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2010年10月30日 イイね!

思い出

この記事は、先日の私のブログ『母』へのトラックバックです。

自分へのやつもトラックバック・・・(汗) って言うのか?



なんか、こんなに沢山の御反響をいただけるとは思ってもみませんでした。
男にとって母親ってのは特別な存在だとは聞いていましたが、いざ別れを告げるときになるとそれを実感してしまいますね。




今となっての母親の記憶・・・私が真っ先に思い出すのは、もう随分と昔のこと。
愛知県は三河の片田舎、一面に広がる田んぼに囲まれた、小さな一軒家に住んでいた頃のこと。

当時鍵っ子(←古い!)だった私は、ピンク色のリボンをしつらえた家の鍵を、いつも首から下げていました。
現代と違ってその頃の子供の遊びなんて、メンコとか三輪車でのツーリングとか、仮面ライダー(2代目の頃)ごっことか、小川でのザリガニ取りとか、外遊びばかり。

(“ひとりやきにく”はもっと後の遊びである)

とある春の日、田んぼが一面のレンゲ畑にかわる頃のこと。
いつものように畦道でのツクシ採りに励んでいた私は、誤って首から下げていた鍵を、群生するレンゲ野のなかに落としてしまい、さあ大変。
レンゲのピンクに、鍵のリボンのピンクが紛れ込み、それはもう何処にあるものやら解らなくなってしまって・・・
探しても探してもそれは見つからず、摘み取ったツクシを貯めた緑色の小さなバケツを抱えて、私は半ベソをかきながら家路を辿りました。

家の勝手口をくぐり、縁側にまわると、私はそこに洗濯物をたたんでいる母の姿を見つけました。
その途端、私の心には急に悪いことをしてしまったような罪悪感が溢れ、必死で溜めておいた涙が鼻汁と一緒に一気に流れ出してきました。
大声で泣きじゃくる私に驚いたのか、母はこちらを向いて、着ていたエプロンで私の顔を優しく拭いてくれたものです。

しゃくり上げる私の頭を撫でながら、彼女は私に事のいきさつを語らせ、そして小さな身体をそっと膝に抱いてくれました。お陽様の匂いのする母の温もりを感じながら、私はその時ようやっと泣き止んだのです。
鍵をなくした私の罪を咎めることもなく、母は優しく微笑んで、今度は二人でもう一度、鍵を失くした場所へ探しに赴きました。

二人手をつなぎ、幾分か伸びた影を揃え歩いた田圃への小径。
詰まった鼻声で交わした何某かの言葉。
家事で少しばかりかさついた母の手の温もりに、小さな私の心の咎は、ゆるり甘砂糖のように溶けていきました。

あの春の日、小さなズック(と言う言葉は今もあるのか?)伝いに踏みしめた畦道の柔らかさ。
薄い水色の空、筋なす雲は絵筆でぼかしたように・・・。
ヒバリが啼き、小川に生える下草は若草色に萌えて。
時折アマガエルかトノサマガエルか、ちいさな合唱が聞こえてきて。
柔らかい日だまりのなか、綿毛のような微風。
一面のレンゲ畑、薄桃色の野原。

まだ若かった母の、少し汗ばんだ横顔は本当に本当に、匂うようで・・・正直、綺麗だなあって、幼心に思ったものです。

・・・実は、そのとき鍵を見つけることができたかどうかは、今はもう覚えてはいませんが・・・
たったこれだけ、たったこれだけの時間の流れが、今となってはこの上なくたおやかに、やさしく、夢のように思い出されるのです。
もうあの頃の心持ちに戻ることは無いのでしょうが、時が流れて、私もいつの日にかこの世とおさらばする時には、きっとこの時の風景を思い出すに違いありません。


『ふるさと』
       作 詞 高野辰之 作 曲 岡野貞一

うさぎ追いし  かの山 小鮒釣りし  かの川
夢はいまも  めぐりて 忘れがたき ふるさと

いかにいます 父母 つつがなしや 友がき
雨に風につけても 思いいずる ふるさと

こころざしを果たして いつの日にか  帰らん
山は青き  ふるさと 水は清き  ふるさと


この前のお話、そしてこのお話を読んでくださった皆様、もし今ちょびっとだけでも時間があるなら、幼い頃のお母様との思い出を振り返りながら心の中で良いので、この歌を唱ってみてください。
そしてあなたにもし、お子様やまだ小さな弟妹、ご親戚がおられるなら、お母様との思い出を振り返りつつ、この歌を教えてあげてくださいな・・・。

いい大人がシラフで面と向かって話すのは照れくさく、お憚りもあることとは存じます。
が、ここはバーチャル空間、これも何かのご縁と思って、今夜はひとつお酒でも飲みながら教えていただけませんか?


皆さんにとって、一番のお母様の思い出って、何ですか?








さて、この話を読んだハマーン様より、一言いただきました。
「良い話だとは思うが、貴様は私に対する礼節というものを知らないようだな・・・猫だけでなく母親にまで・・・恥を知れ!俗物!!」

・・・いえ、そんなんじゃないんですが・・・
Posted at 2010/10/30 18:18:23 | コメント(8) | トラックバック(0) | 暮らし/家族
2010年10月28日 イイね!

