車・自動車SNSみんカラ

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2017年01月01日 イイね!
新年明けましておめでとうございます。

本日より「りんりん通信 みんカラ連絡所」とタイトルを変更しました。
今後は簡易運用という形式に縮小して、ここを維持します。
ご連絡等はメッセージにていただければ返信させていただきます。

今後ブログは停止しますが、生存報告を兼ねて数ヶ月に一度程度の転載を行います。
前回もお伝えしている通り、次の更新は毎年恒例の運試しレポの予定です。
準備と都合次第ですが、なるべく早く自販機コーナーでの運試しを実施して、記事にまとめます。
みんカラへの転載は本館掲載のしばらく後、予定では春~初夏を目途にしています。
Posted at 2017/01/01 00:23:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | お知らせ・連絡 | 日記
2016年12月31日 イイね!
2010年1月1日、キリのよい日ということで、決心してスタートしたこのブログですが、
ちょうど7年が経過した本日2016年12月31日をもって、現形態での運用を終了させていただきます。

何度かお話させていただきましたが、私がみんカラを始めたのはこれよりずっと前で、
当時は四駆での旅や仲間とのオフ会などを中心にした記事を書いていました。
私の身辺の都合で車での旅や仲間との交流が失われるようになり、自分の生き甲斐を
生活の近くに設けなくてはいけなくなって、VOCALOIDにたどり着きました。
しばらくは車仲間とのブログの中でVOCALOIDを取り上げていたのですが、
車趣味とVOCALOID好きが混在することで両者の間に障壁ができてしまい、
現在の趣味であるVOCALOIDを選択して新規IDにて再スタートしたのがこのブログです。
かつて数10人いた仲間を捨てて、僅かなVOCALOID繋がりの方々との交流を選んだのですが、
その後VOCALOID人気が上昇したこともあってお友達も増え、有意義なお話もできましたし、
何より私の活動や創作を支持してくれる方も大勢見つかり、野営イベントも開催できました。
私の発信した記事の核心を読み取っていただけた方から期待通りのリアクションをもらえると
とても嬉しい思いがして、そのためにあらゆる構想や長文の記事を書いたり、充実していました。
ここはご存知の通り別館なんですが、本館ブログより濃い仲間がいてくれたこともあって、
むしろ本館よりメインのブログとなっていた時期が長く、私にとっても特別な場所だったのです。

現在の状況をご覧いただければお分かりのように、ここの存在もずいぶん変わってしまいました。
私の生活環境や運用姿勢によるもの、周囲の状況の変化など、原因は多々あると思いますが、
ひとつだけ間違いないことは、ここの存在する意味はもうなくなってしまったということです。
熱心に読んでいただいた方々も多くはここを離れてしまわれましたし、以前いただけていた
VOCALOID好きの熱がこもったコメントも、最近はなくなってしまいました。
皆様に必要とされなくなったことはもちろん、私自身にとっても不要な場所になりつつあります。
努力の結果成果に結びつくのなら頑張ろうと思いますが、報われないとわかっているものに
注力し続けることほど虚しいことはありません。そろそろ潮時と思わなくてはいけません。
そういう事情により、ここは7年で運用を終えることにしました。

ここで出会えたお友達の皆様とは、せっかくのご縁ですから交友を大切にしたいのですが、
VOCALOIDブログとして開設してVOCALOIDの内容限定で続けてきた専門ブログ、
その中で見つけたご縁ですから、これを外れた交友になるのなら無意味かもしれません。
すでにVOCALOIDの会話ができなくなっている方が多く、恐らく皆様にとっても
私との接点はなくなりつつあるような気がしています。

まだ多少なりともVOCALOID繋がりの可能性を残している音信不通の方がいるかもしれません。
またVOCALOID抜きでの交友を続けていただける方もいらっしゃるかもしれません。
そんな理由で、諦めが悪くて見苦しいとは思うのですが、ここは「連絡所」という形態で
形だけ残すことにさせていただきます。

これまでの記事はそのままにしますので、お友達の皆様は過去記事をお読みいただけます。
ただし、今後は本館からの記事転載も最小限とし、生存報告と活動連絡程度に留めます。
基本的にここの活動は停止させていただこうと思います。
記事公開も、交友も、たぶんここまでにしなさいということだと思います。
7年間皆様に育てていただきましたうちのVOCALOIDたちも、今年で卒業させていただきます。
これからは僅かですが同志のいる本館ブログに専念し、活動を続けていきます。


●お友達やファン登録いただいている方々にお願い

形式上はここは存続しますが、みんカラ上での活動としては実質的に終了ということになります。
もし今後もご覧いただける方がいらしたら、できましたら本館でお付き合いいただきたく思います。
既に放棄した場所で積極的な交友を、というのもどうかと思いますので。
もし本館ブログにお越しになりたい方、場所をご存じなければお知らせいたします。
お問い合わせいただければと思います。
ただし今年8月に移転再スタートした本館ブログは、純粋なVOCALOID好きの集いの場として
ゆっくり育てていくことを目的としています。本当にVOCALOIDのお話で交流できる方に
来ていただくための場として再スタートしましたので、それ以外の方はご遠慮いただいています。

