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無粋者@tankのブログ一覧

2016年04月30日 イイね!

配球考~黒田博樹の凄さ~

配球考~黒田博樹の凄さ~
今日はとことんマニアックな内容で行きます!!

広島、黒田も大記録へ リーグトップの今季4勝目、日米通算200勝へ「3」
Full-Count 4月30日 17時8分配信

■7回2失点無四球の好投で5月に金字塔に到達か、盟友・新井の2000安打に続き

 広島の黒田博樹投手が30日、本拠地での中日戦で7回8安打2失点2奪三振無四球と好投し、リーグトップの今季4勝目(1敗)を挙げた。日米通算197勝(NPB118勝、MLB79勝)とし、200勝へ「3」。26日のヤクルト戦で通算2000安打を達成した盟友の新井貴浩内野手に続き、金字塔が近づいてきた。広島は12-2で勝利した。

 黒田は初回、先頭の大島にセンター前ヒットを許すも、牽制で刺すと、亀澤、高橋を遊ゴロに仕留めて3人で攻撃を終わらせる。2回も2死からナニータにツーベースを浴びたが、後続を打ちとって無失点。3回は3者凡退に仕留めた。

 4回も2イニング連続で3者凡退。すると、広島はその裏、エルドレッドが中日先発・伊藤から先制ソロ。その後、安部のタイムリースリーベースも飛び出し、2点を奪って黒田を援護した。

 5回、黒田は2死一塁から杉山にタイムリーツーベースを浴び、1点を返される。しかし、その裏に無死から田中、菊池が連打で一、二塁とすると、丸がライトスタンドへ3ラン。4点差とした。

 黒田は6回も1死から連打を浴びたが、ビシエド、ナニータを打ちとって無失点。その裏には丸が2打席連続の3ランを放ち、6打点の活躍で黒田をさらに力強く援護した。

 7回、黒田は先頭の平田に二塁打を許すと、1死三塁となってから杉山にセンターへのタイムリーを打たれる。しかし、藤井、大島と後続を断ち、このイニングも最少失点で切り抜けた。

 球数が101球に達した黒田は、この回限りで降板。8回には、田中、赤松のタイムリーで2点を追加すると、2死一、二塁で新井が通算2004本目のヒットとなる2点タイムリーをレフト線に運び、12-2と大きくリードを広げた。

 広島は救援陣がリードを守り、黒田は今季4勝目を挙げた。日米通算200勝へ、いよいよあと3勝。5月での達成に期待がかかる。

フルカウント編集部●文 text by Full-Count

今日はカープファンにとっては酒が上手いといいたい1日でしょう。
昨年、黒田投手は中日に未勝利でしたし、苦手意識をある程度は払拭できる勝ちだと思います。8安打されながら2失点と、粘り強く投げていました。

とにかく、開幕から1ヶ月ですが、黒田投手の配球がガラッと変わった部分があったので私なりの見解を。


上の円グラフは、昨年の配球です。
各球種の被打率は下記の通りです。
シュート…3割1分5厘
カットボール…2割8分4厘
スライダー…2割7厘
フォーク…1割8分2厘
ストレート…1割8分8厘
カーブ…2割5分

