九州から北海道に移って早19年。。。
(うわっ、改めて計算したら信じられないくらい時間経ってる)
九州では阪神淡路大震災の時も震度4があり、震度5程度は何度も経験しました。
北海道に移り住んで間もない頃、十勝(帯広市)で震度5の地震が起こった時、
「あれ?これで震度5?」というくらいに九州の時の地震と比べて緩やかな揺れに感じました。
具体的には九州の揺れが縦揺れ中心で、揺れの周期も細かくガタガタという感じで、
北海道の地震はまるで牛乳と卵で溶いたドロドロのホットケーキミックスをゆっくりかき混ぜるようなゆったりした横揺れです。
その後に経験した地震も大きさに関係なく、基本的にはそんな感じの地震ばかりだったのですが、
しかし、今回発生した北海道胆振東部地震はまるで九州の地震みたい!
しかもうちは震源から15~20kmくらいの位置にあり、震度は6を越えました。
幸い家の倒壊などはうちも周囲もありませんでしたが、
これまで経験したことの無いほどの激しい揺れに、もう全身ガタガタでした(笑)
夜中なのに近所の友人と長電話していた時に被災し、
地震発生と同時に慌てて自宅母屋に走ったのですが、
真っ暗闇の中で物が散乱し、逃げ道も失い、揺れの最中に停電した真っ暗な状況で、
家族は途方にくれていました。
私は起きていて、大きくなる地震に構える余裕もあり、灯りもすぐに灯せることが出来ましたが、
子供たち、妻など家族は激しい揺れで目を覚まし、その時にはおそらくすぐに真っ暗になり、
起き上がることもままならないまま、身の回りに物が飛び、落ちて来て、
家が潰れるのではないかと最悪を想像しながら耐えたと思うと、
相当の恐怖を感じたであろうと思います。
三女は地震から10日近く経っても、夜になると「早く車に行こう・・・」と半べそかきながら車中泊を望みました。
(ここ数日は余震もほとんど無くなり、家で寝れるようになりました)
当日のスマホの通話記録・・・
(ほんとに長電話(^^;)・・・でもおかげさまで家族を救えました)
翌朝の物置兼子供たちの遊び場
仕事場のスピーカーやらヘッドホンなどほぼ全て落下被災(TT)・・・JBLもKEFも凹み、傷つきまくり。。。
自宅玄関の階段もヒビ大きく・・・
大きな居間やキッチンの窓が半分はまったまま、半分外れた状態に・・・上下の重みが掛かった状態でとまっているため簡単には外れなくなった。
駐車場や仕事場プレハブの周囲のアスファルトには新しい地割れ、古いヒビも数cm大きく・・・
積み上げて置いてあったタイヤは地震直後全て大きく散乱
電柱は傾き・・・
前日の台風21号通過の際は仕事場プレハブの入り口窓ガラスも割れ・・・
同じく前日台風では鶏舎ではない野菜作り用のビニールハウスのビニールが剥がれ。。。
台風一過、一睡もしてない状況での被災でした(笑)
もうこういう特大イベントになると、眠気なんてどっかにすっ飛んでいくにだなと、改めて痛感しました。
鶏の世話に卵集め、卵処理、出荷準備は365日休み無く続く仕事ですので、夜中にどんなに大変なことが起きても、朝から夜まではいつもどおりの仕事が待ってます。
ということで、改めて振り返って見ると、9月4日の朝8時過ぎから9月7日くらいまでほぼ寝ないで、目の前の事に対処していたことに。。。。(誰も褒めてくれないから自分で自分に「えらい!])
一度も横になっていないのは確かです。仕事場の椅子に座ったまま数十分のうたた寝くらいかな。
子供たち、妻は立て続けに、しつこく続く余震のため、1週間近く車中泊でした。
今回ばかりは本当に「うちにこんなに車あってよかった・・・」と痛感。
長女はエリシオン独り占め、長男はCL9独り占め、妻と次女以下4人はセレナ。
幸い、地震後の天気があまり悪くならなかったので、子供たちは朝から夕方まで外で遊ぶことができ、エコノミー症候群のような状況にはならずに済みました。
今回の地震でつくづく感じたのは、
被災したつもりになって事前準備を万全にしておく大切さでした。
被災してからではほぼ何も出来ません。
店に行っても物が無いどころか、開店さえ出来ていない。
ガソリンが少なければ物を探して周ることも思うように出来ない。
自宅に前もって、そして常日頃から当たり前に1ヶ月くらい自活できる準備が出来ていれば、突然の被災でもかなり心に余裕を持って受け止める事が出来ます。
うちは幸い、義父が買ったまま新品で保管していたエンジン式発電機があり、
私も作業用に常備しているエネループ等の充電池が20本ばかりあり、ヘッドライト他のポータブルライトも10本近くあり、カセットコンロとボンベ、鶏のエサも4日前に満タンに補充されたばかりで、車の鍵や懐中電灯、電池などは仕事場に常設していたため、家の中がめちゃくちゃで片づけが進まないと車のエンジンさえ掛けれない状況も避けられ、振り返って見れば、もしそれらが揃っていなかった場合よりも安心して、電気の無い地震後の日々を過ごせたと思います。
特に家から命からがら逃げ出した直後、車を持っている方は車に乗り込み、エンジンを掛け、ラジオやテレビで情報を仕入れる事が出来、スマホを充電する事が出来ることは、かなりの安心感につながると思います。出来れば常に満タンに近い状態もしくは、携行缶に予備の燃料を準備しておけば更に安心感が増すはずです。
もし鍵が家の中で行方不明になったら・・・・
余震続く中で怖い思いをしながら、散乱した物の下敷きになった貴重品を探すのは辛いものです。
見つからなければ車の中に入ること出来ません。
冬なら外で寒さに震えるだけ・・・
災害への備えは、
被災した地域のかたがたの生の声を大きな参考にし、
心に響いた内容はすぐに実行し、ひとつずつ、着実に、自分の中で十分と思えるまで事前に準備することが大事だと思います。
「やるなら今でしょ!」
今回被災して、あらためて痛感したことです。
地震が少ない地域だから大丈夫・・・はありません。
大きい地震があったばかりだからしばらく大丈夫・・・はありません。
大きい地震が来るとしたら、あの場所が震源のはず・・・は外れて自分の直下で起こるかもしれません。
他人様も助けれるくらいに。。。
いや、大事な親戚、近所の方々をその時が来たら助けるつもりくらいで準備をするのが良いかもしれません。
「災害は忘れた頃にやってくる」だけでなく、忘れなくてもやってきます。
自分で「もうこれ以上は思いつかない」くらいまで準備しておけば、少し足りなくてもその時に諦めがつきます。
でも、自分で十分と思っていない準備で被災すれば、後悔することになります。
物が十分に手に入る日常があるうちに、予算を優先的につけながら、被災時に少しでも大きな安心を感じれるような準備を
「今すぐに」 始めることをお勧めします。
準備しておいたのに、いつまでも被災しない。。。。
それは損な事ではありません。
何もなくて有難いことです。
なんてことを、心の深いところまで思ったここ10日余りでした。
私自身も忘れてしまわぬうちに、改めて準備を進めます。
今回の地震・・・・誰も想定していなかった震源でした。
来るとしたら“浦河沖”“十勝沖”とほぼ100%の人が思っていました。
まさかうちの隣町が震源で震度7が来るなんて。。。。今でも信じられません、夢のよう・・・
被災5日目くらいに次女が描いた絵
“大きな虹の下にパパと私・・・”
そして二人はしっかりと塗られた大地に立ち・・・
子供たちの心にいつまでも大きな恐怖が残りませんように・・・