今回の通常運用終了に伴い、記事の更新は最低限となりますので、これまでのように
たびたびの公開はなくなります。お読みいただける記事もごくわずかとなります。
活動の本拠地を移る目的ですから、ここでお楽しみいただくことはできないかと思います。
またここの活性化のつもりで取り上げた卓上鉄道の転載については、反対にここの趣旨を
著しく混乱させることになってしまったので、これからは一般公開は致しません。
従いまして鉄道の話題を楽しみに来ていただいていた方には今後該当記事はありません。

もしこの機会にこのブログの購読をやめるという方がいらしたら、お友達登録やファン登録を
解除していただけましたら幸いです。ここの今後の方向性を検討するために、お友達や
ファンの実数を把握しておきたいのです。つながりのなくなってしまった方との
数字は無意味ですので、実質のお友達やファンが少ないのならそれを正確に知るためです。
よろしければ再考いただければと思います。
私のほうでも繋がりのなくなっているお友達については整理させていただくつもりです。
連絡手段の確保が必要と思われる方、今後交友の可能性がある方以外は
お友達登録を解除させていただこうと思っています。
大変失礼なこととは思いますが、この活動のスタンスとしてご容赦いただけますようお願いします。

受け皿としては残しますが、前述の通り今後の活動の場として本館がありますので、
この出張所については積極的な活動意思は残さないことにします。ご理解いただけたら幸いです。


●今後の「みんカラ」の運用について

過去記事の保存庫、また連絡窓口として、しばらくここは残します。
みんカラという場を生かして楽しむ目的は終えることにしますので、
今後の積極的な公開やお友達探しや交友などはほとんど行わないと思います。
なにか共通の思い入れのある方とは、本館ブログでの接点が作れるはずですから
ここに未練とか執着は持たないこととします。
長期的な方針についてはこれから時間をかけて考えてみるつもりです。
ここが人生の役に立つのなら戻ってくる価値はあるはずですし、
人生に意味がないのであれば残さないほうがいいのだと思います。

とりあえず2017年1月1日以降、当分の間の「みんカラ連絡所」の運用形態ですが、
生存報告と活動継続連絡の意味で、数カ月に一度くらいの記事転載は行うつもりです。
またメッセージ機能についても個人間の連絡を維持する目的で利用可能としておきます。
通知メールが届きますので、私がみんカラにログインしない状況でも着信確認できます。
何かございましたらメッセージでご連絡いただければ今まで通りにやり取りはできます。

イベントについて、これまで野営やミニライブなどで親しんでいただきましたが、
これについてもみんカラでの役割は終了したと考えますので、2017年からは休止します。
今後は本館主体でイベント等についても活動を検討していきますので、もしご縁があれば
本館のイベントが開催されるような時にはこちらにご参加いただければと思います。


私個人としてはみんカラ内でもう一つ運用しているブログがあるので、
みんカラから完全撤退というわけではないのですが、そちらのブログも休止状態
(VOCALOIDとは無関係のジャンル専門でVOCALOIDネタ排除、ゆえに現在の暮らしでは
更新する余力がなく手つかずになっていますが、資料的価値が高い内容で
趣味界の方から一定のアクセスがあるようなので保守しています)、
今後は毎日のログインも行えなくなると思います。
7年といえば、小学生が入学して卒業するまでより、長い時間です。
これだけ続ければ、もう本望というべきでしょう。
皆様に支えていただき、その勢いで今まで何とか続けてきました。が、ここいらで力尽きました。
これからは本館に絞って活動を行っていくこととします。


7年間、お世話になりました。厚く御礼申し上げます。


☆形式上「連絡所」としては機能していますので、お問い合わせなどは
  メッセージ等の機能をご利用の上でご連絡ください。

★次回更新は毎年恒例行事の「運試し」レポの予定です。
  春くらいまでには転載できるようにしたいと思っております。
Posted at 2016/12/31 02:35:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | お知らせ・連絡 | 日記
2016年09月30日 イイね!
【特例として一般公開】
ブログの運用形態変更に伴い友達限定公開にしていましたが、
考察的資料として需要があるようですので、改めて通常公開とします。
本来はこのブログの世界観に沿ったストーリー形態でレポにしていましたが、
方針転換により情報のみに絞った内容に修正します。
検索などでここをご覧になる方には情報だけあれば充分目的を満たされるはずで、
よってこのような最低限のレポートに書き換えての公開とさせていただきます。

本文の最後に記載しましたお願いをお守りいただければ、情報については制約を設けません
(ここへのリンクやこのブログへの誘導になる記述、また転載はお断りします)。
現地を訪れようという方はマナーを守って住民の方々に迷惑にならないようお願いします。


