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2013年10月19日 イイね!

【黒い波】 ~赤茶の鉄骨と天使の声~

今にも雨が落ちて来そうなどんより曇った空、冷たく強い東風が吹き抜ける西東京の空の下から、、

みなしゃんこんちぱー♪

【黒い波】の完結編です。

スマホの方は横長で読むと気持ち短く感じますし、写真も大きく見えて楽チンですよ。。

 
10/12(土) 1213~大川小学校をあとにして約30km先の南三陸町に向かいます。
 

 
 

部長が2週間前に訪れて、復興支援に一役買うため

【南三陸さんさん商店街】

 で美味しそうな海鮮丼、、

【キラキラ秋旨丼】
 
 を食べてました。

詳細はこちらに飛んでくださいまし(*^^)v(ポスターは2012年度分、、価格に変更あるかも。)。
 

『南三陸さんさん商店街は、2012年2月25日(土)に、宮城県南三陸町の志津川地区にオープンした仮設商店街です。
 南三陸町にお越しの際はぜひお立ち寄り下さい!!』

 by 公式HPより。

 

某所に上がったこんもり盛られた海鮮の数々の丼ぶり、、とても美味しそうな写真を見た私 ( 一一)ウマソーww とのやりとり。
 

『リーズナブル?q(^-^q)』

『 少々お高いですが、支援のために(^^)』
 

あのぽちゃっとした身体には私など足元にも及ばない ”男気” が詰まってます。



村田IC近くのコンビニで朝食を食べたのが0430頃から既に8時間が経過。

もう3人ともお腹も空いてます・・(^_^;)。

部長から、、

『リクエストの ”防災対策庁舎” の前にお昼食べましょう(*^_^*)!』

の提案に激しく縦に首を振ってました。



 
【南三陸さんさん商店街】、、オープンした時のTV報道をかすかに覚えてます。

東日本大震災復興の進捗を加速化させると大きな狼煙を上げるアベノミクス。。
 
 
『津波被害から復興し始めあの素晴らしい海鮮丼を出せる商店街って、、どんな場所にあるんだろう?』

 
”南三陸さんさん商店街はこの先⇒” らしき白い看板が見えてから約3分、

走り続けて到着した先は、、やはり津波で全てを失った荒れ野の真っ只中でした(←クリック動画)。 



【南三陸さんさん商店街】

 

既に多くの来場者のクルマが停まってます。

 
”商店街” とはいえ施設はあくまで仮設住まいですから、

こんな長屋風プレハブの建屋がいくつか並んでいます。

 

【佐良スタジオ】さんの前にあった写真パネル。

上が震災前、下が震災後の写真です。


津波によって自宅とスタジオの両方を失っても、オーナーの佐藤信一さんが震災直後から津波の悲劇と復興の長い道のりを写真に収めた写真集、、

【南三陸から 2011.3.11~2011.9.11】

平成24年講談社出版文化賞を獲得されています。

店頭でページをめくらせていただきましたが、数ページで嗚咽と共にもう前が全く見えなくなりました。

【キラキラ秋旨丼】は商店街の中の一部の飲食店が四季に応じたメニューを開発し、その時々の地元の食材を使って味を競っているそうです。

あちこち店舗前をウロウロしながら様子を窺い、

結果このポスターに惹かれて暖簾をくぐります。


お店は 【創菜旬魚 はしもと】 さん。

2週間前に部長が訪れたお店ですね。



部長と蕎麦ねーは やはり今が旬の ”キラキラ秋旨丼” 



私は↑の秋旨丼との間で悩みに悩んで ”三色丼” (*^_^*)。。



このイクラの量に負けてしまいました(笑)。

お値段はキラキラ秋旨丼と殆ど同じです。



ああ、、イクラがよく見えないですか、、そうですか・・(笑)。

ではコチラの角度でたっぷりどうぞ・・wwイクラキラキラ。



当然、、マグロの中落ちと混ぜますっ(`・ω・´)!



ちょっと潰れたイクラから海の味わいがこぼれ出し、それがマグロの中落ちの甘みと絡み合って・・。

言葉では表現出来んわぁ~ww。

あああ、、美味しかったなー(*^_^*)。


大王様、、ゴチになります<(_ _)>!!



