たまには与太話でも
■昨日は移動日だったのですが、高速1000円が終わってますので
高速2000円縛りで移動していました(苦笑)
・・・という訳で、珍しく新潟の燕まで下道を走った訳です。
前橋を過ぎ、沼田を望み、名胡桃城の脇を越え、三国峠を越えた訳です。
1000M以上の峠で、物凄く険しい峠です。
ここを越えると苗場とかですが、
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大昔、こんな所を越えてきた基地外がいます。
言わずとしれた上杉謙信。
義の為でございますが、
兵士が行ったことは略奪と
敵対勢力の領民の奴隷売買でございました。
大義名分だけでは人は動かなかったんですね。
結果的には評判が悪く、北条は負けて勝つということで
勢力は広がってしまいます^^;
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ちなみに青そという繊維を売りさばいて
上杉家は金を蓄えていました。佐渡金山はもっと後の話。
意外にも商売上手、というのが上杉謙信の素顔で
春日山城はなんと直江津、
直江津の勢力が、新潟全土を統治するなんてとても無理です。
走ってみると
半独立の領主の、盟主だったということが良く分かります。
新発田、中条、そして村上本庄
戦闘力も経済力もある彼らが、忠誠を誓う理由はありません。
本庄繁長などは独立を試みて反乱を起こし、
半年の後に和議投降し許されます。
これがまた凄い山の上に城があり、堅固さを感じさせます。
大義と、戦争と、略奪、
上杉謙信は、ちょっとチンギスハーン的なカリスマだったんでしょうね。
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上杉景勝(長尾政景の子)、直江主従の出身与板が六日町
関東遠征の通り道です。
ここをふさがれると、関東から帰ってこれません。
上杉景勝後継を肴に、長尾政景を暗殺したと見る事は
現実的な選択の一つとしてはありえたかと思います。
厩橋(前橋)の北条高広は、
腰が据わらなかったといわれていますが
地勢的には仕方が無いかと思います。
前橋はどう見ても関東です・・・
むしろ、謙信につこうと思うほうがおかしい気がします。
気持ち的には謙信の方が好きでたまらなかったんじゃないでしょうか^^;
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あと、沼田は、後北条末期に、真田が占領して
信之公の領地として大活躍するのですが
矢沢頼綱の槍「小松明」
こんな叔父さんもいたりするんですけど
真田一族の戦闘力を知らしめたのは、むしろこちらだった訳です。
と言うか、上田からどうやってきたんだこの一族・・・
真田さんの戦略は上杉に蹂躙された土地を
上杉のお家騒動などに乗じて占領することだった様で
基本えげつない戦い方をしています。
外交戦略がたくみです。
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地図の上では何となくしか思いませんが、
実際その土地を走りますと
距離よりも地政学が大事だと感じます。
昨日はそんな余計な事を考えながら車を走らせたわけです。
雨でしたし。
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ちなみに魚沼で、コシヒカリを5キロですがゲットしました。
今年はあきたこまちとの食べ比べを
試そうかと計画しているのでした。
新米はお早めに^^
Posted at 2011/09/21 19:59:38 | |
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戦国時代 | 日記