11月に入って紅葉が一層進む一方、寒さも一段と増してますね。
この3連休はあまり遠出せずに自宅でゆっくりしているKenbourですが、先週は仕事が思うように進まなくて何気にストレスを感じていたので息抜きしたかったこと、そして先月の仙台家族旅行以降はデジイチを手にしていなかったので、今日はデジイチで写真撮りを心ゆくまま楽しんでいました。
日中は子供達の世話に嫁さんにこき使われたり(?)してなかなか落ち着きそうな時間がないので、できるとしたら子供達が寝静まった夜か早朝しか無いのですが、早朝に起きて山に行き、大自然の空気を吸うのがここ最近なかったので、今日は早朝5時半前に起きてマイレガに乗り、5分程度行った先にある牧草地へ行きました。
(Canon EOS 40D with EF-S 18-135mm F3.5-5.6 IS)
この牧草地はかねてからマイレガはじめ、いつも家族の愛車の撮影場所としている場所。
(Canon EOS 40D with EF-S 18-135mm F3.5-5.6 IS)
(Canon EOS 40D with EF-S 18-135mm F3.5-5.6 IS)
やはりこのロケーション、僕の中では一番お気に入りです。
続いて、そこからちょっと先に行った公園にて。
紅葉が程よく色づいてました。
(Canon EOS 40D with EF-S 18-135mm F3.5-5.6 IS)
その紅葉のもとで。
(Canon EOS 40D with EF-S 18-135mm F3.5-5.6 IS)
(Canon EOS 40D with EF-S 18-135mm F3.5-5.6 IS)
そして、その公園の広い駐車場でこんなことにもチャレンジ。
(Canon EOS 40D with EF-S 18-135mm F3.5-5.6 IS)
ズーム位置、絞り、三脚の高さや向きの位置・・・
カメラのポジションを完全に固定し撮影した2枚の写真。
のちにAdobe Photoshopを使って2枚を重ね、1枚に合成したのがコレです。
こういうチャレンジもなかなか面白いなぁって思いました。
撮りたい写真をだいたい撮ったのですが少々時間があまり、どうしようか考えていた時に「中学校校舎が解体されているよ」って家族が言っていたことを思い出し、その足で母校があった中学校の跡地へ。
3分後に到着するやいなや、それはもう衝撃でした。
(Canon EOS 40D with EF-S 18-135mm F3.5-5.6 IS)
中学校の校舎は昨春に中学校が統合し移転されて以降半年間空きになっていたのですが、地元自治体運営の交流施設に変わってからもそのまま残って最近まで至っていました。北棟と南棟がありますが、正面玄関がある南棟のまるで半分がスパっと切り落とされたかのように解体されていました。
写真を撮る位置からは本来見えない、中庭が見えてしまっています。
(Canon EOS 40D with EF-S 18-135mm F3.5-5.6 IS)
南棟の残り半分は残存。現時点では北棟は全て残っていますが、南棟との連絡通路が解体されているのもあって、こちらも解体は時間の問題かもしれません。
「断面」の部分、1階には職員室、2階には3年生の教室がありました。
黒板があった部分がそのまま剥がされたかのように、キレイに無くなっています。
かつて僕が3年生を過ごした教室はもうありません。
また2階には3年生の教室のほか、パソコン授業を行うコンピューター教室もありましたが、実はこのコンピューター教室はまさに僕にとってメッカとしていた場所だったのです。
中学2年生の時にパソコン授業が導入されて興味を抱いたことをきっかけに両親に無茶を言いながらもパソコンを買ってもらって自宅でパソコンを始めたわけですが、当時は今のようにWindowsがまだ普及しておらずMS-DOSの時代。Config.sysにMOUSE.SYSを足すことでマウスが本格的に使われ始めた時代でしたが、手入力で命令を出す概念に変わりなく、コマンドプロンプトを独学でとにかく覚えまくった。
今で想像できないかもしれませんが、当時はたった340MBでも3万円台と高額だったHDDの扱いを間違えてデータをチャラにしてしまったこともあったほどですが、紆余曲折を繰り返すごとに努力が実を結んで技術の授業では通信簿で最高評価を頂けましたし、これを機に更に自信に結びついて就職活動に発揮したり、就職先(現在の勤務先)での立ち位置を確立、社内システムエンジニアとして現在に至っています。この中学校でパソコン授業に出会っていなかったら、僕は果たしてどういう道を歩んでいたんだろう・・・。
僕は今秋でコンピューター歴、まる20年を迎えたばかりの今回の出来事。
少子高齢化という時代だから仕方ない、と言われたらそれまでかもしれません。
けれど、人間は一度死んだら生き返らないのと同じようなこと。
一度失ったものはもとに戻ることはありません。
思い出に残る場所を失った寂しさはもう計り知れないですね。
↑は解体されてしまった校舎の真ん前に佇む若人の像。
この学舎とともに中学生としての目指すべき道を教えてくれていたのが彼らです。
きっと、解体作業を終始見届けてきた彼らのほうが人一倍寂しいのかもしれません。
目頭を押さえつつ、必死にデジイチのシャッターを切っていたKenbourでした。
母校への恩、僕はたとえ死んでも絶対に忘れまい。
Posted at 2013/11/03 23:48:24 | |
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