駄菓子菓子、部長は何だか食べ足りないらしく、、

丼ぶり食べる前に既に目を付けていた ”チーズかまぼこのフライ” を食べたいと言いだします(;´∀`)。

もちろん私も大好きですww。


油っぽいモノに齧りついてる男子は放っておいて、

知らぬ間に大王様が大王様たる所以のモノを・・(・´з`・)カッテマシタ。

期間限定ハロウィーン・パンプキン・モンブラン。


 
なぬぅ~、、また自分だけ・・( 一一)!?

 気になるケーキ屋さんは何処だ!?・・と男子二人で場内を探し回ります。

見つけました、、【菓房 山清】 さん。


部長は意外とサッパリ系のチーズケーキ。

酸味のフルーツがのっかったケーキは苦手らしいww。


私はお店の方に、

『さっき大王様が購入したモンブランよりもおいしいケーキを下さい!』

とお願いして、、笑われながらイチゴのモンブランをゲト(*^^)v。


 
 
商店街の中にあるお花屋さんで献花台に供えるお花を準備して、

南三陸町の津波被害の象徴とも言える【防災対策庁舎】に向かいます(←クリック動画)。


赤茶けた丸裸。


文字通り骨格だけを残した3階建て鉄骨は無惨過ぎました。


 

当初津波は6mと予測されており、7mの防潮堤を超す可能性はあっても、

高さ12mあるこの防災対策庁舎は安全だと理解されていたようです。

海底の岩盤が露出する程の引き波の後に【黒い波】が大きな壁のように押し寄せたそうです。

町の危機管理課の職員達も3階建て屋上に避難したにもかかわらず、津波は屋上床面から更に2mの高さまで達し、


頑丈な筈の手摺りにしがみついた人を含めこの庁舎だけで職員・住人併せて41人が犠牲となったそうです。


当時町長がしがみついていたというアンテナがコレ。



当時の南三陸町危機管理課の職員全員が3階建ての防災対策庁舎の屋上に避難する中、


津波の到来と住民へ避難を2階のマイクからギリギリまで放送し続けた遠藤未希さん(当時24)。

 

『高台に避難して下さい。ただ今宮城県内に10m以上の津波が・・(上へ上がって 未希ちゃん 上がって!)。』


この音声を最後に行方がわからなくなり、

翌4月23日『志津川湾に浮かぶ荒島の北東約700メートルの地点』で遺体で発見されたという事実。



既に遠藤さんが放送し続けた音声の全てが保存されていたことが判明。


 遠藤さんの勇気ある行動は、


『人への思いやりや社会へ貢献する心』

を伝えるための教材として埼玉県下1250校の小中高の教科書に掲載されたという。


調べれば調べる程泣けて来てしまします。
 

ご興味のある方はこちらをクリックしてください。

とてもわかりやすく検証されています。


 

防災対策庁舎からすぐ上流にある橋。


どこかおかしくないですか?

コレ、、地盤沈下で橋脚が沈み、水面と橋との間が極端に狭くなってしまっています。


津波で駅舎ごと流されてしまった志津川駅。


線路だけが生い茂った雑草の高さにある土手の上に残っています。


茫漠たる荒れ地が広がる南三陸町の街。



言いようのない恐怖に押し潰されそうな心を抱いたまま、

三人で巡った東日本大震災被災地の旅は・・終わりです。



大きな悲劇が起った時、報道も大きく報じます。

私達も一緒になってその悲劇を憂い、私たちなりにその原因を考えます。


でもその悲劇がもたらす心の闇は当事者にとって決して明けることがなく、

報道が触れなくなった後も遺族の中に深い悲しみと共にまるで鉛を呑んだような重く堪えがたい現実が横たわり続けることになります。

 

『私が何かしましたか?

 いや、

 私が何かをしませんでしたか? 
 

宮城でお母様を失くされた女性のブログを垣間見る機会がありました。

【復興】という大きなスローガンの陰で精神的な部分で置き去りにされ、

元の自分を取り戻す事など到底出来ないままの方々も実は沢山いる・・ということを今回の訪問で少し理解することが出来たかも知れません。


 
さて次回からは、、山形蔵王~グルメ旅~福島磐梯山を綴る予定です。
Posted at 2013/10/19 20:52:38 | コメント(2) | トラックバック(0) | 東日本大震災関連 | 日記
2013年10月18日 イイね!

