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イイね!
2011年10月21日

悲願達成!

悲願達成! 突然ですが・・・

今日の文化審議会で、佐世保市にある「『旧佐世保無線電信所(針尾送信所)』を、国重要文化財建造物に指定すべき」との答申が出されました。





そのニュース記事はコチラ↓
その他にも多数報道されています。

NHKニュース
毎日JP
共同通信


「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)」は、地元佐世保では通称「針尾無線塔」と呼ばれ、針尾島にそびえる136メートルもの巨大な3本のコンクリート塔は、遠くからでもその存在が確認することができ、いわゆる佐世保のランドマーク・シンボル的な存在でもありまして、古い話になりますがその巨大さから、映画「空の大怪獣ラドン」(ゴジラシリーズ)にも登場しました。



針尾送信所の空中写真(一辺300mの正三角形状に三本の無線塔が立つ




そのうちの一本 3号塔 3本の塔とも高さ136m 巨大な鉄筋コンクリート造の建造物である。 


無線塔については、過去に何度かブログUPしてます。よかったら、画像など詳しくは↓をクリックしてください。

旧佐世保無線電信所(その1)
旧佐世保無線電信所(その2)
そのときのブログ(その1)
旧佐世保無線電信所(その3)
旧佐世保無線電信所(その4)
そのときのブログ(その2)



ここは旧日本海軍が整備した無線基地で、整備当時の大正期、海軍は千葉県船橋市と台湾の高雄市そしてここ佐世保の3か所に通信局を構え、広がりつつある日本の国防ラインに一大情報ネットワークを築きました。
そして、ここから太平洋戦争(真珠湾攻撃)の作戦命令を告げる「ニイタカヤマノボレ1208」が発せられたという“いわれ”※から、戦争遺構、負の遺産というイメージがつき、長くその保存の是非が論じられてきたところです。

※実際にはそのような記録は残っておらず、実際にここからその命令が送信されたかは不明です(千葉県の船橋送信所から発信されたという記録はあります)

しかし、大正11年に完成したこの施設は、当時の土木建築技術・無線電信技術の粋を集めて整備されたことはまぎれもない事実であり、なおかつそのような構造物が現存するのは、我が国で唯一ここだけなのです。

その強靭さは驚異的で、築後90年を経ようとしている今日においても、震度6弱の直下型地震でも倒壊には至りません。現在の技術をもってしてもこれほどまでに強固かつ正確無比なコンクリート構造物の建造は至難の業です。そのような日本の先人たちが築き上げた技術の歴史が評価されて今回の答申に至ったのだろうと思います。

針尾無線塔の保存は、私のライフワークでもありました。
今回の答申はまさに「悲願達成」です。
もうこれで思い残すこともないと言っても過言ではありません。
この保存に取り組んだ文化庁・地元自治体の佐世保市に厚くお礼を申し上げるとともに、今後の取り組みに期待いたします。
そして、私とともにこの調査に取り組んだ同僚さんにも感謝の極みであります。


国はこの答申を受け、恐らくはこれを文化財指定するだろうと思います。
そうすれば、これが未来永劫、国の文化財として保存公開されることになるのです。

負の遺産だろうが何だろうが、先人の弛まぬ技術研究と血のにじむような努力によって完成し今もそびえる無線塔が、将来にわたって日本の歴史の生き証人として立ち続けるであろうことに、私は大変満足しています。

なお、現段階ではまだ、海上保安庁の施設であり、お隣には海上自衛隊の施設もあって、敷地内には立ち入ることはできず一般公開はされません。今はまだ遠くからその威容を眺めるのみです。


トップ絵にも貼りましたが、西海橋方面から観た針尾送信所(無線塔)の遠景



こちらは、我がガミラス帝国の本拠地 地下に逆さまにぶら下がってる私の基地(旗艦デスラー艦)とは大違いですね。


以前にも書いたことがありますが、ここに無断侵入して落書きをしていく心ない人たちもいます。
いずれ、一般公開されることとなるでしょうから、これを読んだ方々におかれては、いましばらく見守っていただき、どうか針尾無線塔の保存のためにこれからもご理解とご協力をいただきたいと思います。
ブログ一覧 | 日記
Posted at 2011/10/21 23:55:50

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この記事へのコメント

2011年10月22日 0:18
親父の実家(千綿)から、よく見てましたょ!♪

よく親父から聞いていたのは(あの三本の搭は、長崎の隠れた文化遺産ぞ!お前達も子供が産まれたら、教えていかんばぞ!...

