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そんな90年代web社会
自民党総裁選が近いわけですが誰彼支持という話ではなく、立憲民主党や共産党が好きだという話でもありません。支持政党は「身長とケツがでかい女がタイプ党」です。
ここらへんまでくれば、あたいに関わりにない人は去っていくと思うので本題に入ります。
最近、Twitterに嫌気が差してみんカラの方にカムバック気味です。というのもネットだけではないのですがテレビ・ラジオ・新聞・雑誌と人の意見の出てくるもので最近の風潮は「批判した者勝ち」といった風潮です。
率直に言えば自分の手だけはキレイであいつの手は汚れてると断罪する人があまりにも多いかと思うのですよ。
車の話をすれば「エンジン車なくしてEV車で脱炭素」美しい意見です。素晴らしい思考だと思います。エコ社会っていいですよね。
電力の話をすれば「脱原発!クリーンエネルギー発電で脱炭素」美しい意見です。素晴らしい思考だと思います。エコ社会っていいですよね。
これに反対する人は環境破壊に寄与する悪党だと思います。
逆に賛成する人は環境意識が高い正義の側に立つ人だと思います。
んなわけねーですよね。
でもどんな問題でもそういったいわゆるポリコレ論理に立って意見してる人があまりにも多いような気がするのです。コロナ禍以前からいましたけど、コロナ禍で一気に顕在化したような気がします。
みんカラなので車の事例で例えるならば、池袋の高齢運転者暴走事故を思い出してください。上級がどーのプリウスがこーのという話も出ましたが、最終的に大筋の論調を占めたのは「犯人に厳罰を」でした。これ自体は否定しません。
しかし厳罰を求める署名運動にサインする気にはなれません。
ボク自身が願ったのは「法律に従い、公正な裁判が適切になされること」「原告・被告双方が権利・義務を適切に行使すること」でした。
判決は被害者・加害者が受け止める事実であり、部外者の感情に裁判が反応しては万民に対する法の公正が保たれないからです。
財前教授も控訴審判決の時そう言うとった。
田宮二郎の時も唐沢寿明の時もそう言うとった。
岡田准一がそう言うたかは見てへんから知らん。
ですが上級だのなんだので騒がれている時は加害者を非難すればそれだけで正義の味方になることができた記憶があります。楽ですね。
私はこの事件の時、真っ先に思ったことは加害者への非難でもなく、被害者への哀悼でもなく、明日は我が身という単純な恐怖でした。もちろんどちらにでもなるという意味で。
世の中、「警察官が拳銃を持つのは怖い」とかいう意見もありますが、私に言わせれば、体当たりすれば楽勝で人間をミンチにできる1トンの鉄の塊を自分を含めて見知らぬ人があちこちで乗り回してるという事実のほうがよほど怖いです。つまりは車を運転するということはそういうことなんです。
犯罪を起こす気なんてない。だからといって犯罪を起こさないことにはならない。それが自動車事故の怖さだと思います。
話はそれましたが、どこのメディアを見てても自分の手だけはキレイだと思って、他人の手についてる汚れを指摘して悦に浸っている人が私は苦手です。メディアを見てると皆さんホントにご立派な意見をされてるわけで。
私の手ですか?
すっごいキレイよ。
しらんけど。
このあたりのことずーっと言いたかったけど、Twitterじゃ文字数足らんからね。ブログのアカウントはやっぱ取っておくべきもんやね。
長文スマソ逝ってよし
そんな2021年web社会
Posted at 2021/09/27 23:15:13 | |
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