【黒い波】 ~あの日から2年7ヶ月と1日~

ついに風呂上がりシャツとパンツ一丁姿のまま北側通路で煙草を吸うことが不可能な気温になった西東京の空の下から、、

みなしゃんこんばんにゃ♪


10/12(土) 0020~外環道・和光ICを出発して山形の蔵王に向かいます。

寝ずに走って現地0500~にやま部長と待ち合わせ。

場所は東北道・村田ICからすぐの【道の駅・村田】、、距離にして354km。



0205~最初の休憩は東北道・那須高原SA。

4月の【三春の滝桜】撮影以来の北上です。


 
その後休憩なしで走れたので、予定よりだいぶ早く村田ICアウト!

0415~セブンイレブンで朝食を調達しながら紅葉情報収集ww。


旅先で現地の方の生のイントネーションを最初に聴くのをいつも愉しみに話し掛けちゃいます(笑)。
 
ちなみに、、台風24号外周の雨雲が夜間東日本を通り抜ける予報だったので、

白真珠は洗車せずに来ちゃってます。
 
 
セブンイレブンから直ぐの道路上に【道の駅・村田】の案内標識発見。

V36のナビでは【村田物流交流センター】で検索しないと出て来ません(;´∀`)。。 



↑の後思わず通り過ぎちゃいそうな小さな入口表示板をきわどく発見し進入するも、、場内真っ暗(笑)!

駐車スペースの半分を埋める夜明かし組。

数台のハーレー・ライダーは一人用テントを張ってご就寝中。
 
私もちょっと寝ようと努力してみるものの走行時の興奮からか眠気が訪れず、

諦めて白み出した東の空をスマホでパチリww!

 

0520~まだ夜が明け切らない暗闇を切り裂くHIDライトと共に部長号が登場(*^_^*)