ってよく言われてました!(^^;

今になって、(文化遺産)と言う言葉が重く感じます。
(^_^;)
コメントへの返答
2011年10月22日 0:29
壊せばただの古い建物ですが

きちんと価値を評価して保存すれば
歴史を物語る生き証人「文化遺産」です。

私たちが今使っているビルや橋だって、いつか文化遺産といわれるように、しっかりと手抜きなく作って未来につなげなければと思う次第であります。
2011年10月22日 0:45
遠くからしか見たことないので

是非とも近くで拝見してみたいですね♪ 

しかし、落書きは許せんですね。恥ですね・・・


そのときのブログ・・・コメント(ファイヤー小僧)懐かしです

30日お待ちしてます♪久々呑ま呑まですね
コメントへの返答
2011年10月22日 0:49
近くで観ると
写真でみるよりはるかに巨大で、遥かに高いです。

これ以上落書きが増えなければよいのですが・・・なんとかしてほしいです。

爆爆

あ・・30日はヨロシクです。
のまのま楽しみです~♪
2011年10月22日 1:08
この塔はずっと何なのか気になってました(笑)

文化財になるんですね(´∀`*)
コメントへの返答
2011年10月22日 11:05
これを目にした人はみな???ってなりますよね。

まだ決定したワケではありませんが、きっと国に認められるでしょう。
2011年10月22日 2:54
こんばんは m(- -)m

まずは「悲願達成」おめでとうございます!

旧日本軍の戦争遺跡の保存・・・
日本を守る為に犠牲になった多くの先人を
今後もずっと忘れないと言う観点からも。
また、『2度と戦争を起こしてはならない』と言う
シンボル的存在としても絶対に残すべきです。
この施設は決して「負の遺産」では無くって
「平和」を考えるのに大変重要な施設ですよ(^-^)

三重には、「旧海軍格納庫」があったのですが
一部の部材を保存するダケのカタチで
今年の初めに解体されてしまい、大変悲しいです。

しかし、昔の人の技術は本当に凄いですよね~
現代の様な大量生産社会では
こんなに丈夫な物は中々作れないでしょうね(^_^;
コメントへの返答
2011年10月22日 11:32
こんにちは!

ご祝辞ありがとうございます。

文化審議会の評価は土木建築・通信技術ですが、ここはまぎれもない戦争遺構。
この近くには「無窮洞」という当時の小学生が掘った巨大な地下教室もあり、共に戦争の狂気・そして悲劇を物語っています。
佐世保にはまだまだたくさんの戦争遺構が現存してるんです。
これらがきちんと保存され継承されるよう働きかけていくのが私たち今に生きる者の務めです。

明治・大正期の建造物は一切の手抜きなくそして職人としての心意気が痕跡としてにじみ出ています。今のコンクリートとは比較にならない驚異的な品質なんです。
2011年10月22日 5:06
日本は負の遺産という言葉に過敏ですよねぇ。

総統のおっしゃる通り、負の遺産云々よりも、先人の知恵と技術の結晶を保存するということが大事ですよね。

もっと地域の歴史を紹介できたらいいですよね。

例えばSSKの250トンガントリークレーンなんかは大正時代からあるものですし、このクラスのクレーンは国内に3基しかないものですし・・・

とまぁ、お気に入りのHPからの引用ですが(ノ∀`)

とにかく落書きは許せんもんです。
そういう輩が後を絶たないから、崎戸の廃墟群も解体の憂き目にあったわけですし・・・

このHPのぞいてみてください。
アトリエ隼 仕事日記
ご存知でしたら、すんません
コメントへの返答
2011年10月22日 11:41
そう。負の遺産ということで否定的な意見も出てきます。

だからこそ、ここが保存されるためには、戦争遺構という評価よりも技術の歴史を前面に出す必要がありました。

これからも、もっともっと紹介していきますよ!