で、今年はというと…


球種の被打率は下記の通りです。
スライダー…3割3分3厘
カットボール…2割9分2厘
シュート…1割4分3厘
フォーク…1割3分
カーブ…5割
ストレート…0

かなり今季はスライダーを多目に投げています。ですが、今季はオープン戦からスライダーの調子が悪く、なかなか調整に苦心していた節がありました。それ故に、カーブやチェンジアップを織り交ぜ、目先を変えていくと踏んでいたのですが、昨年より比率が低かったのには意外な感じがしました。
しかし、敢えてスライダーを多目に使ったのは、シュートとフォークの被打率の低さにあると思います。
そのヒントに前回、黒田投手と対戦した金本監督の試合後のコメントにあると私なりに見ました。
 「(黒田は)まあ調子よかったね、きょうは。真っ直ぐに差し込まれ、動かす球に翻弄(ほんろう)されたという感じかな。まあ、ちょっと工夫は見られなかったけど。良い投手は、そんなになかなか打てないけど、いつも言うように工夫。何かを変えないと。いつものように同じでは(いけない)ね。投手が違うんだから、同じようにいったのではダメだしね」
コメントの中で「真っ直ぐに差し込まれた」という言葉から、黒田投手の配球を読み解くカギがあります。
黒田投手のスライダーは130㎞前後で、同じ腕の振りから140㎞前後のシュート(ツーシーム)との微妙な緩急を使って、うまく差し込ませていると思われます。ストレート系のボールが良ければ、フォークも効力を発揮するので、高低の部分でしっかりと組立ができてきます。
ただし、高低の部分だけだと、配球が偏ってバッターに絞られやすいので、被打率の高いスライダーやカットボールを敢えて使う事で長いイニングを投げて行く工夫が見受けられます。

昨年ならば、シュート(ツーシーム)やカットボールといった動くボールを軸にスライダーやフォークを組み合わせるという形で、その中でスライダーやフォークの球速差をつけて投げていました。
ただ、昨年よりもシュート(ツーシーム)の球速、球威が下降線を辿って行く中で、それを生かして行く配球に老練の妙が詰まっています。




分析すればするほど、プロの奥深さを改めて感じますね。
Posted at 2016/04/30 20:29:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年04月27日 イイね!

アライサンの広島復帰の舞台裏で何気に登場している黒田博樹

アライサンの広島復帰の舞台裏で何気に登場している黒田博樹

カープ新井が独白! 「元職場」で生きる覚悟
東洋経済オンライン 4月27日 5時0分配信

4月26日夜、広島カープの新井貴浩選手がヤクルト戦(神宮球場)で、プロ通算2000本安打を達成した。新井選手といえば、2015年に阪神タイガースから古巣の広島カープに帰ってきた「出戻り組」。FAは選手の権利とはいえ、一度は自ら飛び出した球団に再び戻ることは、過去に例が少ない。ファン心理の面からも大きな壁があり、当然ながら、新井選手本人にも知られざる葛藤があったという。
新刊『赤い心』には、カープへの復帰から2015年シーズンの激闘の軌跡、今シーズンへの意気込み、カープへの愛が綴られている。一度は離れた元の職場に戻って活躍する新井選手に心境を語ってもらった。

■39歳、生涯で一番緊張した打席

 「これはまずい……。引退試合じゃないんだぞ」

 ネクストバッターズサークルから、ずっと足が、ガクガクと震えっぱなし。バッターボックスに入っても、その震えはしばらく止まらなかった。
2015年のプロ野球開幕戦。8年ぶりに復帰した広島東洋カープでの最初の打席は、7回、前田健太の代打だった。プロに入って17年、それなりに大きな舞台も経験してきたつもりだが、生涯で一番緊張した打席、そしてもっとも忘れられない打席になった。

 代打に備えて、ベンチ裏で素振りをしていた時から、胸の鼓動が尋常ではなく高鳴っているのを感じていた。

 「本当に応援してもらえるのだろうか?」

 キャンプやオープン戦では、ファンの人たちからは温かい声援をもらっていた。それでも阪神タイガースに移籍した2008年、旧広島市民球場での最初の打席で受けたブーイングは、今でも鮮明に記憶に残っている。それはある意味トラウマのようになっていた。またあんな状態になってしまうのではないか、そんなことを考えて、すごくドキドキしながら、素振りをしていた。

 そしてその時がやってきた。ベンチから「新井、行くぞ」と声がかかった。

 「来た!」

 ベンチ裏から階段を上がり、グラウンドに出た。

 その瞬間、球場全体から「ウォー」という、ものすごい歓声が起こった。ブーイングではない、正真正銘の歓声だ。「アライー」と、名前を呼ぶ声も聞こえる。「ウソだろう?」と思いながらネクストに立つと、全身に鳥肌が立ってくるのがわかった。足が震え、思わず泣きそうになってしまったほどだった。