コンナニハヤク アリガトウ。


0545~洗顔・歯磨きしていよいよ宮城・三陸地方に出発です(←クリックすると動画に飛べます)。
 


初日は部長の接待にお任せだったので、、実はまだどこに向かうのかはよくわかってませんでした。

とにかく石巻に逝くらしい・・(←クリック動画)。
 



1時間20分ほどで石巻市内、、小高い丘に向かう途中部長から無線が入ります。
 

 『cataさん、左(石巻総合体育館:2013/10/19加筆)に看板(白いパネル(A4サイズ))が沢山見えてますよね。

 あのパネルの下には、、”身元不明者の遺体”が土葬されて眠ってます。


無線機を持つ左手と心が震えました(←クリック動画)。
 

【日和山公園】・・石巻の歴史の中心的存在。


石巻港を一望出来る高台の公園。

部長がまずここを見て欲しいと・・。


↑の写真から少し左に目をやると、、大きな橋の右側から公園側にかけてひろがる広大な荒れ地。

旧北上川河口にかかる【日和大橋】と石巻港


一目瞭然・・。

ああぁぁ・・と溜め息が洩れました。
 

【松尾芭蕉『奥の細道』の史跡】


『1689年(元禄2年)5月10日には松尾芭蕉が訪れ、同行の弟子河合曾良が眺望を日記に記し・・』by wiki

・・とあります。
 
 
史跡横の階段を上がって 【鹿島御児神社】 のあるもう一段の高台から。
 

あの橋の向こうから 《黒い波》 が押し寄せ、家々を粉々に破壊しながら人もクルマも何もかも・・・押し流していったわけです。



旧北上川の少し上流側にある【中瀬】と呼ばれる中州。

今は、今も?、、ほぼ更地です。


被災地にはこういう写真があちこちに掲示してあります。

『東日本大震災以前の豊かな街』の風景・・。


”あの日” 以降TVで流れた悲惨な報道映像と論議された情報が格納された脳の引き出しが少しずつ開いていきます。

 
日和山公園を後にして石巻港方向(南側)へ丘を下っていきます(←クリック動画)。

やがて・・雑草に覆われた広大な荒れ地が眼前に広がります。

かつて沢山の住宅とにこやかな笑顔が溢れていたはずの街の跡。。

『跡』というにはあまりにショッキングな風景。

ハンドルを握りながら胸騒ぎがやまない・・。

明らかに震災後整地されて白線が引かれた小さな駐車場にクルマを北に向けて並べます。

リア側が石巻港(南側)。

白真珠のリアの後ろに看板が見えてます。

『がんばろう !石巻』


石巻市門脇町、、海から約500m。。

駐車場の前には周囲の哀しい景色を少しでもほがらかなものにしようというお花畑。

栃木のボランティアの方々の手によるものですね。

 
『お花いっぱい大作戦』、、この辺りから鼻の奥がツ~ンとして赤い目、、景色が滲み始めてました。


『花と笑顔と元気いっぱい門脇』・・栃木県那須烏山私立荒川小学校。

君たちはとても偉いね、、おじさんは・・恥ずかしい。 

 

【東京チーム ひのきしんむさしの】


【福光 創価大学 Peace Wave】・・今季セリーグ最多勝(16勝)と勝率1位の2冠・ルーキー小川投手の母校です。

 
 
【東京・チーム小平】、、、おおお・・誇らしいやら情けないやら・・orz。


お花畑南側の道路を跨いで献花台に向かいます。


 
高台の日和山公園から見えていた日和大橋まで遮るものが何もありません。

約750mの間に遮るものがない・・。


 うっそうと茂ってしまった雑草の高さが、、

2年7ヶ月の歳月と放置されたまま何も解決してない現実の重さを謳い上げてるようです。

そう、、”謳う”という表現は日本語として適切でないことはもちろん承知、、

当時の政府への、現政権へのせめてもの皮肉です。

 
【がんばろう!石巻】 追悼場


アスファルトに書かれた『復興するぞ!』の文字が、その想いが心に刺さります。


 
蕎麦ねーは身長160cm、、この地点での津波の高さはそれをはるかに超える6900cm(6.9m)。

青いパネル最上部の横線まで・・。


蕎麦ねーの横に写真情報の掲示。。

いや、、久しぶりにハンマーで頭殴られました。

この光景は、、言葉に出来ない。。

 
2011年4月11日(震災から1カ月)付毎日新聞

【午前9時40分『がんばろう!石巻』。津波直後の火災で焼け野原となった石巻市門脇町で、水道配管工事業を営んでいた黒澤健一さん(40)らが横幅11㍍の木製の看板を立てて故郷を元気づけるメッセージを書いた。

津波で流された店舗兼住宅の跡地に『今やれることはぜんぶやりたい』と看板屋を含む友人の佐藤光敏さん(40)らと、がれきの材木などを再利用し完成させた。】



ここで、この風景の中で、1ヶ月経ってもまだこのままの瓦礫だらけの風景を見ながら、、

手書きで書いた・・・。


もう・・膝が折れそうでした。


震災後1年を経過して建てられた【追悼燈】。


追悼とともに復興へ向かう沢山の方々の強い想いが燃えています。
 
『灯火は石巻市内4ヶ所で”大切に”ともしていますので、ここが消えていても保たれています。』


『大切に灯しています』・・・。
 
私の長女がもしここで津波で亡くなっていたら、

私はココでず~っと、、日がな一日呆けたようにこの燈火の番だけをしていたかもしれない・・。 


献花台。


真新しいお花が本当に沢山供えられていました。

毎日必ず誰かが訪れて不幸にも亡くなられた方を慰めていらっしゃるのでしょう。

場内にあるどの花壇も手入れが完璧に行き届き、

それはまるで亡くなられた親族の髪を優しく梳いてあげるかのように、、『助けてあげられずにごめんなさいね。』

キレイにキレイに保たれていました。

 
部長が用意してくれていた線香に火を点け、、3人で手を合わせました。

 

0835~港方向へ(クリック動画・・流し尽くされた広大な敷地の規模が理解できます。)。


日和大橋を渡り女川に向かいます。



復興のためのインフラ整備でしょうか、、

 巨大なダンプが上下線をひっきりなしです(←動画クリック)。

ナンバーを見ると東北各県だけでなく、日本中から集まっているようでした。 


日和大橋を渡ってすぐ右側、、なくなってしまった小学校跡地。


何か強い力を受けてひしゃげたままの学校敷地周囲のフェンスもそのままのじょうたい。


片側1車線ですれ違い続ける大型車両、、

5台に1台は復興インフラ工事用/資材運搬用の大型車両。

自然とハンドルを左に切って邪魔しないように走ってました(←クリック動画)。



 
山を幾つか超えて石巻港付近から約20km弱で女川の港付近が見えてきます。

左手の小高い丘の上に報道で見覚えのある大きな医療施設が見えてきました(←クリック動画)。
 
 