昭和CMから辿る、かつての企業が残した遺跡の探訪シリーズ。
磯村建設・続磯村建設に続き、ついにこれに着手しました。


[はじめに 新栄電機とは]

かつて東京都西部および千葉県・埼玉県内に店舗を展開していた家電販売チェーン。
昭和を知る世代には、先日公開した「磯村建設」とともに、
古典的なCMの双璧として、今なお親しまれています。
昭和40年代~50年代前半に制作された、画質が悪く見るからに古い時代のCMを、
平成に入るころまで流し続けていた、貴重な企業。
磯村建設より後まで営業を続けていたものの、2003年に経営破綻、自己破産しました。





廃業からすでに13年。すでに形跡はほとんど見つけられない状況で、
人々の記憶に残るこのCMがこの家電チェーン唯一の名残と言えます。

…しかし、今もかろうじて当時の面影を辿れるという噂もあります。
ですがまだネットにその様子を公開しているところは皆無です。
ここは磯村建設に続いて、新栄電機も探して記事にしてやろうじゃないの…
ということで、今回調査を行うことにしましょうか。
さて、新栄電機の残像をなにか見つけることができるのかどうか。


●ある日の深夜●

ふと、ラーメンを食べたくなったのがきっかけ。
真夜中のゴミ捨てついでに、都内のいつもの店までラーメンを食べに行くこととしました。
年中無休24時間営業の貴重なお店。学生時代から食べていた、なぜか食べたくなる味。
店は黄色、店名は目立つ赤。
よく考えたらこれって新栄電機と同じなんですね。



東京豚骨のパイオニアと言われている、この店。
夜中に食すにはくどいのだが、この時間に食べるからこそ雰囲気に浸れる気もする。



と、お店の色遣いを見ていたら、新栄電機が気になりだした。
ちょうど調査をしようと思っていたところ、思い切ってこのまま行ってみることにしました。


●ラーメンのついでに新栄電機の店舗跡に行ってみる●

今から13年前に営業を停止した新栄電機。
その様子を見ようと過去の店舗跡などを訪れても、
もうほとんど名残は残っていないのが実情です。
そのせいか、ネット上にもその様子を紹介したところは皆無に等しいようです。

磯村建設はもう30年以上前に倒産しているが、分譲された家屋は購入者の所有だから、
その家が建て替えられたり取り壊されない限りは今も残っているわけです。
しかし新栄電機はビルやテナント、倒産すればその跡地にはすぐに別な店が入り、
同時に新店の外装や表示に改装されてしまうから、形跡は残りにくい。
倒産後13年程度の新栄電機を辿るのは、磯村建設より困難だったりします。

たとえばここ。かつて新栄電機堀切店が入っていたビル。
ご覧のようになにも形跡なし。今はドラッグストアが入っています。





新栄電機の店舗は最盛期で20数店あったようですが、どこも似たような状況のようです。
そもそも磯村建設のように多数の分譲住宅が画面に登場するCMではなく、
主に店内撮りだから店舗外観が記録に残っているわけでもない。
映像と現地の物証を照らし合わせるという辿り方は、新栄電機では困難なんですね。


●亀有に行ってみる●

東京の下町、亀有へ。
ちょうど「こち亀」の連載が終わるということで、早朝の亀有駅には早くもファンの姿が。
私も昔はジャンプを見ていたが、中学に入って間もなく見なくなってしまった。
別に漫画に興味がなくなったわけではなくて、自分のやりたいことがいろいろ出てきて、
なんとなく漫画を見るという時間が無くなっただけなんですが。
亀有と言って思い出すのは、むしろこっちのほう。解る人は解るはず。



亀有に来たのはもちろん新栄電機関係の調査。
ここ亀有は、新栄電機にとって聖地ともいえる、とても重要な地でした。

まずは本社として登記されていたという場所。
ご覧の通り、某有名宅配業者の配送センターがあるだけ。
恐らく元社長の所有不動産か何かだった土地を、破産後に債権整理の目的で
転売され、別の個人や法人が取得してきたものと思われます。



そして、もう一つの重要な場所。
今はクリニックなどが入っているこのビル、かつて新栄電機亀有本店があったところです。
おそらく1階と2階が店舗、その上に本社や事務所機能が入っていたものと思われます。



亀有店については別な方が当時の画像を公開しています。
転載は気が進まないので、その画像を参考に復元図を描いてみました。
こんな感じだったようです。ここには確かにあの新栄電機がありました。




●CMに唯一外観が出てくる、あのお店●

前述の通り、新栄電機のCMにはほとんど店舗外観が出てきません。
唯一それが映るのは、大きなビルに入っているどこかの店。
じつはそのただ一つのCMに出た店舗、現在もビルが現存しています。
新栄電機柏店跡。
おなじみこの映像に映っているビルは、今どうなっているのでしょう。