 プロ初打席の時も緊張したが、その比ではなかった。もうすぐ40歳になろうというのに、打席に入って足が震えるような経験をするなんて、思いもしなかった。

■古巣から「帰ってこい」と声がかかる

 2014年のシーズンが終わった頃、僕の気持ちはタイガースを退団することで、ほぼ固まっていた。キャンプから「競争だ」と言われ、開幕の時点ではその競争に勝ったはずなのに、僕に出番は回ってこなかった。

 「ここでは競争はできない」

 そう感じた僕は、それなら自由契約になって、もう1回、最後の勝負をしようと決めた。何よりも、もっと野球がしたい、もっと試合に出たいという気持ちが強かった。それでもし、どこも獲得してくれる球団がなかったら、その時は潔くユニフォームを脱ごう、と思った。ただ、移籍先については「カープだけはない」と思っていた。

 話は8年前に遡る。2008年、僕はFA宣言をしてタイガースに移籍した。FAは選手の権利とはいえ、一度は自ら飛び出した球団に再び戻るなんて、特にファンは絶対に許してくれないはずだ。球団から声をかけられることもない、というのが普通の考えだ。だからカープに復帰するという話が出ているということは、本当に「まさか、まさか」の出来事だった。

 それを聞いたのは、タイガースの南信男球団社長と話をした時だった。その時はまだ、他球団の関係者と話はしておらず、自分からコンタクトを取ることもなかった時期だった。

 南社長と別れると、すぐにカープの鈴木清明球団本部長に電話を入れた。
「さっき南社長と話をして、カープが僕のことを気にかけてくれていると聞いたのですが、本当ですか?」

 鈴木球団本部長はひと言、広島弁でこう答えた。

 「そういうことじゃ。帰ってこい」

 僕は本当にびっくりして、「ええっ!」と心の中で叫んでいた。驚いたと同時に、すごく嬉しい気持ちが最初にきた。一度出て行った選手に対して、そんなことを言ってもらえるとは思っていなかったので、本当に嬉しかった。

 瞬間的に「帰りたい」と思ったが、ふと状況を客観視してみると、「お前は帰ってはダメだろう」ということが、すぐに頭に浮かんだ。一度出て行った人間が、どのツラを下げて帰って来るんだ。そこから自分の中で、強い葛藤が始まった。

 広島生まれで、広島で育った僕は、子供の頃からカープファンとして育ってきた。だからカープファンの気持ちは、少しはわかるつもりだ。そういう意味で、ファンの立場として考えてみても、新井貴浩という選手の復帰には納得がいかないだろう。

 復帰について、基本的に相談は誰にもしなかった。自分一人で考えるべきだと思ったからだ。家族にも「カープに戻るかもしれない」という話だけはしたが、相談はしなかった。

 自分一人で、とにかくずっと悩んでいた。もう二度と着られないと思っていたカープのユニフォームをもう一度着ることができる喜び。その一方で、どのツラ下げて戻ればいいんだ、という不安。FAでカープを出る時も相当悩んだが、それ以上に悩んだといえるかもしれない。

■ 黒田さんも背中を押してくれた

 黒田(博樹)さんとも、相談ではないが、移籍について何度か話をしていた。黒田さんは2歳上の先輩で、前にカープに在籍していた時からいろいろ面倒をみてもらっている。先輩なので、波長が合うという言い方は違うかもしれないが、共感することが多いし、基本的な考え方は同じだと思っている。

 カープでは、黒田さんが務めた選手会長の座を、僕が引き継いだ。Bクラスが続くチームで、一緒に苦労した同志のような存在だった。お互いにカープを離れてからも、頻繁に連絡は取り合っていた。