この施設の立地環境と平地からの高さを認識することが可能です(←クリック動画)。
 
 
1000~ 【女川地域医療センター】に到着。


その処理を巡って現在議論の的となっている ”震災遺構” が視界に飛び込んで来ました。


いや、正確には、、女川医療センターから南側漁港方向には、この ”震災遺構” 以外には建屋がないんです。
 

10tの輸送トラックとその巨大な建屋の比較。


小高い丘の上の医療センターの駐車場から階段で降りて行きます。


都心でもよくガードレール等に使用されている材料。


滅茶滅茶です・・。


階段を降り切ると、、”この高さ” にあるのが医療センター。

 
港に向かいます。
 
先程とは別の ”震災遺構” がポツリと取り残されていました。
 


実はこの建屋はもの凄いエネルギーの引き波によって写真右方向(港方向)に建物ごと、その基礎も含めて90度倒されてしまっていました。


 
津波の尋常でない、あらがうことなど到底できない邪悪なエネルギーを理解してもらうための掲示が立っていました。

掲示写真中央の茶色の建屋が当該する遺構です。








右回りにまわってみました。

縦長の窓は、本来は横長で使用されていたはずの窓です。




基礎の裏側にゴロゴロした岩が付着しているのが解かりますか?

そこが地面だった痕跡です。


・・・視点裏側にある堤防の護岸土嚢(どのう)が見えています。


掲示写真の真裏側です。


一部は水に浸かったまま、、激しい傷み方が手に取るようにわかります。

左側面が本来の屋上だった面ですね。


 
港側からの視界、、先程降りて来た医療センターはこの位置・”あの高さ”です。


橋が無くなって渡れない状況ですので、金属製の ”渡り” を土嚢で支えた急造の橋もまだそのまま・・。


おびただしい数の土嚢には連番が振られています。


横倒しになったまま取り残された赤いクルマ・・。

ここにも止ったままの時間がありました。


 
言葉を失ったまま医療センター側に戻り始めると、

最初の ”震災遺構” が目の前に立ちはだかります。

医療センター側から見えていた建屋の側面は実は ”屋上” だったという、、

まさかの現実がここにも・・。


同じく津波の強大なエネルギーを伝える掲示板。


おまけに、、横倒しになっている現在の位置はもともとの位置ではないという・・。


港側から山に向かって90度転倒させられ、

加えて10m以上も押し流された4階建ての鉄骨コンクリートの建屋の基礎が啼いているようでした。


多分、、あの日のままなんでしょう。

建屋内がよく見えるように露出オーバーで切り取っておきました。


部長はこの光景をもう何度も見上げてるんでしょう。



↑の写真二人の背中側には小さな追悼・献花台がありました。 


遺族の方々の逝き場の無い悲しみが端的に綴られています。


【私たち家族の思い】

『2011年3月11日、七十七銀行女川支店行員13人は2階建て支店屋上に避難しました。

約30分後、津波は屋上まで到達し、12人が犠牲になりました。

なぜ、屋上への避難指示が出されたのでしょうか。

走れば1分で行けた街の指定避難場所高台がありながら、なぜ、屋上で待たなければならなかったのでしょうか。

こんな形になって、どんなに悔しかっただろう。悲しかっただろう。無念だっただろう。

屋上への避難指示は『やむをえなかった』ことなのでしょうか。

・・・(略)。』


線香に火を点けてご冥福を祈ることしか出来ないです。  



本当に走って1分で行けるんですよ、、”あの高台” に・・。


この献花台が何故”あの高台”を向いて造られているのか、、

よくわかる気がしました。


【黒い波】に呑まれた日から31ヶ月、、御遺族の方々の無念はいつか晴れる時が来るのでしょうか・・。





【江島共済会館】の追悼・献花台から・・。


先程降りた階段の西側にある別な階段から上がろうとして・・。


右側手すりが ”もげて” 
 ありませんでした・・。


いったい津波って、、どんな力なんでしょう・・。






『走れば1分で行けた街の指定避難場所』の掲示板も無惨でした。


1111~丸一時間かけてゆっくり回って来ました。

後ろにはおだやかな表情の港が見えていました。

 
 
