神社は意外とフリーダムです。
遷宮による建て替えもそうですし
時代を経ながら改良されてきた面が
多々あります。
よく○○の神様がといいますが、
しばしばごった煮の混ぜ物な時も。
今あるお神輿も
意外と時代は古くないですし、
そもそもお神輿の起源自体
院政時代に
神仏習合の時代に強訴でかちこむ為の
元々は僧兵が作った移動式御堂という説も
有るくらい。
まぁ迷惑なもので(苦笑)、
ハロウィンの騒動(かなり迷惑)も
ある意味日本人のお祭り好きを
反映しているのかもしれませんね。
とは言え自然発生は、管理者がいないので迷惑ですし
仮装は一歩間違えれば覆面強盗です。
被り物は禁止の方向で、というと
ナマハゲガーとかまた現れそうですし。
(実際女湯を覗いたエロハゲが
大問題になったことがある。)
ハロウィンも、ウリストと勘違いされていますが(笑)
元々は収穫祭です。秋祭りとコンセプトは同じで
お祭りのあとはゴミがゴチャガチャと
お神輿は別に神様を信じて担いでいたわけでは
ありませんよね?
あんまり大人や年功序列を押し付けると、
信仰が新興に取って変わられる、これもまたよくある話。
新しいなにかを創造する、
なかで人を殺して楽しむ
なんて言うのは、共産主義や
毛沢東、ポル・ポト、スターリン等の
独裁者とその取り巻きでもよくある話ですね。
つまりオウムもそうですが新興宗教はしばしば危険!
であって、そのキチガイじみたパワーは
新陳代謝としては取り込みたいものらしく
それを繰り返して一時日本の神道は
グチャグチャになっていました。
ごった煮でもはや原型すらわからなくなっていた
神道をある程度組織立てたのは、
本居宣長や、平田篤胤ですが、
そして明治に廃仏毀釈が起きて、多くの文化財が失われ
例えば興福寺の阿修羅も腕おられてボロンボロンに
なったりもしました。
半島民が乗り移ったような蛮行です。
実際は学べば学ぶほど、難しいなぁと思います。
正義は一つではないことは
神道でもまた同じな訳で、
結局は縁あるものを大事にして、
体系や組織、権力にすり替えようとする
人たちとは距離を置くしかないんですよね。
自分は神社へのお参りは
自分は大好きで、縁のあるところには
何度も伺いますが
でも、こうあるべきだという人たちは
神社を通じて、何かの地位を上げたいという
意志が見え隠れする気もします。
自分は、人気がない方が
ゆっくりお参りができるので
はっきりいって迷惑な参拝客は
来て要らんのですが
維持にもお金がかかるわけですよ。
お祭りも地元のエロしじいの宴会費用
の捻出にもなっていたわけで
そういう現世利益が制限されるのは
いいことなのですが、そうなると
多くの雰囲気信者は信仰もなくなるわけです。
尤も狂信的雰囲気信者は、
しばしば破壊と想像といいながら
内ゲバを煽動し
破壊工作だけをするのですが
例えば皇族の一部を正当性がないなの
間違っているから排斥せよとか
不敬の固まりだよなぁ、って眺めるわけですが
ただその無駄なエネルギーは維持費とかの一部に
なる場合もあります。
雰囲気で金出したりしますし。
つまりは日本の神々は本来
偶像や器に頼らずとも可能な、割りと清らかなものですが
入り口や、その威厳を表すには
お祭りや、立派な社があった方が
多数派を保ち得ますよね。
ただやり過ぎれば堕落して
生臭坊主みたいなのが大量に湧きます。
秋祭りでハロウィン神輿や仮装も
あってもいいのかなぁ?
なんて思う今日この頃です。
因みに季節のいい日に、大人の酒飲みを手伝い、
楽しくもない御輿で体を痛めるのは
自分は大嫌いでした。
大体強制で、どこの神社のどんな神様かも
知らなかったですし、
日本人はおみこしだとか言われても反感を持つ
子供でしたから
ちゃんと意味を伝えないと意味はなくて
長幼の序を押し付けるための
お祭りなら今後も廃れる一方でしょうね。
難しいなあと思います。
そういう意味では間違った入り口でも
縁があればいいきっかけになるわけで、
それもまた縁ですし、その中で思い上がれば
また全体のバランスを損ないます。
油断すれば見えない怪しい物体も。
とは必ずしも言いませんが、
それが包括的に見えるという意味では
面白い時代と言えるのかもしれませんね。
Posted at 2015/11/01 12:37:29 | |
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