 「お前、どうするつもりなんだ?」

 電話でのやりとりで、黒田さんにこう聞かれた。その時は、まだ黒田さんも自身のことについて、何も決めていない時期だったが、僕のことを心配してくれているようだった。

 「帰りたいけど、帰れないです」

 そう答えるしかなかった僕に、黒田さんはきっぱりと言った。

 「関係ないやろ」

 僕は何も言えなかった。

 「帰ればいいんだよ。関係ない。大丈夫だ」

 背中を押された気がした。僕の気持ちは、徐々にカープに戻る決断に向かっていった。

 たとえファンの人たちの罵声を浴びても、周囲の人に批判されてもいい。ブーイングの中でグラウンドに立って、野球をやることになっても仕方がない。カープに帰ろう。僕は決断した。

 他球団からのオファーも、人づてには聞いていたが、もうそれは選択肢にはなかった。年俸面などで厳しい条件になるとか、そういうこともいっさい頭になかった。「帰ってこい」と言ってもらえただけで、本当に嬉しかった。それで十分だ。そして何より、復帰を決断した一番の理由は、やはり自分はカープが好きだ、ということだ。これだけは間違いない。

■ 「これでケガをしたら仕方ない」という覚悟

 カープを離れて8年が経っていたが、チームの印象はあまり変わっていなかった。若い選手が多くなったというのはあったが、雰囲気は何も変わっていなかった。チームには自然と合流できた。なんとか受け入れてもらえたと思った。後はファンの人たちだ……。

 「中途半端な気持ちで帰ってきたわけじゃない」

 キャンプでは首脳陣はもちろん、チームメイトにも、ファンにもそれを示したかった。ぎりぎりまで、自分をガンガン追い込んで、それでケガをしてしまったら仕方がない、というぐらいの気持ちでやった。

 年齢とともに、筋力的なものは間違いなく衰えている。だからここ数年は、キャンプは調整の場、という気持ちもあったが、この年に限ってはケガをしてダメになったら、もう野球をやめる、一軍で戦力になれなかったら引退する。本気でそう思って練習に取り組んだ。

 それぐらい覚悟を決めて帰ってきたということを、若い選手にも、昔一緒にやっていた選手にも、裏方さんにもわかってもらいたかった。最初の頃は若手も、「新井さんはどんな感じでやるのだろう?」と見ていたはずだし、実際に見られている感もすごくあった。

 肉体的には本当にキツくて、しんどいキャンプになったが、精神的には、ここ数年感じられなかったほど、充実したキャンプだった。

 心配していたファンの人たちの反応も、自分が思っていたのとは違っていた。キャンプが始まると、ファンの人たちは、とても温かく迎えてくれた。罵声どころか、「お帰りなさい」と言ってくれた人もたくさんいた。驚いたのを通り越して、感激してしまったほどだ。

 結果をいえば、2015年のカープは、わずか1勝の差でクライマックスシリーズ進出を逃した。とても悔しい思いをした、しかしその一方で昨年は、とにかくファンへの思いが大きくなった年だった。

■「元職場」に戻った僕の決意

 一度はカープを離れた自分に対して、これだけの声援をくれ、応援してもらえる。これほどの感動をもらったのだから、今度はファンの人たちにお返しをしなければならない。自分のプレーで、バットでファンを喜ばせてあげたい。

 そんなファンの人たちが一番喜ぶのは何か。試合に勝つこと、そして20年以上も遠ざかっている優勝をすることだ。優勝して、ファンに喜んでもらいたい。

 プロに入って一度も優勝を経験したことのない自分が、ファンに優勝の喜びを与えたい、というのはおかしな話かもしれない。でも間違いなく、今はそのためだけに野球をやっている、と断言できる。

 勝ちを求めて移籍したタイガースでも結局、一度も優勝は経験できなかった。40歳も目前になり、自分もある程度、先が見える年齢になった。残りの野球人生でやり残したこと、やはりそれは優勝しかない。