どうやら、これっぽい。



外装は多少変わってはいますが、ほぼそのまま。
新栄電機が入っていたフロアは、今は猫カフェか何かになってるようですね。





柏駅南口付近からも、このビルは見えます。新栄電機の形跡として、決定的なものの一つです。




●誰も知らない新栄電機の残像●

最後にもう一つ。うち独自の調査結果を。
東京都墨田区東向島、ここにもかつて新栄電機がありました。
向島店が入っていたと思われるビルが、今も現存しています。



4階建ての1階2階部分の一部が店舗、ほかは集合住宅として建てられたものです。
当然のことながら店舗部分は完全に改装され、新栄電機の名残はありません。
しかし、このビルには物証がしっかり見られます。



横の路地に入って行くと、建物の脇にマンションの入口があります。
ここに新栄電機の建物だった証拠が。



このマンションの名称は、「新栄マンション」です。
築年数は見た感じだと40年強でしょうか。40年前というと、新栄電機が全盛だった時代。
恐らくですが、ここ自社所有物件として建設されたのではないでしょうか。
店舗収入と住宅の賃貸収入の両方を狙ったのかもしれません。
その後新栄電機の破綻後は売却、所有者も変わっているのですが、ありきたりな名だし
特に差し支えないからと住宅名称がそのまま残っている…という事情のようです。




「たぶんネット初の新栄電機調査レポ」、これで終了です。
ほかにも各店舗の入っていたビルなどがそのまま残っていたりしますが、
この先の調査は現地訪問だけで、特に記録できる物証はないはず。
よって形としての成果を目的とするうちの調査活動は、ここまでとします。
この先は「行ってきたよ」という会話で満足できる方々の担当すべき部分です。
私はこれ以上各店舗跡を巡っても、実績にできるものがないですから。

懐かしい昭和のCMで知られた磯村建設と新栄電機、
二つのレポを終了しましたので、このシリーズはこれで完結とします。
何か新しい対象物をご提案いただきましたら、取り上げてもいいですけどね。
リクエストとかアドバイスがありましたら、是非ともお寄せください。
当時流行りものじゃなく、今の人々の心の中にしっかり残っているもの。
そういうものを発掘する必要が出たら、またその気になるのかもしれません。
何か提案がある方、是非とも課題を振ってみてください。
共感したら、再びそれらを求めて出向こうと思います。

昭和のCMの名残を見つけるレポということで、そちらの話題がお好きな
新しいお客様にもお越しいただきました。ありがとうございます。
このシリーズについては今回で完結となりますので、
新たなものが見つからない限りこれをもって調査活動は終了となります。
次回以降はこの手の話題は扱いませんので、本来の運用に戻ります。
昭和CM関係の話題はイレギュラーなんですよ。
レギュラーを手薄にすると本末転倒ですので、次回から本業に戻ります。
昭和CMシリーズはとりあえず活動終了となりますが、ご了承ください。


【お願い】
今回の新栄電機レポについては、当方の記録を参考にしていただくこと、
また記載を転記することに制限は設けませんが、
このブログへの直接のリンクはご遠慮ください
(アクセスが激増して、当方の活動に支障が出る可能性があるためです)。
当方の記録を参考にしたことを説明していただいたうえで、
独自に記事や文章をお書きいただくことには制限は設けません
(「とあるブログを参考に行ってきました」程度で可、
特にここの所在を明確に記載しなくても結構です)。
ご協力をお願いいたします。


次回からは新たなシリーズを公開していくつもりです。
またしばらく準備期間をいただきます。
Posted at 2016/09/30 18:36:22 | コメント(1) | 昭和探訪 | 日記
2016年09月17日 イイね!
【特例として一般公開】
ブログの運用形態変更に伴い友達限定公開にしていましたが、
考察的資料として需要があるようですので、改めて通常公開とします。
本来はこのブログの世界観に沿ったストーリー形態でレポにしていましたが、
方針転換により情報のみに絞った内容に修正します。
検索などでここをご覧になる方には情報だけあれば充分目的を満たされるはずで、
よってこのような最低限のレポートに書き換えての公開とさせていただきます。

本文の最後に記載しましたお願いをお守りいただければ
情報については制約を設けません
(ここへのリンクやこのブログへの誘導になる記述、また転載はお断りします)。
現地を訪れようという方はマナーを守って住民の方々に迷惑にならないようお願いします。


時間をいただいて取材と準備に集中しておりましたが…
ようやくまとまりましたので、満を持して公開いたします。


●ついに明かされる? ひばりヶおかの正体●

まず、予習というか、おさらいというか。
磯村建設は昭和50年代に埼玉県内に複数の分譲地を開発。
特に東武東上線末端区間にある男衾・鉢形両駅の周辺を中心に販売しました。
昭和60年に磯村建設が倒産してから、ニュータウンの名称もいつの間にか忘れられ、
今ではその痕跡を辿ることさえ難しくなっています。
幸いにして、当ブログにて「柏田ニュータウン」の発見に成功、
初めて過去のCMに映っていた地点の現在の様子を公開できました。
ネットでほかに情報が見つからないことから、うちが磯村建設分譲地跡の
発見第1号ではないかと思われます。

