2011年02月22日
えっ!!地震で死んでるのではっ??!!
一昨年の夏に、自宅での生活がイヤで我が家に逃げ込んできた甥っ子。
当時、進学校の高校1年だった。
昔から素直で、読書が趣味の姉との姉弟。
姉は合格こそしなかったが、京大・医を目指していた。
当然、親はそれに近いLVを弟にも求めた。
そんなことを含めて、両親と弟との距離は拡がり、修復できない状態に少しずつ向かっていった。
知らぬは両親のみ。
そして、関係は破綻した。
そういう状態になってから、初めて私の携帯電話が鳴った。。。
電話主は祖母(私の母)から。
「助けて・・・なんとかしてあげて・・・・」と。
私は祖母に、その電話のまま、事情聴取。。
状況を把握したのち、有無をいわせず一言いった。
「環境を変えない限り、好転する事はないと思う。我が家に住ませる。すぐ準備するように。」
丁度、7月末の学校が夏休みに入っていた頃だったので、何の心配もない。
というか、既にゴールデンウィーク以降、登校拒否で学校にいってなかったので、時期は関係なかったが・・・。というか、進級の為のMAX欠席日数があと数日しか残ってなかったという事実。
電話を切ってすぐに、甥を迎えに、私は実家に向かった(実家で二世帯居住)。
祖母は兄嫁に私の言葉を伝え、学生服や私服などをカバンにつめるしかなかった。。。
迎えに行く道中に、ポルシェだと3人は乗れても、4人は乗れないことを思い付き、車交換も必要と。。
実家に到着。
私「用意できてる?」
祖母「できてるらしい」
私「じゃ、甥と話つけてくる」・・・・甥は快諾。
私「メルセデスとポルシェ乗り換える。4人家族になるとPは乗れん。」
祖母「わかった・・・。」
そして、我が家は4人家族になった。。。。。
甥は我が家の息子と同い年。
年に数回しか行き来してなかったが、やっぱり心を許せる数少ない人物であったらしい。 その延長戦で、私のことも信用しているらしい。
確かに、私は実家では相手が誰でも、ハッキリとモノを言う。
その状態が数ヶ月続き、9月の新学期。登校するかドキドキしたものだが、初登校日を迎えるにあたり、甥にはクギをさした。
「我が家はお前の家だ。いつまでいても良い。高校、大学、就職しても、居たい間いればいい。
お前は家族だ。息子と双子の兄弟として扱う。居候でもお客さんではない。」
「ただし、お前が学校に行かなければ、我が家に居る理由はなくなる。それを心しておけ。」
その後は普通に生活をし、普通に学校もいっていた。
ところが、新型インフルエンザにかかってしまった。
本人は、私たちにうつしてしまう事を恐れ、「ちょっと家に帰ってくる」と。
その際に、母親や祖母がどう説得したのかはわからないが、我が家には戻ってこなかった。
そして程なく、学校にもいかなくなった。。と後で聞いた。
そんな甥は今、日本を飛び出し、ニュージーランドに留学をしている。
今日、クライストチャーチで大地震があり、日本人留学生などに死傷者がでていると、東京出張からの帰りの飛行機の中のニュースで知った!!!
顔の血が引いた・・・・。
空港に留めてあった車に飛び込み、自宅に付くや否や、PCを付け、甥との連絡手段であるFaceBookを開いた。
甥はログインしていない!
メッセージを投げた。
携帯にでも転送しているのか、15分後にログインしてきた。。。
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20:50チャットで甥っ子と会話
私「地震は大丈夫だったか~?問題なし?」
甥「みたいねー問題なし!」
私「よかった^^;」
甥「前もあったみたいやけど」
私「うん」
甥「死者なしだったらしい」
私「ほぅ・・・・。そこは揺れ自体も感じないくらい?」
甥「うん、まったくね」
私「そっか~。わかった。ありがと~」
甥「いえいえー」
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正直、ホッとした。。。。
そして、甥の母親に↑の会話内容を携帯にメールして安心させた。
母親からはお礼の返信メール。
携帯にTELしてたそうだが、無視されているらしい。
想像通り、肉親で連絡が取れたのは私だけだったらしい。
無事で、よかったよかった~^^
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Posted at
2011/02/22 23:29:42
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