 もう絶対に戻ることはない、戻れないと思っていたカープで優勝できれば、これ以上の幸せはない。帰ってきた自分に対して、これだけ応援してくれるファンへの「感謝の気持ち」を形にするためにも、故郷の広島で最後の勝負をしたいと思っている。

新井 貴浩

アライサンは生真面目な性格でガンガン行く反面、頑張り過ぎての怪我とか空回りしてミスに繋がる危なっかしさがあるので、少しハラハラさせる選手ではあります。


けど、黒田ってアシスト力が半端ないなと思う。メジャーでもドジャースのエース・クレイトン・カーショーや一時は正捕手だったA.J.エリスとか、パイレーツに移籍して正捕手になったフランシスコ・セルベリとかジャンルを問わず、何かしらの影響を与えています。

で、アライサンの復帰も、ちゃんと黒田投手が背中を押していたし、広島からしたら神様仏様みたいな存在になっているような感じですね。





Posted at 2016/04/27 13:10:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2016年04月27日 イイね!

まさか、あのアライサンが…

まさか、あのアライサンが…

古巣・広島で息を吹き返した新井貴浩。一時は記録達成危ぶまれるも……山あり谷ありの2000安打
ベースボールチャンネル 4月27日 6時0分配信

■古巣に復帰し記録達成

 新井貴浩がついに2000安打を記録した。NPB史上47人目。
 NPBは1936年の創設以来約80年に及ぶ。この間、6000人以上の選手が入団したが、1000安打以上は282人、1500安打以上は117人、そして2000安打以上は47人、ほんの一握りの選ばれた選手しか達成できない大記録だ。

 新井が2000安打を打つのに要した試合数は2112試合。これは、歴代では8番目に多い記録(1位は谷繁元信の2803試合、最も少ない記録は川上哲治の1646試合)。
 また39歳2カ月での達成は、歴代では15番目に遅い記録(最年長は和田一浩の42歳11カ月、最年少は榎本喜八の31歳7カ月)。
 新井の2000本安打は、順調にキャリアを積み重ねた結果ではなく、山あり谷ありのドラマを経てのものだった。

 新井貴浩は、広島工から駒沢大を経て1998年ドラフト6位で地元広島に入団。
 この年は甲子園を沸かせた松坂大輔、新垣渚、東出輝裕、大学野球のスター上原浩治、二岡智宏、社会人の実力者福留孝介、岩瀬仁紀など、そうそうたる顔ぶれが指名される豊作年だった。

 ドラフト6位の新井は、目立たない新人だったのは間違いない。
 新井は1年目から代打などで活躍したが、一塁には町田康嗣郎、浅井樹、嶋重宣、三塁には江藤智、ロペス、野村謙二郎などの選手がひしめいていたため、レギュラーの座は遠かった。
 一塁、三塁を掛け持ちしながらはじめて規定打席に達したのは4年目の2002年、25歳の年。

 翌2003年に金本知憲がFAで阪神へ移籍してからは次第に中軸打者に成長。2005年には43本塁打で初タイトルを取った。

■アニキと同じ阪神へ

 2008年には、尊敬する先輩、金本の後を追って阪神に入団。2009年からは3年連続で全試合出場を果たし、阪神でも主軸打者として活躍した。2009年オフにはプロ野球選手会長に就任、2011年3月の東日本大震災では、選手会を一つにまとめて被災地支援を行った。この年に打点王を獲得も、持病の腰痛の悪化もあって、成績は次第に低下した。

 2014年には43安打、打率.244。この時点での通算安打数は1854本。2015年に38歳となった新井にとって、2000安打に到達するのは難しいと思われた。
 このオフに自ら申し出て阪神を自由契約になった新井は、8年ぶりに広島に復帰。
 ニューヨーク・ヤンキースから復帰した黒田博樹とともに、「男気」をたたえられた新井は、再び息を吹き返し、2015年は125試合に出場し117安打を打ち、見事に復活を果たした。

