2013年03月09日
【回顧録④・・・現実】
続けて参ります…
にしても…年ですねぇ…夜の11時には眠くなりますわ。。。
【2011y 3/12 AM 06:00】
愛馬 【GSX-R 1100】 に跨り…震災がやはり現実だと感じた…いくつかの違った光景…
①全ての信号が点灯していない…
②女房達が言っていた衣料量販店は爆弾が落ちたかのような状態…
③沿岸部同様に道路は凸凹波打ち地割れし路面状態が最悪…
④コンビニが開店していない…しかし朝から店前に並ぶ人々…
⑤そしてガソリンスタンドも開店してないのに車列で路肩は渋滞…
そんな光景を横目に…まずはBIKEで15分程にある実家へ向かった。
実家は自宅からほど近い場所なので昨晩訪れてみたが誰もいなかったので…メモを残してだけいた。
実家は自宅以上に家財が散乱していた。しかし親父もオフクロも怪我も無く無事だった。
親父は昨晩のうちに祖母(99歳この年の秋に亡くなった…)を介護福祉センターから自宅実家へ搬送してきたらしい。
誇らしげに俺に言った…
『昨日のドサクサの中、施設からばーちゃん誘拐してきたぞぉ♪無事だから会って声かけていけ』 と。
子供の頃の私は親父の厳しさに怯えも有ったが、実は昔から尊敬している。
バイクに乗り始めたのも親父の影響…そして昨日生き続けることが出来たのも多分…親父から譲り受けた野生感のようなものだと感じている。
魔法なのか?? おふくろは温かい味噌汁を作ってくれた…味わいながら昨日の体験を両親に報告した。
【3/12 AM 7:30】
実家から単車で5分…馴染みの共有ガレージに足を運んでみた。
案の定、昨日の夕方に会ったレッカー屋の仲間が既にコンテナ前で薪ストーブを焚いて待機していた。
彼は第一声 『お前そういえば、昨日ノーヘルで帰ったよな…??』
…そうだ…ノーヘルだ…ヘルメットをかぶることすら忘れ動揺していたようだ。
そして数分後、レッカー車で2人は昨日緊急駐車してきた 【INFINITI FX35】 の場所に到着した。
到着後、彼はFXの状態を確認し俺にサムアップ(親指をたて)一言… 『OUT!死んでます!』
俺は 『ここまで走ったことが奇跡だよな…』 と。
そそくさとレッカードーリーでピックアップし置場へ搬送準備を開始…
その数日後…この置場も水没車で満車になることは2人共に想像していなかった。
搬送移動中…
俺はレッカー車の後ろで吊り上げられた愛車を振り返り眺め…助手席で口ずさむ…
『♪ど~しちまった HEY!ヘイ!ヘイ!バッテリーはビンビンだぜぇ~♪』
隣でレッカー搬送中の友人は口笛で 【蛍の光】 を吹いていた…
【3/12 AM 10:00~夜】
置場に愛車を搬送完了し…薪ストーブの前で…しばし冷静に考える。
これから何をすべきか…誰と連絡を取り合う必要があるのか…しかし携帯は機能低下中。
あれ?今日は何曜日だ…土曜日か…この状況で月曜から仕事になるのか…
あれ?俺…職場に連絡入れてねぇ~じゃん…
あれ?今日からの食料どうすんだべ…簡易食料なんて家にないよな…
あれ?車ダメにしたけど…代わりの車は…あっ!業務用の車 【赤パッソ】 があるか…
あっ!ガソリン満タンにしたばっかだ…良し良し…
何かを忘れているような…
沿岸部…沿岸部…津波…火災…立入り禁止…
沿岸部にいる身内は… 『あぁぁぁ…そうだ…妹…』 岩沼市の沿岸部だ…
それから…それから… 『あっ…おばちゃん…』 若林区荒浜地区だ…
友達…友達は…その時…背筋がゾッとする…
頭の中にすごい数の友人や仲間や知人が…浮かんだ…取引先などの仕事関係者…
学生時代から今の今まで関係をもって携わってきた人達の名前や顔が湧き出てきた…
みんな…沿岸部じゃんかよ…
震えてきた…パニック手前で自分自身に 『冷静になれ…』 と自分の心へ指令を出す。
昨日の発生時間…PM 15:00前…津波到達まで…おおよそ20分前後だったろうか??
その時間、沿岸部にいる俺の知り合いは何をしていただろうか…携帯が不通の状態で…イライラする。
そしてまた大きな余震。今すぐバイクで沿岸部へ…でもこれからまた大きな地震がきたらと思うと…
今は…一番大事な家族を置いて行動はできない。
気が付くと仲間達との共有ガレージには…その仲間達が集まり…
午後から沿岸部へ行く行かないの話しをしていた…1人に 『お前どうする??』 と聞かれたが…
俺は、一度家に戻るわ…と答え…そこを後にした。
人間は自尊心がパンクしそうになると睡魔が襲ってくるらしい…眠い…ひたすら眠い。。。
俺は自宅に戻り部屋で横になる…何故か涙が…そのまま泣きながら寝てしまった。。。
多分…津波の恐怖が俺の何かを変えたのか…海へ近づくことが…怖い。。。
身内の安否を…苦しんでいるかもしれない仲間や友人、知人を助けたいが…今日は無理そうだ…
数時間寝て起きると今が何日の何時なのか…解らない…曜日感覚どころではない…
『ご飯だよ…食べな…』 と娘が言った。
こんな状況でも腹が減る…何もしていないのに…
今夜も昨晩と同様のお粥に鮭フレーク…これがあれば俺は大丈夫だが…子供達は可哀想だ…
そして…その時…ラジオの情報で福島原発の水素爆発を知った…
今度は…被爆かよ… やっぱり…この世の終わりなのかなぁ…と真面目に感じていた。
そして…また夜の暗闇がやってくる…
女房に声をかけた… 『不安だろうけど明日も2~3時間、留守にする…大丈夫?いいか?』
妻 『どこいくの…明日は朝からスーパーに買出しで並んでもらいたいなぁ…』
『仙台港付近まで行ってみる…でも買出し終わってから行くよ…いいだろ??』
それから後日、女房の談…あの日の夜の俺の目が異常に怖かったらしい…
震災病…この言葉も…しばらく後に知った…
ブログ一覧 |
東日本大震災 回顧録 復興 | 日記
Posted at
2013/03/09 00:43:13
タグ
今、あなたにおすすめ