最初にお断りしておきます。
めっちゃ重い日記です。それに長いです。
平成21年9月15日(火)、仕事を終えて帰宅すると、家財道具(金めの物)や銀行のキャッシュカードとともに、嫁(当時),長男,次男がいなくなっていました。
すぐに元嫁や長男の携帯電話,相手方の実家に連絡しましたが、相手からは連絡なし。
はい、いわゆる『別居』というヤツです。
長男は中学1年生,次男は小学1年生でした。
その一週間後、神戸市内の行政書士から、一通の『通知書』なるものが届きました。
・離婚に応じろ。
・こども達の親権は私(元嫁)。
・こども保険を解約して返戻金を半分よこせ。
・養育費を毎月○万円よこせ。
・円満解決金100万円よこせ。
こんなことが書いてあったように思います。
これ、弁護士業務なんで、行政書士がやってはいけないんですけどね。
行政書士からの通知書なんで、無視してても良かったのですが、一応弁護士さんに相談し、「応じられません」と一言だけ、ノートを一枚破ったものに汚い字で殴り書きして返信してやりました(笑)
そしたら、その半月後ぐらいに、相手が離婚調停を起こしてきました。
こちらも弁護士に相談し、すぐさま『離婚調停』,『子の監護者指定調停』,『面接交渉調停』を起こし返しました。
この時点で、双方既に離婚の意思は固まっておりました。
問題はこども達の親権です。
私の名誉の為に言っておきますが、離婚の原因は相手です。
度重なる借金・・・
度重なる浮気・・・
片付けが出来ない・・・
散財・・・
精神障害者2級・・・
数百万円の借金の後始末なんて、私の母親が肩代わりして支払いましたからね。
これらを繰り返す度に、烈火のごとく怒りました。
当たり前ですよね。
相手は、怒られるのがイヤだから逃げたのです。
小学生以下の発想ですよ。
そこで私は、「こんなヤツに子育てが出来る訳ないし、こんなヤツに大切なこども達は渡せない」と、相手との全面対決を決意したのでした。
第一回目の調停は10月終わり頃だったと記憶しています。
何も分かっていない調停委員からは、一方的に「こうなるのは男が悪い」みたいな言い方をされ、それでもグッと堪えて、ただただこども達のことだけを思って冷静に調停に臨みました。
4~5回調停を重ねましたが、離婚については同意できているものの、やはり親権の帰属については、相手も譲りません。
弁護士と相談し、3月の調停で打ち切り、裁判を起こすことにしました。
この時点では、調停委員も裁判所の方も、離婚の原因は相手にあるということは理解してくれていたように思います。
幸い、面接交渉調停は成立したので、それまでもそうでしたが、その後も、月一回はこども達に会えることになりました。
でも、おかしいですよね。
その時点では共同親権なのに、なんでそんなに不公平なんでしょうか?
それに、私は、相手の生活費10万円と、学費・学童保育費2万円の、計12万円を毎月支払ってたんですよ。
こども達はというと、長男は超がつくマザコン、次男は超お父さん子。
5月の面会以降、長男が「もうお父さんには会いたくない」と言いはじめました。
まぁ、年頃的にも仕方ないかなというのもあったので、お父さんが大好きな次男とだけ会うことにしました。
それでも、毎月きちんと生活費と学費等は負担していました。
3月終わりに提訴し、第一回口頭弁論が6月でした。
この時点では、全て弁護士に任せてたので、私が出廷する必要はありませんでした。
裁判でも、やはり争点となるのは親権です。
が、ここで厄介なことが。
長男は完全に母親派で、「もうお父さんには会いたくない」と言っています。
次男は「僕はお父さんと一緒に居たい」と、会う度に言ってくれていました。
今の日本では、離婚後に共同親権という制度は存在しないので、どちらが親権者となるかを決めなければ離婚は出来ません。
逆に言えば、離婚するなら、親権者を決めなければいけません。
また、どうしても、特にこどもが小さいと、母親有利の流れがあります。
それが例えめちゃくちゃな母親であったとしても。
この考えは絶対におかしいです。
それに、裁判所は、基本的に兄弟の親権を別々にはしません。(当人同士の合意があれば別ですが)
要するに、ウチのような歳の離れた兄弟の場合(しかも、下の子がまだ幼い場合)、上の子の意思でほぼ決まってしまうのです。
それでも弁護士さんは必死で闘って下さいました。
女性の弁護士さんだったのですが、「こんな人、女性の風上にも置けない」と、ある意味私以上に過激になっていました。
裁判所に暴言を吐いて帰ったこともありました(笑)
何度か法廷での闘いを重ね、ぼちぼち裁判も終盤に近付いてきたかなと感じてた昨年末、次男が私に言った一言で、私の心がグラグラと揺れたのでした。
そして、ある決断をするに至りました。
次男は、会うたびに「お父さんとこのマンションで一緒に暮らしたい。ずっとお父さんと一緒にいたい。裁判所の人には僕がきちんと話しをするから」・・・こう言ってくれてたのですが、その日、「『○○くん(次男)がお父さんと住むことになったら、お母さんとお兄ちゃんは遠くに引っ越して、二度と○○くんには会わないから』と、お母さんから言われた」と聞かされました。
それでも次男は「僕はそれでも構わない。一生会えなくてもいいから、僕はお父さんと一緒に暮らしたい」と伝えたそうです。
こんな小さい子に、何ということを言ってくれたのでしょうか。
私は本当に腹が立ちました。
本当にいつまでも独りよがりなヤツだと。
全て自分の事だけしか考えてなくて、こども達の事なんて、これっぽっちも考えてないんですよ。
私は、ずっとその点を訴え続けてきました。