「柏田ニュータウン」レポ→ 7月9日公開 「懐かしの磯村建設分譲地に行ってきた」

で、ついに「ひばりヶおか」の情報を探し当てました。
4か所の磯村建設開発住宅地の中で、代表格のひばりヶおか。
これを見つけ出すことは一番の栄誉となるはずです。






前回の「柏田ニュータウン」同様、ひばりヶおかの最寄り駅も、東武東上線男衾駅。
「ひばりがおか」の名を名乗る土地としては、西武池袋線の「ひばりヶ丘」駅が有名。
宅地化されてから年々発展して、今では有名住宅地の一つに。
磯村建設が宅地開発を始めたころ、ちょうど西武沿線の「ひばりヶ丘」が人気になり始めの頃で、
恐らくはその名前に便乗して「ひばりヶおか」という類似した名称の分譲地を作った模様。
しかし、本家ひばりヶ丘とはあまりに違いすぎる、磯村建設のひばりヶおか。
同じ池袋から私鉄で通勤できるとはいえ、距離も環境も全く違います。



「ひばりヶ丘」は池袋まで15分弱、しかしこっちの「ひばりヶおか」のある男衾から池袋は80分。
通勤で往復すると、徒歩含めて毎日4時間近く費やすことになります。
ひばりヶ丘駅の1日の乗降客数は約6万人、対してここ男衾はわずか1800人弱。
名前は似ていても発展の度合いは比較にならないということでしょう。


●ついに「ひばりヶおか」に迫る●

それでは、さっそく磯村建設の分譲地「ひばりヶおか」を。

じつは「ひばりヶおか」という分譲地は、一つの開発地を指すのではなくて、
複数の場所に点々と存在しているようです。地元の地名とは全く無関係、.
さらに一つの場所を定めて呼んでいるのとも違う。ある意味一時期の販売ブランド名として、
磯村建設の複数の開発地を指して、このシリーズ名で呼んでいただけらしいです。
探すのは困難と思われましたが、地道な調査と分析の末、ようやく決定的な情報を得まして、
ついに幻の"ひばりヶおか"をご覧いただけることになりました。

磯村建設ひばりヶおかの分譲開発地のひとつは、だいたいこの辺にあります。
前回の柏田ニュータウンとは全く違う方向に位置します。
小さな山の傾斜地、その緩やかな北斜面に作られた住宅地です。



周囲はご覧の通り、農村のような眺め。
これが池袋から15分の「ひばりヶ丘」にあれば超絶良環境なんですが、
ここからは2時間近くかけないと山手線までたどり着けません。



限定的ながらこの場所の情報はぽつりぽつり出ていて、この辺まで到達した人は
数人いるらしいです。ところがそれ以上の情報がないから、進まずに引き返してしまう模様。
この先を追及するのは、恐らくはうちが最初です。



これが磯村建設が宅地開発した「ひばりヶおか」。
北向き斜面ですが、緩斜面なので日当たりは悪くないです。
もっと寂しいかと思ったけど、結構多くの住宅が集まっています。
確かに空家や廃墟化した家もありますが、今なお住んでる人は多い。
建て替えて新築になったお宅もあります。
都内まで通勤するのは困難でも、例えば埼玉県内の熊谷に通勤するなら
車で30分程度だし、仕事をリタイアした人なら通勤そのものを考える必要もない。
ここに住める人生を選択できた人なら、十分暮らせるところなのかもしれません。
買い物は大変そうですが。



で、さっそく現れたこのお宅。



CMで散々見た、この家と同一ではないですか。ついにひばりヶおか、確認。



続いて、この建物も発見。



40年近くを経て、2016年の姿が、これ。



一気に発見なるも、残念ながらここで確認できた証拠はこの2軒だけ。
10年前の映像記録から辿るのなら、火災や災害に遭わない限りたどり着けると思うんですが、
磯村建設の分譲住宅はもう40年近くを経過していますから、 すでに建て替えられたり
取り壊されていても不思議ではありません。存在しないものはいくら探しても見つかりませんから、
どこかで諦めなくてはいけないタイミングがくるということです。
あのCMのお家の何割かは、既にこの世のどこにもないのかもしれません。


●ほかにも「ひばりヶおか」があるらしい●

さっき書きましたけど、磯村建設の代名詞でもある「ひばりヶおか」は、
一つの分譲地を示した名称ではなく、並行して一定期間販売されていた
複数の分譲地をまとめて呼称した「販売ブランド」的なもの。
調べてみたところ、時期をずらしながら4か所ほどの場所で開発されたらしいです。

