■よく思うんですが、
犯罪者と言うのは大抵「強者を襲わない」
のが凄いなあと思います。
ちなみに「強者を襲った」代表例が、太平洋戦争と言いまして
愚行の代表例として広く評価されてますね^^;
■とにもかくにも何故か、精神がやられているはずでも
ちゃんと弱者を狙い撃ちするんですよね。
火病もその傾向がありますね^^;
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■つまり、意地悪な言い方をすれば
腐った犯罪者は非常に
「合理的で優れた選択をしている」 と言えますし
それが故にルールを厳格にし、罪を犯した物を
厳しく裁く事が必要になってきます。
ちなみに法を犯す事は、もちろん良くないのですが
しばしば起こしていない犯罪を起こした事にして
いい気になって裁こうとする例もよく見かけます。
それは危険性であって犯罪ではないのですが、
合理的と信じている人々は、勝てると思うから
『合理的に』執拗に集団で攻撃します。
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■つまりは
、極論ですが『合理』とは
弱きものを搾取し、強き者にこびへつらう事を言います。
「合理」とはある意味犯罪的であり
それに対する観念こそが「倫理」という非合理観念です。
「合理だけ」を考えれば
倫理はしばしば無意味であり、
その選択には合理性が無いからこそ
悲劇性と自己犠牲があり、そして強い倫理性を要求します。
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■かの戦争が非合理であり、
結果として無駄が多かった事は否定しませんが、
それが故に
非合理における『倫理』をも生み、
一部美化されつつもそれは日本人の高い『倫理性』に
反映されている事も、また事実かと思います。
敗北史観とはその上に被された
もう一つの『非合理の罠』です。
『非合理』が悪である、
これをひっくり返して
「悪」だから『非合理』であった
故に私達は合理的に弱者として、ごびへつらわ無くてはいけない
(
でも、よくよく考えれば
合理的に生き延びた人々こそ…悪とも言えますよね。
『
善悪論』は非常に実は恣意的なんです)
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■「
優れたもの強き者にこびへつらうことこそが合理である」
まるでどっかのブラック企業の様ですね^^;
ワタミさんかどっかの社長を引っ張り出してしまった自民…
アホですねえ。
■ちなみに敢えて言ってしまいますけど…
前にも言った通りアベノミクスは明博政権の焼き直しです(苦笑)
独自性もへったくれもないんですよ^^;
韓国化こそがアベノミクスの本性であって…
もちろん時間稼ぎとしては有効ですが…
つまりですね…韓国をそのうち笑ってられないなんて日は
来ないとも限りません。
■安定政権が一番なので、支持は変えないですけど
所詮は一票しかない訳で(笑)
■ちなみに韓国は非常に合理的ですので
「
優れたもの強き者にこびへつらうことこそが合理である」
これを地で行く民族だと言われています。
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■で、今日の本題…
殺人者って合理的ですよね、と言うお話。
女・子供・老人、類似性は
しっかりあるんですよね^^;
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■関連性はしっかりあるんです。
自分より弱い存在を殺す。
全てに理がある、と言うのは少し前に書いた事でもあるんですけど
『合理が全て』ではないんですよね。
ちょっと不合理な形に、優れた心象が宿るというのは
往々にしてある事で日本人はそれに価値を見出して技術を磨きます。
合理的だからいい、自分自身
極めて割り切った合理的な人間ではあるんですけど
「合理的になりきって」はいけないんです。
儒教の礼の精神も、社稷≒ルールを守りつつも
上に立つ物が寛容を示せという非常に日本的な考えでした。
『尊皇攘夷』もこの頃の考えを元にしたものですよね
ところが中華発想≒異民族中国支配の中で
上下のルールを合理的に守るための礼に変化したのが
今の大陸儒教だったりします^^;
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■よって
賢い人達を集めて政治をさせるとロクな事になりません。
みんな
合理的なので仲間(ワタミ)を呼んじゃったりします^^;
おいおい(苦笑)
当然、合理的な人が集まってイノベーションが生まれる訳もないと思うんです。
「えっ」と思うこと自体が非合理的だったりしますからね。
その非合理性を「遊び」といいます。
当然全ての合理的、精緻な物は、相手にも精度を求めます^^;
ですから合理的で精緻な物は、突き詰めると必ず遊びがあります。
車であれば、シナリだったり、スポット溶接の柔らかさだったり
或いは一部構造がガチガチなドイツ車だったら
サスペンションだったりします。
ですが考え方が違うと、『そこで
遊ぶのはおかしい』ってなるんですけど
結構それは
考え方の違いであって、しばしば思想闘争
だったりします。
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■だから
殺人者はある意味究極の合理主義者である事が多いと思います。
弱いものを殺す…、邪魔者を殺す
そう言えば
究極の合理主義を名乗ったナチスドイツも
合理の末に人殺しに走ったのは面白いものです。
開戦理由一つ見ても…当時の日本は同盟を組んでいただけで
ある意味、極めて非合理、なんですよね。
でも合理と非合理は併存するって言うと、
結構物凄く怒る人は多いように思います。
そして「非合理」を無理やり『合理』に変えようとしたりします。
ですが人はしばしば騙されて学びます。
これも『非合理』による『合理』の獲得と言えるのかもしれません。
こういう
非合理の「まれ」の優位性は確率的揺らぎによってなされます。
色々な合理を突き詰めると非合理の優位性が確率的に出現する。
そしてその結果は強烈な吸引力を持って人を非合理に走らせ
合理の優位性を保たせる。
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■アベノミクスや自民はある意味『合理』です。
『合理』故に私は支持しています。
でも、『支持が過ぎれば』『非合理』になる事もあるという訳です。
そこには善と悪ではなくて、灰色の揺らぎの世界が広がっていたりします
「突き詰める努力」は必要ですが「突き詰めすぎる」と害を為す。
色んな物の程々と、ぎりぎりを学ぶ
ここは結局経験と努力なんですよね^^;
だから
自分は『合理』を叫ぶ人も
その危険性を叫ぶ方々も、尊敬に値すると思ってます。
そしてその共存は不思議と必要な物じゃないかと思っています。
故に思想は極めると何故か過激思想に発展するのかもしれません。
割り切れない平方根や虚数があるからこの世の中は面白いのに…。
Posted at 2013/06/20 23:43:12 | |
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