250tクレーンも、恐らくは国登録文化財になるだろうと思います。それからそのすぐ近くにあるレンガ倉庫「武庫」も・・・
佐世保には砲台跡とか人間魚雷艇「震洋」基地とか まだまだいろいろたくさん残ってるんです。

こういうものがしっかりと保存継承されるよう働きかけるのが私の仕事。これらが語る歴史の事実を理解できれば落書きもできなくなるでしょう。

先ほどHP覗いてきました。
素晴らしい方ですね!
2011年10月22日 7:43
おめでとうございます。

正直、あれが無線塔だと、初めて知りましたm(__)m

いつも、西海橋方面ヘ、ドライブするとき、気になっていたのが、スッキリしました。
コメントへの返答
2011年10月22日 11:44
ありがとうございます!

皆さんあれをはじめて見たときは???ってなられるんですよね。それくらい奇異に映るのですが、佐世保人には、あるのが当然な風景なんです(笑)

次にドライブされるときには、公開されてればイイですよね。
2011年10月22日 8:50
細く短い方枠、おそらく桶職人並みの腕ききが造ったんでしょうか
綺麗なテーパー状に跡が残ってますね~
当時のコンクリートって有る意味今よりイイものを使ってたようで~
強度も強いらしいですしね!
これからもずぅ~~~~っと素敵な景観を魅せてくれるんでしょう♪
コメントへの返答
2011年10月22日 11:48
近代水道の父「吉村長策」の弟子「吉田直」の設計により、地元の人々の手を借りて、技術を結集して作られました。当時、コンクリート構造物はまだまだ研究段階で、ここ佐世保ではそれを実物で試してみる実験の場だったようです。
コンクリートは鉄筋による爆裂も全くなくすばらしく健全な状態です。なんせ川砂をさらに湧水で洗って使うくらい徹底してたのですから(驚)
2011年10月22日 9:59
こんにちわ(*^_^*)♪


20数年前佐世保へよく出張で通いました

3本の塔は他の土地から来た者にとっては否応なく関心が向きますね♪


塔のことを地元の方に尋ねたところ丁寧に教えていただきました(*^.^*)

とても懐かしく感じました♪


いつまでも残ってほしいですね♪
コメントへの返答
2011年10月22日 11:56
こんにちは!
コメントどうもありがとうございます。

佐世保にはご縁がおありだったのですね。
田舎でびっくりなさったことでしょう(汗)
3本の塔は、遠くからでも見え、視界に入ればとても奇異に見えるものです。

地元の方々にとっては海軍の戦争遺構というものであるとともにその巨大さから誇りにもなってるんですよ。

国道を走っていると塔3本が重なって2本に見える瞬間があります。そのときに願い事をすると叶うという都市伝説?もあります(笑)
もし、また佐世保においでのご用があられた時には、ぜひまたご覧いただき、お願い事をしてみてくださいね!

どうもありがとうございました!!
2011年10月22日 12:46
私も見ましたが、巨大な送信塔ですね。

どうやら真珠湾総攻撃の発信指令はここじゃないようです。


国重要文化財建造物に指定されて良かったです。
コメントへの返答
2011年10月22日 19:19
コメありがとうございます。

暗号電文は、瀬戸内海停泊の旗艦長門から、海底ケーブルを経由し船橋から送信されたことは明らかになっています。針尾は主に東シナ海や大陸方面へのエリアをカバーする役割を担ってましたから、可能性として低いのです。
ただ、重要な電文であり当時の三大送信所すべてから発信されたのではないかとも言われているのです。

