのアクセスが可能だ。
車両と一緒に撮影するとこんな感じだ。
これが県道だったとはとても思えない…。
ゲートの向こう側はまだ路面がしっかりしている。
まだ何かの用途で使われているのだろう。
この静岡県道288号大嵐佐久間線の誕生にはやはり佐久間ダムの水没保障が絡んでいるらしい。
詳しいことはその道のスペシャリストがレポートしているので、興味のある人は検索してみるといいだろう。
通行止めの県道288号を引き返して駐車場に車を止めて小休止をする。
苔むした石の階段の上には昔風のベンチがいくつも無造作に置かれていた。
きっとダムが完成した当初は多くの観光客でにぎわっていたに違いない。
その証拠に展望台なんかもあったりする。
昭和31年、佐久間ダム建設の成功によって日本の土木技術も確立されていったのだろう。
そんな労働者たちの努力の結晶を、見たこともないような巨大建造物を一目見ようと、多くの観光客がこの人造湖、佐久間湖でにぎわいを見せたのではないか。
昭和中期から後期にかけてはこうした人口建造物を観光資源として活用している例が多くみられる気がする。
そんなかつての観光地のにぎわいが嘘であったかのような佐久間ダムだったが、今日ではその役目を北アルプスの黒部ダムに譲ったのであろう。
さて、時刻は16時33分。
佐久間ダム堰堤から振り返ってみると、そこには静岡県浜松市の看板が立っていた。
ダム堰堤を渡り、再び愛知県に突入する。
というのも、愛知県の家から出発してわざわざ静岡県浜松市まで行ったのだ。
豊根村は、愛知県の一番右上に位置している。富山は「とみやま」であり、旧富山村のことだ。平岡、飯田は長野県の地名である。
そしてダムを渡ってすぐに早速素掘り(コンクリート吹き付けだが)のトンネルが待ち構えていた。
今回はトンネル内部の写真は撮影していないが、狭くて暗い不気味なトンネルだ。
こんなトンネルがいくつか連続した後、県道1号は佐久間ダムのすぐ淵の断崖絶壁に出ることになる。
途中にこんな看板があった。
昔はこの休憩所から眼下に飯田線と豊根口駅、松島集落が見渡せたのだとか。
現在はすべて佐久間湖に沈んでしまって一面緑色の湖面しか見えない。
この緑色の湖面はなぜ緑色なのだろうか…。
愛知県道1号の標識をゲット。
ところどころに新設された真新しい県道標識が立っていた。
相変わらず道は狭小区間が続き、路面も荒い。このあたりはまだ交通量はそれほどでもないが、左は絶壁、右は谷底(佐久間湖)という恐ろしい地形だ。
よくもこんなところに道路を作ったものだ…。
道中対岸にあるはずであろう静岡県道288号や湖面に出てくるかもしれない旧飯田線の痕跡に注意しながら走っていたら対岸に白いものを発見!
有るじゃないか!!
道路が!!
ガードレールが!!
恐らく県道大嵐佐久間線だろう。
しかしだいぶ崖が崩壊していた。路盤まで一緒に崩壊しそうである。
同じ位置から大嵐側に目をやると、ガードレールもないがけっぷちの道路らしきものが見えた。
恐らくこれも県道288号だろう…。
崖には防護ネットが付けられている。
そしてこちら側の県道1号はどんな所かと言うと…
こんなところである。
向うもこっちも大して変わんないような気がする…。
もう少し進んだところで対岸に夏焼の集落が見えてきた。
今日の湖面もそれなりに低かったから飯田線の痕跡が見えるとしたらこのあたりだろう。
一面緑に染まっている佐久間湖。
かつてはこの崖の下に汽車が走っていて、集落があったとはとても想像できない。
しかし、そんなかつての風景を忘れるなと言わんばかりにヤツが現れた。
隧道!!
旧飯田線の隧道が現れた!!