とても腹が立ちましたが、私は冷静になって考えました。
確かに、次男が私と一緒に居たいと言ってくれるのは嬉しいことです。
是非そうしたいと思って、長期に渡って私も闘ってきた訳ですから。
でも、次男はお母さんやお兄ちゃんが嫌いな訳ではないと思うのです。
お父さんと一緒に居ると、欲しい物を買ってくれて(月一回しか会えないので、どうしても甘くなってしまいます)、行きたい所に連れて行ってくれて、いつも優しくしてくれる。だから一緒に居たいってのもあると思うのです。
まだ幼いですからね。
あんな母親ですが、次男にとってはたった一人の母親ですし、歳は離れてても、お兄ちゃんとは血の繋がった兄弟ですし、相手がどこまで本気でそんなことを次男に言ったのかは分かりませんが、この先一生次男がお母さんやお兄ちゃんと会えないのは、彼の精神衛生上よくないことだと思いました。
私は、離婚して、仮に私が親権者になった場合でも、母親との面会は自由にさせるつもりでしたから。
・・・悩みに悩みました。
そして、今年の2月2日に本人尋問の法廷闘争を控えており、その場で浮気や借金の証拠を出して相手を叩きのめすつもりだったのですが、次男から聞いた話があったので、弁護士に相談し、当日はこちらから和解を持ち掛けることにしました。
和解を持ち掛けるということは親権は相手方になってしまうので、次男の気持ちを考えると、正に断腸の思いでした。
ただ、相手が次男に発した言葉については、相手方弁護士はもちろんのこと、裁判官にも伝えてもらいました。
そして、2月2日。
親権,養育費,次男との面会,相手方荷物の搬出等、和解が成立し、1年半近くに及んだ闘いは、あっけなく幕を下ろしたのでした。
相手方の発言は裁判官に心象が悪く、私としては、良い条件で離婚できたと思っています。
ただ一つ、こども達の親権を除いては。
2月7日。
離婚裁判なんで、2月2日に離婚は成立していたのですが、区役所で離婚手続きを済ませました。
この時点では、まだ相手方の荷物が家に残ってたので、スッキリ度70%といったところでした(笑)
で、今日(もう昨日か)、2月18日。
相手方とこども達の荷物を相手方が全て運び出し、全てが終わりました。
本当にスッキリしました♪
5SLDK(ちょっと自慢・・・笑)のマンションは、がら~んとして、とても寂しいです。
これからは、次男が傷つかないように精一杯支えてあげようと思います。
離れて暮らしてても、月に一回しか会えなくても、私と次男の心はきちんと繋がってますから♪
これで相手はバツ2です。
きっと、いい死に方はしないでしょう。
さて、今回、何故私がこのような日記を書いたのかというと、それはこの「みんカラ」に少なからず無関係ではないからです。
一昨年の9月に相手との別居が始まり、その時は、その1年前に買ったワインレッドのムーヴに乗っていました。
どう見ても女性仕様の車でした。
こどもと一緒に乗っている分には構わなかったのですが、私、体もデカいし、自分で言うのもおかしいですが、結構イカついし、元嫁の為に買ったも同然の車を乗り回すことに、どうしても抵抗があったのです。
そんな時、あるカー雑誌を見てて、ランエボ4に目が留まりました。
めっちゃカッコえぇやん!!
歳を取って、こども達が独立したら、いつかはスポーツカーに乗りたいと思ってました。
離婚は決定的ですし、またとないチャンスだと思って、知り合いに頼んでランエボ4を探してもらいました。
もちろん、気分を一新したいというのもありました。
別居がなければ手にしてなかったランエボ。
車のことは全然分からないし、MT車の運転は下手くそですが、車の本当の楽しさを教えてくれました。
納車してからもうすぐ1年ですが、ハンドルを握るのが楽しくて仕方ありません。
購入当時はmixiをやってて、そこでランエボのコミュに参加させていただいておりました。(見るのが専門でしたけど)
そこで、メンバーの方数名が「メインは『みんカラ』です」と書かれてて、その存在を知ったのでした。
別居してなくてムーヴに乗ってたら、恐らく「みんカラ」を知ることもなかったでしょう。
そういう意味では、別居が一つの契機だったことには違いありません。
相手に感謝しないとね(爆)
これからも、あまり車に関係のない日記となりますが、末永くお付き合いいただければ幸いです。
そして、そんな私にも大切な人が出来ました。
以前勤めてた会社で一緒に仕事してた人です。(10歳年下です♪)
写真でもおわかりいただけますように、コブ付きです。
3歳になったばかりの双子の女の子のお母さんです。
偶然なのかどうか、彼女も今、離婚裁判中です。
こども達も、私にとても懐いてくれています。
彼女が忙しい時は、私が二人を連れて遊びに行く時もあります(笑)
彼女は、私をとても大切にしてくれます。
もちろん、私も彼女をとても大切に思っています。
彼女の裁判が終わったら、4人での生活をはじめ、離婚成立から半年後に結婚する予定です。
今後日記に登場する「家族」というのは、この4人のことになります。
ってことで、今はランエボに2つのチャイルドシートを乗せて走ってるという訳なんです。
土曜日は、このマンションを売るために不動産屋さんが鑑定に来てくれます。
日曜日は、4人で住む家を探しに行きます。
残念ながら、神戸を離れることになりますが、いつか必ず、また神戸に住みたいと思っています。
私は、次の人生に向けて歩き始めています。
重くて長い日記に最後までお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。
※ドラちゃん、見てる?