2013年03月11日
【回顧録⑥・・・復興】
こんばんわ 【KICKER】 です。
さて、明日であの日から2年が経過します…。
明日の PM 14:46 ~ 16:00頃はどうか皆さんも僅かな瞬間で良いので…黙祷し…
震災慰霊へ対し安らかな祈りを捧げてあげて下さい…
今日で回顧録は最後となりますが…
我が故郷東北沿岸…東北人の踏ん張りぶりは今後もお届けして参りますのでよろしくです…
それではお届けします…忘れてはいけない…あの日… そして…復興…
【2011y 3/17 ~ 4/11 みんカラ開始当日】
AM 9:50 頃…陸上自衛隊の霞の目航空隊駐屯地から自衛隊ヘリ2機が…
福島第一原発3号機へ冷却作業の海水投下を始めた頃…
いよいよ自分自身も…やれることを始めようと復旧へ向け徐々に立ち上がった…
復旧作業として第一に取り掛かったのは被災車両の排除からだった…
警察や保険会社、自動車販売関連業からの依頼でのレッカー排除の補助と車両搬送だ…
17日の午前、県警本部から最初に排除依頼が入った先は多賀城市の国道45線沿いだった…
建物に重なる全損車両をレッカーのウインチやクレーンで引き出し…積載車に載せ…臨時置場へ搬送する作業をこの日の午前から毎日夕方4時頃まで数百台排除した…
それは経験した事がない…地獄の約45日間…
大空には…低空飛行する何機ものヘリ…US-NAVYの義勇軍が爆音をあげていた…
多賀城市の国道…産業道路…仙台港周辺…宮城野区蒲生地区…若林荒浜地区…
仙台近郊には数日後、徐々に全国各地のナンバーを付けたレッカー車や積載車が復旧支援に駆けつけてくれた…
その彼らから何本もの差し入れの缶コーヒーと煙草を頂戴した…
その数日後…最も被害が大きかった…石巻市内に突入し…
泥とヘドロにまみれ…被災車両を引き出しては…運びを…繰り返していた…
そして…
何人もの…
犠牲者を… 発見した…
その度に作業を一時中断し…鑑識の到着を待ち…現場検死…
終了後に担当した警察担当官、自衛隊隊員と共に…黙祷を捧げ…
車両排除を迅速に行ない…次の現場…次の現場を…排除を…繰り返した…
時には…我々に語ろうとしてくる…ご遺体との対面には…
ボロボロ泣けて…車のフックにウインチを掛けて…大声上げて…鉄の塊りを押し出した…
なんで…逃げ切れなかったのかな… なんで…俺は逃げ切れたのだろう…
自問自答を繰り返しては…ご遺体を…みつめていた…
そんな現場から疲れて…帰宅すると…その晩、女房と大喧嘩になる日々もあった…
普通の生活に戻れない状態が何日も続き…互いにストレスが爆発する日々…
燃料不足の時は女房から… 『並ぶの嫌なら自分の被災車両からガソリン抜いてきたら…』
そんなことを言われて…ブチきれたこともあった…
ようやく…震災7日目の早朝に電気復旧…通電が開始されテレビからの情報…
しかしニュースを観て…改めて…愕然とした…
岩手・宮城・福島の3県で亡くなった方々の数…今日現在で6911人…
行方不明者数 10754人… ショックに…言葉がない…
そして…今朝の新聞…行方不明者欄に知り合いの名前…
結果、数日後…ご遺体が発見された…
昔から世話になっていたオートボディーショップの社長だった…
それも…18歳になったばかりの息子さんの名前も…隣に…親子で…
2人の訃報を確認した数日後…仕事関係の仲間だけで…10名を…超えた…
大阪ガスの方々が支援で県内に入り…我が地区の都市ガスが再開され…
風呂に入れたのは…震災から…17日目の昼…
温かさに癒され風呂に長い時間つかり…人間らしさを徐々に取り戻し…考えこんだ…
このままじゃのスピードじゃダメだ…生き残った人達の為に何かせねば…
何か爆発的なアクションを起こさなければ…故郷も…いずれ自分自身も破滅に進む…
仕事的にも福島のベースオフィスは…結果…一時閉鎖を決断するしかなかった…
職場からは…東京の本部へ入り東日本の復興対策室の立上げに尽力するよう指示が出された…
その後…勤務先の関係各位に交渉を重ね…迅速な復興に対する支援と資金を段取り…
復興対策室の室長を命じられ…東京をベースに自治体・企業・ボランティアの支援を受け…
何とか5月には震災後初の気仙沼…南三陸に入り現場責任者としてスタッフと汗を流す日々…
全国のオートオークション会社や各カーディーラー、販売店、大手金融会社と連携を取り被災車両の代替え支援で新車のリースやマンスリーレンタル、中古車の安定した流通支援等々…
復興型カーシェアリングの立上げ…各整備工場・ガソリンスタンドの再建へ精を出し…
そして今から1年少し前に国・地方自治体直系の本格的な復興支援業務に籍を移し…加速…
臨時老人福祉施設や仮設住宅と病院を行き来きで使用する福祉車両の運営であったり…
社会福祉施設の再建を中心に…復興を目的にした各地方事業再建、共済事業に現在は携わって…
明日で震災から2年が経過し…復興から3年目を迎えようとしている…
今年の夏からは政府を軸としたバックアップ体制が整い次第、正規の復興請負人の一員として仕事とは又別の角度、立場で故郷を支援していければと計画中だ…
そうやって一歩一歩…故郷の海を取り戻して行こうと…みんなで…踏ん張っている…
亡くなった同胞の死を無駄にせず…仕事も家族もそして趣味も…
全力で楽しみもがきながら…明日からも踏ん張って行こうと思う…そう、肩の力を抜きながら…
2013年3月11日…風が強い深夜…明日の1日の為にそろそろ寝る準備を…
おしまい。。。
東日本大震災回顧録…漢。完。
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Posted at
2013/03/11 01:43:42
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