この光景が一度見てみたかった。
湖に沈む隧道。
ここにかつて列車が走り、集落があったという証。
この佐久間湖底の旧飯田線についてもその道のスペシャリストがレポートしているので興味がある人は検索してみるといいだろう。
さらに夏焼集落手前の橋脚まで見えた。ここから見るだけでも相当な高低差があるから、飯田線はかなりの急勾配だったのだろう…。
旧飯田線を発見してから少し走ると、県道1号は愛知県道426号・静岡県道287号津具大嵐停車場線と合流する。
このタイプの電光掲示板のダブルパンチは絵的にかなりヤバい。
来るものを拒むかのような警告っぷりだ。
こちらは旧富山村方面。
県道や国道の重複区間は、番号の若い路線が優先して表示されるのがお約束だ。
この場合は426号が1号に合流したと考えた方がいいだろう。
富山村の郵便局を過ぎて交番の向かい側にあるコーヒーショップ栃の木は結構有名のようだ。
寄りたかったが、既に時刻は17時30分を過ぎており、営業していなかった。
ちなみに入口は石垣の上なのでよく見ていないと見落としてしまう。
富山村を抜けると大嵐駅へと続くつり橋がある。
今日はせっかくなので大嵐駅方面にもより道してみよう。
これが旧飯田線の隧道を自動車用に転用したというトンネル。
2本のうち大嵐駅側が短く、佐久間湖側が1.2キロもある。
隧道内は狭小ですれ違いは不可能だ。
そして隧道を抜けて左カーブを曲がった瞬間これである。
静岡県道288号大嵐佐久間線はこの先通行止めとなっている。
ゲートの向こう側は完全に廃道となっていた。
こちらもオブローダーには有名な光景かもしれない。
かつてはここを自動車が往来し、この道が佐久間ダムへと続いていたなんてこの状況からは考えられない。
ちなみにこの廃道区間の中にTT100コロナのGL用ホイールキャップが1枚落ちていたらしい。勇敢なオブローダーのレポート写真に写っていた。
忘れてはいけないのが、先ほどのトンネルも、今いるこの路上も静岡県が管理する県道だということである。
通行止めのゲートから来た道を振り返る。
奥には夏焼隧道が見えており、坂を登れば夏焼の集落にたどり着ける。
対岸の県道1号から少し見えたが、段々畑の綺麗な集落だ。
今度は集落にもお邪魔してみたい。
これが夏焼隧道の佐久間湖側だ。
かつてこのトンネルを列車が走っていたなんて想像できない…。
佐久間湖ができて、満水時には水没の恐れがあるためにこちら側の坑口はかさ上げされているようだ。
画面右下に見えるのが恐らく旧坑口の跡だろう。
夏焼隧道から佐久間湖を見る。
ここからでは旧飯田線の痕跡は何一つ見えない。
県道288号もここからでは既に見えない。
こんな看板も設置されている。
今度は佐久間湖の水が満水の時に来てみたいものだ。
隧道をもう一度通り抜け、現在のJR大嵐駅にて小休止する。
長い険道を通ってきて疲れも溜まってきたが、まだまだ愛知県なのである。
旅のノートに一言書かせてもらって、再びつり橋を渡った。
再び県道1号に戻り、長野県天龍村方面へと向かった。
時刻は既に午後6時を回っており、あたりは暗くなり始めていた。
そんなときにE30系カローラとL55Vミラが現れた。
ようやく長野県天龍村に入ったようだ。
長野県に入っても道路状況は依然として悪い。
あたりは暗くなってきて写真を撮るには最悪の状況だった。
そしてこの長野県道1号、あの有名な国道418号(酷道)と重複する。
そりゃ県道1号も険道なわけだ。
県道にはおなじみの電光掲示板が立っているが、あれも愛知県の規制である。
国道418号で天龍村を超えると交通量が多くなった。
時刻は18時44分。帰宅ラッシュだったのだろうか。
天龍村を超えて県道1号は国道418号から左折するが、後続車がいたために撮影を断念した。ここから先はそのような個所がいくつかあった。
長野県道1号飯田富山佐久間線である。
平岡、泰阜には中部電力のダムがあり天竜川が、いかに水力発電として最適だったかを物語っている。
そうこうしているうちに飯田市の長野県道1号の起点、国道256号との交差点に到着した。
ようやく長野愛知静岡県道1号飯田富山佐久間線を全線走破した。
後半の長野県に入ってからは道路が狭い割に交通量が多く、アップダウンや急カーブ等もあった。
佐久間ダムを一目見ること、旧飯田線の発見、県道1号走破という3つの目的を無事果たした。
平成27年3月5日19時49分、長野愛知静岡県道1号飯田富山佐久間線、完走。
長野愛知静岡県道1号飯田富山佐久間線
路線延長92km
所要時間4時間17分
今回の旅は平成26年度、最後の記事に相応しい内容となっただろう。