このエリアにホンダの工場ができたんですが、この土地が磯村建設の
「ひばりヶおか」跡地という噂があります。しかしこれは誤りらしい。
そもそも該当の土地に宅地開発が入ったのはバブル前後、
磯村建設が倒産した後のことらしいので、時系列として成り立ちません。
「ひばり台」という交差点名が誤解の元になっているようですが、
これも偶然の一致ということのようで、「ひばりヶおか」との関係はないようです。

前回公開した柏田ニュータウンの近くに「ひばりヶ丘団地」というのがあるのですが、
これは現在のところグレーです。磯村建設が関わった形跡がないのですが、
それを否定するだけの理由もありません。造りとしては1980年代の住宅、
磯村末期の分譲地と考えればありうる話だと思うんですが…
現地を歩き回ってもそれを証明するのは難しいでしょう。




●じつは判明している、もう一つの「ひばりヶおか」●

散々探しても全然ヒントがなく諦めていたのですが…
偶然情報の断片に引っかかりまして、2か所目の「ひばりヶおか」が判明しました。
本当に偶然です。それがなければ見つけることはできなかったでしょう。
あまりにも違いすぎる場所にあります。何でここが同じ名前の場所なのかすら不思議な、
他の分譲地とは全く無関係の場所です。

磯村建設の分譲地は結果的に失敗と言えるセールスになってしまいましたが、
その後この地区に移り住んだ人は結構多く、立派な真新しい住宅が多数建っています。
道路整備と共にロードサイドの大型店や飲食施設などが増え、
その後に家を購入した方々は利便性のいい快適土地に住み、家も大きく豪華です。
車で移動するのであればここは決して僻地ではなく、案外住みやすいのでしょう。
地価が安く、無理なく豪邸が建てられるという事情も想像できます。
ただ磯村建設の分譲地の場合は、時期と場所があまりにも悪すぎました。
都心と比べれば割安とはいえ、それでも高額な支払いで、悪条件の狭い戸建てです。
周囲の開発が進んだ現代で、、近隣に職場がある世帯が住むのなら需要はあるのでは。
近年越してきた人は、ある意味勝ち組なんだと思います。
反対に、昭和50年代の磯村建設分譲地で夢のマイホームに手を出してしまった方々は、
高い住宅ローンと劣悪な都内までの通勤環境に悩まされた挙句、40年近く経過した今も
商業施設の開発とは無縁な畑の中に、狭く古びた家を持ち続ける結果になってます。



この「もうひとつのひばりヶおか」、とても予想できない場所にあります。
磯村建設の分譲地の多くがあるのは寄居町富田、東武東上線男衾駅と鉢形駅が最寄り。
ところがこの「ひばりヶおか」は、荒川を隔てて数キロ北、深谷市内に作られました。
なぜか秩父鉄道沿線、これは都内までつながってはいないローカル鉄道です。
どうしてこれが同一名称で販売された分譲地なのか、さっぱりわかりませんが、
当時の磯村建設はこういう巧みな手法で集客をしていたものと思われます。



では、深谷市にある磯村建設分譲地の証拠を。まずはCMの映像のこの2軒の家ですが。



間違いなく、これでしょう。ここも磯村建設分譲地であったことが立証されました。



残念ながらCMに映っているもので残っているのはこの2軒くらいなんですが、
裏側から見るともうちょっと別角度から楽しめます。



「ほら、このCM映像と一致するでしう。40年近く経っても、バッチリです。



周囲の家まで入れた遠景で見れば、CMのまま。
間に新しい家もありますけど、ほかの家は当時と変わっていません。
CMにはまだ建設途中の家も映ってますが、それも健在。
完成後の姿を40年後に目にすることになるとは。





とにかく…
磯村建設「ひばりヶおか」の物証を押えることに成功しました。
昭和50年代半ばに流れていたあの懐かしいCMの中の風景、
40年近く経過した平成28年のこの世でも、かろうじてさかのぼることができます。
なんだかずっと忘れていた何かを、久しぶりに見つけ出した気持ちになります。
自分はもう10代に戻ることはできませんけどね、こういう心の時間旅行をすると、
なんとなくほんの一かけらだけでもあの頃を取り戻せるような気がしてしまうのです。


★お願い★
今回の磯村建設レポについては、当方の記録を参考にしていただくこと、
また記載を転記することに制限は設けませんが、このブログへのリンクはご遠慮ください
(みんカラ以外からのアクセスが激増して、当方の活動に支障が出る可能性があるためです)。
当方の記録を参考にしたことを説明していただいたうえで、
独自に記事や文章をお書きいただくことには制限は設けません
(「とあるブログを参考に行ってきました」程度で可、
特にここの所在や資料の出処を明確に記載していただかなくても結構です)。
ご協力をお願いいたします。
Posted at 2016/09/17 20:28:09 | コメント(2) | 昭和探訪 | 日記
2016年07月09日 イイね!
【特例として一般公開】
ブログの運用形態変更に伴い友達限定公開にしていましたが、
考察的資料として需要があるようですので、改めて通常公開とします。
本来はこのブログの世界観に沿ったストーリー形態でレポにしていましたが、
方針転換により情報のみに絞った内容に修正します。
検索などでここをご覧になる方には情報だけあれば充分目的を満たされるはずで、
よってこのような最低限のレポートに書き換えての公開とさせていただきます。