 2000安打を打った47人のうち、35歳を過ぎてシーズン安打が一旦50本以下に落ち込んでから再び100安打を記録したのは、新井の他には中村紀洋しかいない。

 2000安打まであと29本に迫っていた2016年も好調を維持し、見事大台をクリアした。

 2000安打を打った47人のうち、新井を含む28人は複数のチームでプレーしているが、入団時の古巣チームに復帰したのは、門田博光、小久保裕紀、新井貴浩の3名のみ。

 1998年ドラフト組のそうそうたる顔ぶれの中で、“名球会入り”したのは、今のところ新井貴浩と岩瀬仁紀だけだ。
 いろんな意味で、新井貴浩は、記録にも記憶にも残る選手だといえるだろう。

ベースボールチャンネル編集部

まさか、あのアライサンが、という感じです。
選手としては不器用を絵にかいた選手で、守備も走塁もパッとしなかったし、打撃も上下半身のバランスの悪いフォームでした。そんな中で、巨人にいる内田コーチが広島時代に矯正して本塁打王のタイトルを取ったことも私の中では驚きでした。

阪神時代は金本さんに散々に弄られていたイメージが強かったですし、大学時代から弄られキャラだったようです。

でも、選手会長時代は東日本大震災でプロ野球の開幕延期やWBCの不参加問題で苦労していただけに、この2000本安打達成は凄いと思います。


Posted at 2016/04/27 07:10:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年04月23日 イイね!

もう残された時間が少なくなっている~黒田博樹~

もう残された時間が少なくなっている~黒田博樹~

黒田博樹が若手投手たちにマウンドから贈る「無言のエール」
webスポルティーバ 4月23日 18時55分配信

思わず、天を仰いだ。黒田博樹は4月16日の巨人戦で日本復帰後最多となる6失点を喫した。初回から3回まで毎回得点。そして5回にも1点を失い、この回でマウンドを降りた。1週間前、左足に打球を直接受けたことで十分に走り込めなかった影響もあるだろう。マウンド上で何度も首をかしげるなど、苦しみがにじみ出ていた。


「やっぱり、引退した方が楽なんですよね」

 昨年オフの契約更改後に、黒田がふと漏らした言葉がよぎる。開幕から15試合。チームトップの2勝を挙げ、4月2日の巨人戦では日本で3226日ぶりとなる完封勝利も飾った。前田健太の米大リーグ移籍によって不安視された広島投手陣の大黒柱としての存在感は際立っている。

今年2月に41歳になった。プロ野球選手にとって資本ともいえる肉体面の衰えは否定できない。

「この年齢になって、この体でもう1年野球をするというのはしんどいこと」

 黒田自身、現役続行を決めたときから覚悟していたことだった。それでも再びユニホームに袖を通し、マウンドに上がることを決めた。

「逃げようと思ったら逃げていたのかなと思いますけど......でも、やるしかなかった。モチベーションを探すということは、どこかでやりたい、やらないといけないという気持ちがあったのかなと。それが最後の結論ですかね」

 広島でプレーすることに、使命と意義を感じていた。

 広島はオフにエースの前田が抜けただけでなく、開幕前には次代のエースと期待された大瀬良大地が離脱した。苦しいチーム事情の中、黒田は来日2年目のクリス・ジョンソンと昨季9勝の福井優也とともに主軸を期待された。特に日米での経験が豊富なベテラン右腕への期待は自然と、そして急速に高まっていった。

 だが、開幕までの調整には一抹の不安を残した。開幕直前のオープン戦では失点を重ねる登板が目立った。最終調整の3月20日ソフトバンク戦では4回までに7安打を浴びて5失点。予定していたイニング数に到達せずに降板した。

 ジョンソンで開幕戦(対DeNA戦)を落とした翌日の試合。最終調整から中5日で黒田は今季初マウンドに上がった。20年目の開幕だ。3回以降毎回安打を許し、常に得点圏に走者を背負った。中軸だけでなく、下位打線にも痛打された。