重文指定決定はまだ先ですが、もうほぼ確定的な話であり、嬉しい限りです。
2011年10月22日 14:05
悲願成就 達成!!
おめでとうございます。

おだちんさんの想い
直接 お聞きしましたからオイラもうれしいです
\(^^)/


今度 こちらに来られた時は 大和ミュージアムはじめ あまり知られていない建造物などご紹介しますよ
(*^-')b


呉は海軍の街
戦前 戦時中の建造物はたくさん残ってますからね!
コメントへの返答
2011年10月22日 19:25
ご祝辞ありがとうございます!
とにかく一安心です。

そうでした。武智丸を見せていただいたとき、そういう話をしましたね!
武智丸も凄かったです。


大和は先人の偉業や思いが凝縮した魂
その大和を生んだ呉の街を、もっともっと散策したいです。そのときはヨロシクです。


まだ江田島にも行ってません。
海軍墓地にお参りにも行ってません。
かならずまた訪問させていただきます。
2011年10月22日 18:44
いつも佐世保方面に向かう時、不気味な

建物だなぁと思いながらも近くで見てみたい

なと針尾無線塔を見ていました!

国の文化財指定は嬉しい事ですね(*^_^*)

以前から不思議に思っていましたが、

戦時中何故あのような巨大な無線塔が

破壊されずに残っていたのか疑問に

思っていました。おだちんさんご教授

お願いしますm(__)m
コメントへの返答
2011年10月22日 19:33
ある意味不気味ですよね。
特に雨の日は、途中から雲の中に消えてラピュタのように幻想的に見えるときがあります。

針尾送信所は、戦後一時米軍が接収しましたが、その後海自と海保が使用し、新たなアンテナが整備される平成9年まで現役だったのです。

現在の長距離通信は短波や衛星通信が用いられますが、潜水艦の無線は極長波が用いられるため、このような背の高い塔はとても有用だったのです。

そして、平成9年に役目を終えてから、解体の話もあったのですが、あまりに巨大で強靭であることから、その費用も○億円と膨大となるため、見送られていたのです。

そこに目をつけたのが文化庁と佐世保市の文化財担当部局だったということです。
今回の答申で、指定が決定するとイイですね!
2011年10月22日 20:39
悲願達成、おめでとうございます。

負の遺産というレッテルをつけること自体おかしいことと思います。

その時代には、その時代を生きた人たちの一所懸命な生活があったはずであり、
それを今の人たちがうんぬん言う資格もないですし、忘れてはいけないことでも
あるはずです。

善悪、確かにその判断はありますが、そのときの環境は今の時代ではわからない
ものが必ずあったはずなのです。

何事も、都合の悪いことには目をつむり、他人事にしてしまう、ないことにしてし
まうなど、軽はずみな現代ですが、もっと現代を真剣に生きることを過去から学んで
いかなければいけないなと思っています。

自らの生活に、祖先の育った環境や伝統というものに、真剣さ・実直さが足りません。
コメントへの返答
2011年10月22日 23:34
ありがとうございます!

負の遺産という言葉が、間違いであるとは、私も思います。

確かに戦争は悲惨な結果を生みましたが、それを起こした日本を、今の善悪の判断で「悪」そしてその歩みを「負」とすることには、先人たちに申し訳なく思うのであります。

私はゆぐさんに全くの同感です。
いろんな世論や反発を恐れて、文化審議会は無線塔の価値を技術史に求めましたが、本当の評価は、その歴史背景に精一杯生きたそのときの人々の想いなのです。

今の世の中、豊かさにまぎれて本当に大事なものが見えなくなっています。
そして、豊かさと反対に人々の心はすさんできています。

私たちは、先人のたゆまぬ努力と徳によって今を生かされていることに気づくべきだと思います。
無線塔がその一助となれば幸いだと思っています。
2011年10月23日 0:28
(;´Д`)スッ、スバラスィ…ハァハァ

ホント良かったですね!!

地元の誇れる遺産ですから!

佐世保<ノ丶`Д´>ノ マンセー
コメントへの返答
2011年10月23日 1:28
ヨカッタァ♪ ハアハア

ありがとやんす!

そう、佐世保の宝!

みんなで誇って残していきましょ~♪

プロフィール

「めしくってあそんで http://cvw.jp/b/682641/47656186/
何シテル?   04/14 22:32
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