本文の最後に記載しましたお願いをお守りいただければ、情報については制約を設けません
(ここへのリンクやこのブログへの誘導になる記述、また転載はお断りします)。
現地を訪れようという方はマナーを守って住民の方々に迷惑にならないようお願いします。


このブログの過去記事で磯村建設の分譲地が今なお残存しているらしい…
と書いたんですが、本当に調べに行ってきました。
40年近く前のCMに映っていた世界ということで、現代ではその詳細は不明だし、
すでにその気配すら残っているとは思えないのだが、
なにしろ昭和を代表する有名CMなので、中年世代以上には今でも記憶に強く残っている。
実際に現地を訪ねてみた人もいるようだ。しかし残念なことに映像に映っている場所を
特定した人は未だにいないらしい。さすがにもう残っていないということなんですかね。
何にしても、出向くことに意味があるかもしれない。
ということで、行くだけ行ってみることにしました。


●磯村建設を求めて埼玉県北部へ●

CMを見るとわかると思うんですが、磯村建設というのは昭和50年代前半から
埼玉県で住宅地を開発してきた会社。主に東武東上線沿線を中心に販売したが、
池袋から1時間半もかかる郊外の分譲地なので、正直なところ大変不便な環境。
当初の計画通りに行かず販売が伸び悩み、昭和60年に破産し会社解散しています。
今では当時のCMにその記録をとどめているだけです。



磯村建設の分譲地は、4つが知られています。
「柏田ニュータウン」「桜沢ニュータウン」「ひばりヶおか」「めじろ台」。
このうち「ひばりヶおか」と「めじろ台」はこの地区に地名として存在せず、
磯村建設が開発した時に適当な名称を付けて販売しただけのものらしいです。
よって磯村建設が倒産して30年以上経過した現在ではその名も消えて、追跡困難。
「桜沢」は付近の地名として残るのだが、磯村建設が販売していた男衾・鉢形地区でなく、
川向こうの離れた場所のことだから、これもどうやら微妙な名付で探すのは難しそう。



唯一絞り込めそうなのが「柏田ニュータウン」。これは該当地内に地区名として存在します。
今回はここに絞って捜索することとします。



東武東上線男衾駅。
磯村建設が積極的に開発していた住宅地はこの駅の周辺に存在したそうです。
ここから池袋まで、途中で電車を乗り継いで、約90分。都内までの通勤は厳しい。
川越辺りなら都内まで30分程度、今なら手ごろなマンションも多数売られているから、
どちらを選んだほうが正解かなど言うまでもないこと。長年暮らすほどその差は開くばかりです。
当時1000万円台前半のマイホームは魅力的だったのかもしれませんが、
現代なら1000万円台で買えるファミリータイプの新築マンションだって都心近郊にあります。



男衾駅は難読駅名として知られる駅です。
ただし駅名そのものの読み方の難易度が高いのではなくて、
衾の漢字の読みが「ふすま」であることを皆さん知らないから…というのが理由のようです。
漢和辞典には載っているし、文字入力でも一発変換されます。
イレギュラー的な読み方の、本来の「難読駅名」とはちょっと違う気がします。
最近まで古い駅舎でしたが、ちょうど新駅舎が建設中で、その後オープンしています。
駅は変わっても周辺が発展することはなさそうなんですが。




●駅前に残る決定的な「磯村建設」の残影●

磯村建設が倒産してから30年以上。すでに会社の痕跡などない…はずなんですが、
男衾駅近くに奇跡的に残っているものがあります。



かつて磯村建設の現地事務所として使われていたと思われる建物。
看板が取り払われて形跡は消えかかってますが、それでもうっすらと残っています。
今は別な会社が利用しているようですが、外装を手直ししたら消えてしまうはず。



30年以上も昔に消滅している社名がこうして残っていること自体、奇跡的です。




●いよいよ柏田ニュータウンを求めて移動●

磯村建設が開発した各分譲地の中で、比較的明確な名前を持つのが、
今回対象とした「柏田ニュータウン」。柏田という地名が今もはっきり残っているためです。
「ひばりヶおか」とか「めじろ台」は、響きのいい名前を適当につけただけで、
早い話地元の知名にはない無縁な名詞。現在辿れるのはここが唯一かと思われます。




有名なこの空撮ですが、どうやら柏田ニュータウンの現地ではない模様。
明らかに地形が違うし、そもそもほかの分譲地のCMにも使われていましたから。
現代なら偽装とか詐欺とか言われそうなんですが、良くも悪くも当時は大らかでした。