「いいときと比べれば物足りない。でも、ぜいたくは言っていられない」

 それでも要所では研ぎ澄まされた集中力と制球力でしのいだ。7回を投げ、許した失点は1点のみ。チームに今季初白星をもたらした。

「若い頃は相手を牛耳る投球を目指してやってきたけど、今はそれができない。頭を切り替えて、大事な場面でなければヒットはOKと考えている」

 今季初登板を見て、「しのぐ投球が今季の黒田を象徴しているのか」と思った直後の登板で、今度は圧巻の投球を見せた。

 チームは開幕カードを勝ち越しながら、4月1日まで3勝4敗と乗り切れていなかった。特に救援陣に不安を残し、4敗中2敗が中継ぎ投手によるもので、3試合が逆転負けだった。しかも、ストッパーの中崎翔太、セットアッパーのジェイ・ジャクソンの2人がチーム最多登板数となるなど、開幕直後から負担が偏ってしまうひずみも生じていた。

 昨季は、登板過多の大瀬良がシーズン終盤に本来の投球ができなかった例もある。

「毎週1回でも、中継ぎが『今日は休めるな』という日があるのとないのとではまったく違う」

 メジャーでは、中継ぎ投手でも登板機会が続けば休養日が与えられる。しかし、日本ではそのシステムが確立しているわけではない。それだけに「1イニングでも長い回を投げたい」と黒田は口にしていた。

 4月2日の巨人戦。この日の黒田は立ち上がりからスプリットとスライダーの切れ味が鋭く、ツーシーム、カットボールも打者の手元で動いた。前回のDeNA戦で打たれた左打者には内角カットボールでえぐった。当たっていた2番の立岡宗一郎、4番のギャレットら左打者を無安打に抑えた。

 8回までスコアボードに0を並べ、球数は108球。「(9回は)1人でも投げようと思った」と、志願して最終回のマウンドに上がった。二死から坂本勇人に内野安打を許したが、続くギャレットをセンターフライに打ち取り、ゲームセット。120球を投げ抜き、日米通算20度目の完封勝利を手にした。

「(チームには)まだまだ若くていい投手がたくさんいる。7回、8回まででいいのではなく、行けるときには行く。最後まで行く意識があれば、練習の取り組みから変わってくる」

 4月9日の阪神戦で4回にゴメスの打球を左足に直接受けたときも、決して痛がるそぶりを見せなかった。離脱してローテーションに穴を空けることなく、予定通り中6日で東京ドームのマウンドに上がった。

 20年間プロの世界で戦ってきた精神力と、日米通算195個の白星を積み重ねてきた熟練の投球術。41歳の肉体を、経験によって磨かれた心と技で支えている。プロ野球選手として最終章に入った20年目。黒田は背中で何かを伝えようとしている。

前原淳●文 Maehara Jun

今日の阪神戦は、7回無失点で3勝目を挙げています。しかも、チームは連敗中に加えて2試合連続二桁失点で、ブルペン陣も崩壊状態。
そんな中で、黒田も何とか1つでも多くのアウトを取ろうと老体に鞭打って、あらゆる手管を駆使して粘り強く投げ抜く姿勢を見ると…素人の自分も何とかせなあかんと思います。



けど、困った時の黒田…というのは正直、ちょっと気になるところです。開幕から黒田が最終防衛線と化しているし、このまま1年もつのか不安です(-_-;)。
数字こそ3勝して防御率も2.53と安定していますが、球威も下降線を辿っているし、アウトを取るのに目一杯アップアップしているように見えてしまいます。気力でギリギリのところを耐え凌ぐという感じです(-_-;)。
辛口でネガティブかもしれないけど、黒田投手に残された時間が刻一刻と少なくなっているのは否めない状況です。

広島ファンではないけど、黒田のチームのために尽くすというぶれない姿勢を見ると何とか勝たせたいという気持ちになるし、それがチームの結果に繋がって欲しいですね。
若いピッチャーたちも、こういう生きた教材を生かしてステップアップしていかないと。林修さんじゃないけど、「今でしょ!」ですよ。

Posted at 2016/04/23 23:20:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年04月21日 イイね!

