久しぶりに本が読みたくなり、小田垣 邦道氏の小説「ユリシーズ」を手に取りました。
小田垣 邦道氏は本田技研にてクリエイティブムーバー第一弾、オデッセイの開発リーダーを務めた方だそうです。その初代オデッセイの開発エピソードを小説の形でまとめたものが「ユリシーズ」なのです。
ユリシーズとは、Wikipediaによると
ギリシア語: Odysseus オデュッセウス
のラテン語形のひとつラテン語: Ulysseus(ウリュッセウス)を英語化したもの。
古代ギリシア世界の英雄であり、ホメロスの『オデュッセイア』の主人公でもある。
・・・とのことでオデッセイの物語であることがタイトルからも想起されます。
主人公の織田が如何にミニバンを知り、日本の家族向けのミニバンを生み出すのか。
主人公は北米で徹底的にミニバンのリサーチを行い、ミニバンの良さを体感します。さっそくアメリカで受け入れられるミニバンを開発すべく、検討を開始したものの、北米の要件を守るためには大柄な車体が必要で大排気量エンジンが必要。流用できる部品は高級車用の高コストな物ばかり。このミニバンを生産する為には、新たな工場を新設しなければならないなど投資額が大きくなることからアメリカのためのミニバンを諦め、投資額を最小限に抑えた日本向けのミニバンの開発を決意します。しかし、日本市場でのミニバン=RVはスライドドアでディーゼルで無ければならない!固定概念がありました。ところが日本では営業部門から拒絶反応を示される・・・・というあらすじです。
企業小説といえば池井戸氏が書かれた作品をよく読みました。銀行や自動車メーカー、町工場を舞台にした小説を読みましたが、銀行出身の池井戸氏の経歴を物語るかのごとく銀行に関する記述は緻密です。(だから自動車メーカーでも運送屋でも下町企業でも必ず銀行が出てくる)
小田垣氏は本田技研のエンジニアであることから、自動車メーカーの内部をより詳しく切り取って読者に見せてくれます。時折出てくる専門用語も自動車好きなら理解が出来るだろうし、製造業で働く人なら思わす「あるある」と共感するようなエピソードが盛りだくさんでした。初代オデッセイと言えばすぐにスペアタイヤを連想してしまうのですが、あのスペアタイヤの経緯も小説内で触れられており、なんだか答え合わせをしてもらっているようです。
ホンダ公式のストーリーは
こちらにありますので、よろしければどうぞ。
小説として見るともう少しヒネリが欲しい、なんて思う部分もありますが生粋のエンジニアとプロの小説家との違いなのかも知れません。しかしながら、敢えてフィクションであると断っている分だけ、
90年代というセダン中心の時代にミニバンを生み出そうとした大変さをむしろストレートに描くことが出来たのではいでしょうか。
さて、私が小学生だった1994年の秋、親が取っていた新聞で見慣れない広告を見ました。発売前のティーザー広告で、この車にご興味がある人は詳しい資料を発売直後にお送りします、とのこと。
幸せ作り研究所。のキャッチコピーのCMが流れ始めた頃、ホンダから封書が届き、カタログを入手することができました。
当時を考えれば、ホンダがミニバン―当時の言い方のRV―を発売するとは大変驚きました。
走りのホンダという割りにタコメーターもなく、本当にミニバンに徹した作りは今よりもセンセーショナルに映りました。
ヒット作ゆえ同級生の家がオデッセイに乗っていた例や、同じマンションの3階に住む一家がコンチェルト→インスパイアの流れからブルメタのMグレードを購入した例もありました。地元のスーパーの駐車場で、学校で、ホームセンターで、路上でオデッセイを見かけない日は無いという状況でした。
重松清氏の小説「流星ワゴン」でも初代オデッセイが重要な役割を果たしている例もあり、日本の家族の車としてオデッセイは急速に受け入れられました。
私は残念ながら運転した事も同乗した事も無いのですが、当時のホンダが持てる限られたリソーセスの中でやれる最大限のボディサイズが偶然にもみんなが欲しいと思えるサイズだった、というのも相当な幸運に恵まれたとも言えるでしょう。
もし最初から北米市場にマッチするオデッセイが世に出ていれば日本国内での成功はあったでしょうか?
日産クエストやマツダMPVのようなキャラクターになっていて、もしかすると高級ミニバンの先駆けになれた可能性はありますが、売価が高価になる分、爆発的な売り上げには繋がらなかったでしょうね。
後年、小田垣氏は後年、北米の本命ミニバンであるラグレイトの開発も担当されたようで北米との約束も果たし、北米オデッセイは無くてはならない車種に成長しました。(日本ミニバンのオデッセイは日本でヒットし、北米ミニバンのラグレイトが日本でヒットしなかった当たりが小田垣氏の読みが当たった部分ですね)
小説「ユリシーズ」作中ではドア形式がスライドドアとヒンジドアで相当に揉める様子が描かれています。当時の市場でもRVはスライドドアが望まれていましたが、パッケージング上成立させることが難しく、真剣に検討したうえでヒンジドアを採用することを営業サイドに納得させようと苦しんだようです。
当時はスライドドアを採用するには上中下の3本のレールが必要で、オデッセイらしい伸びやかなフォルムが採用できないばかりか、レールを収納するための張り出しが室内に大きく影響すると
いう問題があり、オデッセイでは採用したくても採用できませんでした。
できないから採用したヒンジドアはオデッセイの魅力になりました。ヒンジドアであるからこそ伸びやかなスタイリングと実用的なパッケージが実現し、セダンライクであることに価値を見出す層のポストセダンとしてオデッセイが選ばれたという事実があります。
後年のオデッセイフォロワーもヒンジドアを採用する車がほとんどでした。ただ、現代ではスライドドアでなければファミリーカーじゃない、という風潮が一層強く、ヒンジドアだった車が市場/営業の要望に従いスライドドアに設計変更された車もあるそうですから、現代の市場で同じ事はできなかったと思います。
一世を風靡したオデッセイのその後に触れます。
1999年にFMCを受けキープコンセプトで少し地味な印象でしたが、
2003年の3代目で一気に低床ミニバン思想を打ち出します。
全高1550mmに抑えてスポーティな乗り味と
都市に多いタワーパーキングに駐車可能な利便性を訴求して
これはいい存在感を示すことが出来たものの、
2008年の4代目では再びキープコンセプトで埋没。
2013年の5代目では同じく苦戦する上級ミニバンのエリシオンと
統合する形でスライドドアが採用されました。
2016年からは念願のHVが追加されたものの、
上級ミニバンはアルファード/ヴェルファイアが圧倒的支持を得ており、
競合車が増えてしまった結果オデッセイは
苦しい立ち位置に立たされているように感じます。
そろそろ次期モデルがあるとすれば開発が佳境に入っているはず。ニーズの異なる北米とは既に別ラインとなったものの、ステップワゴンの上級移行の受け皿としてどのような車になるのか楽しみです。
久しぶりに自動車が題材になった小説を読んだので
2017年第一弾のネタにしたいと思います。
皆様本年もよろしくお願いします。
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Posted at
2017/01/02 18:58:32