東電、テレビ会議の記録映像 公開
…で、突っ込んでいいでしょうか。
3号機の爆発は一体何だったの?(棒)
プールが怪しいとは思うんだけど…
現場はある程度手探りで緊迫感を持って対応していた事が分かります。
そういえば、津波警報(不発)が、3号の爆発の時にありましたね。
後さりげなく清水社長(当時)が頑張ってます。
その時点でこの人社長と言うよりは手先なんですよね…
まあ、一言でいえば
風船が無限に膨らんだけど
風船自体ではなく、
風船に小穴があいて漏れたガスで小爆発が起きた
これが今回の事故の真髄・・・。
申し訳ないんですけど
東電その物の事故対応はそんなに筋が悪くないと思います。
ただ、東電は立場的には恨まれるでしょうね。
福一の1,2号機は設計思想がしっかりしていて
結構良くできたプラントにも思います。
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ちなみに本文のコピーはこちら↓
原発事故直後の東京電力の社内会議の様子を記録した映像が、ようやく公開されました。事故の原因を究明する上でも貴重な映像ですが、公開は部分的なものにとどまりました。
「本店、本店大変です、大変です」(福島第一原発)
「はい」(東電本店)
「3号機、たぶん水蒸気爆発が今起こりました」(福島第一原発)
3号機が水素爆発を起こした瞬間。事故の収束にあたる福島第一原発の職員たちは総立ちになりました。
「現場の人は退避、退避」(東電本店)
6日、東京電力が公開した映像。福島第一原発と本店などを結んで開かれていたテレビ会議を録画したものです。事故直後の現場と東京のやりとりをおよそ90分ぶん、東電側が編集・加工し、6日、報道機関に提供しました。事故対応に奔走する現場との激しいやりとりが記録されています。
未曾有の原発事故。その発生直後の記録です。3月12日午後3時半すぎ。津波ですべての電源が失われてから丸一日が経ち、冷却機能をなんとか復旧させようと、対応に追われる現場を激しい衝撃が襲います。
1号機の水素爆発。音声は入っていませんが、爆発で建物が大きく揺れ、職員らが身構える様子が映っています。
「今、浜通りに3メートルの 津波警報が出ました」
相次ぐ余震のなか、冷却機能が失われたまま、事態はどんどん悪化。そして、14日午前11時1分。1号機に続き、3号機が爆発します。
「本店、本店大変です、大変です」(福島第一原発)
「はい」(東電本店)
「3号機、たぶん水蒸気爆発が今起こりました。11時1分です」(福島第一原発)
「11時1分。本部長の清水です。関係各所への緊急連絡をして、その結果をすぐに報告する」(東電本店)
さらに、2号機の事態も悪化。格納容器内の圧力を下げるベントをめぐっては、東京と、福島の現場の方針が食い違い、言い争うような場面も記録されています。
「(原子力安全委)班目先生はサプチェン(圧力抑制室)からのベントラインが生かす必要なくて、まず突っ込みなさいと、おっしゃっているんですよ」(福島第一原発)
「先にまずサプチェンからのベントをやった方がいいと思うわけです」(東電本店)
「思うのはいいんだけど、今もう時間がなくて」(福島第一原発)
「ああ、すいません」(東電本店)
映像には15日に、菅・前総理が本店を訪れたときの様子も記録されています。東電によりますと、このときの音声は録音されていないということです。画面の真ん中、後ろ姿で座っているのが菅・前総理です。腕を何度も突き上げるなど、ひどく怒っている様子がうかがえます。
「菅総理のお話は1度目が約11分。2度目が3分程度という状況です」(東京電力の会見、8月6日)
国会や政府の事故調査報告書によりますと、このとき、菅前総理は「60になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く」「逃げてみたって逃げ切れないぞ」などと発言したということです。
「(当時の発言について―)何としても頑張ってもらいたいと。社長・会長・私を含めて60を超えた世代は先頭を切って行こうじゃないかと。そういうことを申し上げたことをよく覚えています」(菅 直人 前首相、8月6日)
東電は6日、この映像以外にも、あわせて150時間分の映像を東電内の端末で報道関係者に限って公開しました。しかし、録音・録画を禁止するなど、閲覧には厳しい制限がかけられています。
TBSなど報道各社は、こうした制限をなくし、今回公開された150時間以外の映像も公開するよう求めています。(06日15:46)
Posted at 2012/08/06 20:03:07 | |
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福島第一事故における検証 | 日記