この記事は、本日の食事とおやつについて書いています。

このお話を読んで、3年前に他界した母のことを思い出しました。

若い頃は母親を連れてドライブなんてとても照れくさくてできなかったけど、20代も半ばになった頃からかな。
日常の様々な事象への考え方、世の中のこと、特に個における義理とか筋論について、いつの間にか自分が彼女に対して諭す役割を演じることが多くなっていったその頃から・・・
私には自分の母親という人に対して、自然と労ったり、護ったりしてあげなければ、という気持ちが強くなっていったような気がします。
その頃は、季節が変わる度、自分自身が一人旅のなかで見つけた色々な光景を見せてあげたくて、ちょこちょこあちらこちらへ連れて行ってあげたものでした。


さて、私の母は腎臓癌を源発とした多転移で亡くなったのですが、発病してから亡くなるまでの初めの1年半ほど、自宅での療養期間がありました。
当時父も膵臓癌と右足の骨折で同時に療養期間にあり、私は二人を同時に在宅で看ていました。

褥瘡防止のため介護ベッドで寝返りを打たせ、夜中には譫妄で騒ぐ彼女の手を握り、そして幼子に接するように語りかけ、抱え上げてポータブルトイレに移し、オムツを替え、温かく湿らせたタオルで身体を拭き、介護食を口に運んであげていた、ある冬の日曜日の午後。



「どらいぶにいきたい」


珍しく調子が良かったのでしょうか?脳への放射線治療ですっかり幼児退行した彼女は、拙い言葉で私に語りかけました。
電話で医師に許可を求めたところ、“もう長くはないのだから、目一杯親孝行してあげなさい”とのこと。

ステージア(当時)のリアシートを倒し、敷き布団と掛け布団を用意。四肢が浮腫んだ母を抱き上げて、冷たい薄曇りの冬空の下、枯葉舞うなかを私は車庫に向かいました。
病にやせ細り、軽くなったはずの母の身体は、力が入らないためか思ったよりずっと重かったこと、今もこの腕に記憶として残ってます。
寒風で冷たくなった彼女の手は、それでも弱々しく私が羽織っていたコートの袖を掴んでいました。
彼女の半ば虚ろな目は、それでもどこか笑っているようで、私という一人息子をじっと見つめていてくれました。

エンジンをかけ、私は車を静かに都市高速に運びました。
静かに、ゆっくり加速してトンネルに入ると、もう、はばかることなく涙が溢れて溢れて、後ろで横たわる彼女に気づかれまいと、声を殺して、男泣きに泣きました。


これが最後の母との“どらいぶ”。

都市高速から連絡する有料道路のパーキングエリアまで、たった数十分の“どらいぶ”。
車を止めても母は起き上がることもなく、静かに窓の外、数十年を共に過ごした名古屋の街を覆う曇り空を、ただじっと見つめているだけでした。



「もうかえる」


彼女はぽつりとそう言うと、私が買ってきた温かいココアを節だらけの手でそっと受け取り、そのまま目を閉じると、いつの間にか静かに寝息を立てていました。

家を出てから何一つ会話をすることもありませんでしたが、車を車庫に入れ、苦労して彼女をおんぶするとまた涙が溢れて溢れて、玄関までの階段が曇ってとても見づらかったものでした。
その階段の一段一段を踏みしめていると、抱え上げたときは命を名残惜しむかのようにあれだけ重く感じられた母の身体が一転、今度はあまりに軽くられ、それが彼女に残された時間の短さを知らせてくるようでした。

雪雲が濃い灰色にかかる藍色の夕暮れのなか、吐く息も白く、しかし背中にだけは幾分か彼女の温もりを感じられたのが切なくて切なくて、出迎えたしばわんこに触れるでもなく、私は家に戻りました。

これが私と母の、小一時間にも満たない、最後の“どらいぶ”でした。

後日の話ですが、母はあのドライブの話、訪れるヘルパーさん、ケアマネさん、訪問看護師さんやお医者様に自慢気に話していたそうです。
その母も、年が明けて2月の小春日和の日には、近くの総合病院に入院、その後命果てるまで出てくることはありませんでした。


たはむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず   石川啄木


男ってのは、いつか母親を背負わねばならないときが来ます。
その時には、残された時間のために万感の思いを伝えてあげられたら、いいですね。

【追伸】
皆さん沢山のイイね!ありがとう。
私がまだ幼い頃、冬の寒い夜には、母が布団の中で私を温めてくれました。
そのとき歌ってくれた子守歌、題も知らない歌ですが・・・記しておきます。

ねむの花 眠った
坊や ねんねしな
ふくろうが 鳴いている
向こうのお山も 眠った

お母さん、ありがとう・・・。


あ・・・別にマザコンじゃないですよ。
Posted at 2010/10/28 16:16:15 | コメント(7) | トラックバック(0) | 日記
2010年10月27日 イイね!

ジャパン・ロータス・デイとやらには行けないが・・・

ジャパン・ロータス・デイとやらには行けないが・・・仕事の都合でどうしてもロータスデイは行けそうにないのですが、浜名湖SAあたりまで皆さんお送りしようかと思ってます。
皆さんは、30日前日~31日当日は何時頃東名浜名湖SAを通過されるご予定でしょうか?
Posted at 2010/10/27 13:44:10 | コメント(5) | トラックバック(0) | ロータス | クルマ
2010年10月23日 イイね!

やったー

ドラゴンズ、サヨナラ勝ち優勝!
信じられないゲームだ。和田、最高!
Posted at 2010/10/23 22:01:03 | コメント(3) | トラックバック(0) | モブログ
2010年10月23日 イイね!

同点だと?

負けてたまるか!
Posted at 2010/10/23 21:50:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ

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「5年乗ったスピトリRSから乗り換えた。旅先でどうしてもダートを見ると心がときめくからだ。林道レベルならモタードはオフも走れる。問題はタイヤだが、純正のスーパーコルサSPはナラシ終了時に坊主になってるはず。次はスコーピオントレイルあたりにしたい。だが情報が大陸に漏れるのは必至。」
何シテル?   09/19 00:51
平成30年2月現在、 【四輪】 家車…モデル末期、叩き売りのアウディA4 AllroadQuattro。 使用用途は主に近所のスーパーへの買出し、...
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