少し休憩し、トイレを借りに医療センターの中へ向かいます。

エントランス前の円柱の柱に見付けた驚愕の表示・・。 

【2011年3月11日津波到達高 1階床より1.95m】


この高さにある医療センターの1階床から1.95mまで津波が襲ったという事実。。



大川小学校に向かいます。

 
黄色の矢印が未曽有の悲劇を生んだ地域。

その上に流れるのは第1級河川の北上川。

川に架かる新北上大橋の長さは当時570mありました(←クリック動画)。

そのうち150mが流されていまも上流に沈んだまま・・。

↑の動画で大川小学校から橋のある道路までの高さ(5mくらいかな)もわかります。

 

部長から事前にこんな依頼がありました。
 
『ここの写真は撮らないでほしい。

 写真はダメです、、無理です。

 毎日ご遺族の方が来てらっしゃいます。

 これまでご案内してきた場所とは空気が違います。

 だから、、配慮していただきご遺族の前での写真撮影は無しで・・。』


部長が丁寧に説明してくれた通り、

そこの空気は雪の舞う凍てつく寒さだったあの日のまま、、

凍りついたまま・・でした。


まるで、、無垢の魂を慰めきれないご遺族の方々の無念が空気中に硬い硬い”氷の結晶”となって浮遊しているかのようでした。

 
 
 
立入禁止のロープを乗り越え敷地内に入る人々。

遺族限定ですという説明を無視して無垢の魂を追悼する献花台に向けてシャッターを切る人々。



そんな無神経な人々を前に、、隣を歩く部長の苛立ちが地鳴りのように聞こえてきそうでした。

いや、そんな私も31ヶ月何も出来なかった人間ですよ。

 

立入禁止のロープに沿って学校敷地を裏手に回ると、

ご厚意による立派な追悼施設が校内のそれとは別に建立してありました。
 


私達には到底理解など及ぶはずもない悲しい悲しい事実。

校庭に集められたまま【黒い波】に呑まれた子供達の犠牲者数は、

なんと、

74人・・。

校長不在(午後年次休暇取得中)の現場で、、
 
『マニュアル通りここに居るべきか、違う場所に避難するべきかの議論で埋め尽くされた40分。』

行政が『河口から4km、、津波がこの小学校に到達する事は過去にもこれからも絶対にありえない。』

と太鼓判を押し続けた地区で、、犠牲者480人弱のうち74人が小学生。
 

学校裏手にある山の傾斜は緩く、木々も多くて掴りながら斜面を登ることは容易だった筈なのに、、

不毛の議論でその時間を塗り潰したという事実。

 

河北新報社がその詳細を検証しています。

興味のある方はどうぞ。。



大川小学校を後にして南三陸町に向かいます(←クリック動画)。

 

流されてしまった150mを継ぎ足して暫時復旧した新北上大橋を渡り、河口方向に走ります(←クリック動画)。

570mの橋がどれほど長いかがよく理解できます。

行政が津波からの安全性に太鼓判を押した大川小学校からその河口までの4kmがどれほど長いか、

川幅600m近い1級河川を4kmも上流に遡り、その土手を乗り越えて無垢の魂を呑みこんだ【黒い波】がどれほどの規模だったか、、

時速50km程で走る動画でこの距離、、想像を絶する津波の大きさを想像してみてください(←クリック動画)。




このままいくといつまでも終わらないので、

最後に訪れた南三陸町は次回で・・。



皆さまからのいかなるレスも不要です。
Posted at 2013/10/18 17:54:00 | コメント(1) | トラックバック(0) | 東日本大震災関連 | 日記

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何シテル?   12/13 01:54
2010/12/25(土) 21:00~ 聖なるクリスマスの夜に自宅から40kmも離れた江東区の路上で前愛車(1999年初年度登録 STAGEA 25RS)のE...

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