至近までやってきました。北柏田交差点、柏田ニュータウンはもうすぐです。




ここが柏田ニュータウン。
私鉄沿線に作られた大手開発のニュータウンと比較してはいけません。
「港北ニュータウン」などは数十万人の人口規模、複数の地下鉄路線と駅を作り、
駅前に大型商業施設や行政施設などを設けて人の流れを集約、
その駅前から数多くのバス路線を放射状に伸ばすことで開発地内の利便性を作る、
そういう非常に大規模で将来性を見越したプロジェクト。
デパートや大型ショッピングモール、都市中心までの鉄道を整備したから、
暮らしに便利な街として定着してマンションが林立、今では多くの人々が住まう。
ところが「柏田ニュータウン」は単なる分譲地の販売名。民家10数軒の開発規模。
従来からの農地区画を購入して、それを仕切っただけ。だから道も狭く土地もいびつ。
お店すら何もないに等しく、昔の集落を押し込めただけ…という宅地開発形態。
ニュータウンの定義はいろいろあると思うが、ここをニュータウン地区だと思って訪れると
その落差に驚愕することとなる。



CMの完成予想図の風景は、どこにもない。
整然と区切られた宅地、広く直線的で見通しの良い道路、
日照まで考慮された整った外観の建物、そのすべてが見当たらない。
農地の時代そのままと思われる曲がりくねった狭い道は、対向車が来たらすれ違い不可。
元の形がいびつなのだから、その土地を切り分けてもきれいな形にはならない。
だから雑然とした土地に、相応の不揃いな外観の家々が並ぶ、垢抜けない集落になる。
これが昭和50年代に夢のマイホームと謡われた、磯村建設分譲地の現実です。




●そして決定的な確証●

いよいよ磯村建設の残影に迫ります。まだネット上でもはっきり証明されていませんから、
うちでそれを一番に公開してやろうというのが、今回の企画意図です。

じつはこの分譲地、CM映像では「めじろ台」として使われました。
先に完成していた柏田の映像をあとで販売しためじろ台の映像に転用した、
そういう経緯かと思うんですが。
めじろ台は隣駅鉢形が最寄り、でも現実にこの家々は男衾の駅が最寄りの場所にある。
販売する土地と無関係な場所の映像を説明もなく堂々と流していた…ということになります。
もっとも当時の家はどれも個性的とはいえず、バレることもなかったんだと思いますが。



開発から40年近く経過、磯村建設の倒産から30数年…
すでに衰退しつつある住宅街、取り壊された家も多く、様子は変わったはずですが、
わずか数ヶ所だけですが当時の気配を残す場所が存在します。
では、CMに出ていたあの風景の、40年後です。
ネット上でまだ明らかにされたことのない、その様子を公開です。


まずは、めじろ台のCMで流れていたこの風景。角地にあるお宅です。



そして40年後の2016年、同じ家の姿がこれ。



長い時間を経過し、いろいろと変化しているところはありますが、間違いないようです。
門扉も変わり、ブロック塀も一部手を加えられているんですが、土地の形は同じ。
建屋も改修され、姿そのものが変化していますが、どうやら奥の一部は増築された模様。
屋根を見ると手前と奥で経年差があります。CMに映っているのは手前部分、これで一致。
隣のお宅は外装塗装だけでほぼそのまま、これが証拠となりました。


そして、決定打がこの地点。



家を出るご主人の車を奥さんと娘さんがお見送りしている、誰もが目にしたあの場面。



その40年後が、まさにこの場所です。



昔の映像と比べると塀も門もなくなり、家屋も老朽化したり増築とか改築を受けたりと
変わり果ててはいるんですが、それでも景色の骨格は変わらず気配は残っています。
変化したところを削除して観察すれば、だんだん当時の姿に復元されていく。
そういう工程を経て想像を膨らませていくと、最終的にCMのあの光景に戻っていきます。
磯村建設を辿ってこの町を巡った人は過去に結構いるらしいんですが、この原点を忘れて
眺めてしまうと気づかなかったりするのかもしれません。もう当時の光景は失われたと
諦めてしまったり、あるいは違う場所を示して"ここが母と娘が見送っていた場所"と言ったりと、
情報が作られたり錯綜したりして正確な情報が皆無だったのです。
これでやっと本物をご覧いただけました。2016年7月、磯村建設が開発した40年前の分譲地は、
今なおこうやってはっきりと、しかし人知れずにひっそりと、確かに残っているんです。
あと何年見られますかね。10年後にはこの中の何かがなくなっている気がします
本当に見たい方は、早めにどうぞ。
一番目の発見者ではなくて、二番目以降の訪問者でもよい…という方だったらですが。


とにかく、一つ大きな成果を公開しましたよ。
ネット初公開、磯村建設分譲地の今をここに発表できました。これで一つ肩の荷が下りました。


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【続編公開しました】 続・「磯村建設」分譲地に行ってきた
 
Posted at 2016/07/09 20:33:26 | コメント(3) | 昭和探訪 | 日記
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