懲りない企業だよ②

懲りない企業だよ②

昨日の記者会見の影響が、地元にも波紋を広げているようで…(;゚Д゚)。

三菱自不正「会社に裏切られた」 倉敷・従業員に不安や戸惑い
山陽新聞デジタル 4月21日 9時18分配信

 三菱自動車が燃費試験で不正行為をしていたことが明らかになった20日、水島製作所(倉敷市水島海岸通)は対象車種の生産停止に追い込まれることになった。「これからどうなるのか」―。従業員からは不安や戸惑いの声が上がり、取引のある岡山県内の部品メーカーはブランドイメージや業績悪化を懸念した。

 水島製作所には従業員約3600人が勤務。この日は熊本地震で一部の部品が届かず、軽自動車の生産ラインが停止していることもあり、夕方の正門前は足早に帰宅する姿が目立った。

 「何でこんなことをしたのか。残念だし、怒りを覚える」と事務部門の40代男性。40代女性は「新型車の投入計画もあって職場の雰囲気は良かっただけに残念」と漏らした。

 同製作所は2015年に約30万9千台を生産。このうち、「eKワゴン」と、日産自動車向けに生産している「デイズ」など、燃費試験の不正が明るみになった4車種が6割を占める。生産部門の40代男性は「リコール隠し以降、現場で真面目に頑張ってきたのに、会社には裏切られた思いだ」と吐き捨てた。

 相川哲郎社長の会見が始まった午後5時すぎ、水島製作所と取引関係がある系列部品メーカーにも不正問題の連絡が入り、混乱が広がった。

 倉敷市内の部品会社幹部は「リコール隠しで大打撃を受けた教訓が全く生かされていない。三菱車のイメージダウンは避けられず、販売減が拡大するかもしれない」。総社市内の部品メーカーの管理職は「対応を協議しているが、三菱自から詳細の連絡はなく、困惑しているとしか言いようがない」と憤った。

 水島製作所の生産再開の見通しは今のところ立っておらず、協力会社12社でつくる協同組合「ウイングバレイ」(総社市)の昼田真三理事長は「取引先への影響は大きい。三菱自は襟を正し、きちんとした経営をしてもらいたい。事態を早期に収拾させ、一刻も早く生産を再開してほしい」と話した。[完]

確かに、ネットでも日産の陰謀?とか、フォルクスワーゲンの不正の時と比べたら…というけど、リコール隠しの前科があって、薄まったとは言っても未だに三菱自動車へのアレルギーが残っている中で、今回の不正は非常にヤバい話です。

しかも、組織ぐるみの隠蔽となると、リコール隠しから三菱は何一つ変わっていないじゃんというイメージがつくし、日産の陰謀説(?)を差し引いても、コーポレートガバナンス(企業統治)の観点からしたら過去の前科と合わせ技一本でマーケット退場モノといっても過言ではないと見ています(-_-;)。

昨日のblogでも野球チームの観点から書きましたけど、顧客だけではなく、従業員や部品会社とか系列にも迷惑かけてしまうし…私の地元経済に限定して与える影響は深刻だと思います。

Posted at 2016/04/21 18:16:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「今日は強風で霰(あられ)が降ったり、かと思ったら晴れ間が出たり、忙しい天気だなあ(-_-;)。」
何シテル?   03/20 09:57
岡山の片田舎から美観地区で有名な町、そして再び元いた片田舎に引っ越した無粋者ですが、よろしくお願いします。 基本的にノーマル思考で資金もないのでカスタマイズと...
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【だから書いてませんけど】第7波についての本音と建て前 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/08/22 19:50:16
落ち着かないので「陰陽」について書く 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2018/02/21 22:18:07
憲法はモンゴル人力士には適用外とマスコミは暗喩してるね(笑) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2017/12/04 19:29:00

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