皆様、ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたでしょうか?
モデナ家の場合は5歳の女の子が満足しないといけません。
何処なら満足するって~ それは公園なのです。。。
次女は公園が大好きなのです。
以前は長男&長女を連れていったなぁ~
嫁さん&モデナはドライブ大好き!
なので今回は、「イイ景色ドライブ+公園」をコンセプトにセレクトしました。
5月3日冷水岳+公園
5月4日生月町+公園
5月5日大島&崎戸町+公園
5月6日鷹島町+公園
と連休はこんな感じでした。
とここでブログは終わりません。
と今回のブログタイトルに続きますが!
そう、私は佐世保生まれの佐世保育ち。
物心ついた時から街にはアメリカ人が普通にいて、お店ではアメリカドルでの支払いが可能だったり、マクドナルドより「佐世保バーガー」と言うお店の数が多かったり、軍関係の制服を着た人が普通にいて、車輌のナンバープレートも、ひらがなではなくアルファベットのYがついている車輌がいたり、造船所や岸壁がある関係で、民間船や軍関係の船が沢山停泊してます。
社会に出てからは県外でしたが!
最後は、福岡に10年住んで~
長男が小学校に上がると同時に佐世保へ帰ってきました。
帰って来て、13年経っていることになりますね!
人生って早いですね~
他の町で生活してみてわかったことは・・・
佐世保と言う所は非常に変わった町だと言うことに気づかされました。
下記はウェキペディアの「佐世保市」の抜粋になります。
1883年に東郷平八郎少佐が海軍軍艦「第二丁卯」に測量団を乗せて訪れ、天然の良港として軍港を設置して以来、戦時中は軍港として重要な拠点であった。やつでの葉のような形状と佐世保の文字から古くは「葉港」と呼ばれた(サセボのサが草冠、佐世保の世、木という漢字をくずしてホ、三つを組み合わせて葉になることから)。第二次世界大戦後は陸上自衛隊、海上自衛隊の各教育隊や米軍基地が置かれた。現在でも佐世保港には自衛隊の護衛艦、米軍の艦船が見られ、街では外国人及び制服姿の自衛官を多く見かける。
明治時代に、佐世保鎮守府が築かれ、海軍の街として栄えた佐世保だけに、海軍や関連産業に関与した近代化遺産が多数存在する。
水道施設では、江戸時代の溜池を改修した岡本貯水池と水道管の減圧井、市内初のアースダム山の田水源地と浄水場、米軍捕虜を動員して改修させた相当ダムなどがある。
港湾施設では、平瀬地区・立神地区や干尽地区に散在する煉瓦造建築物が、現在も米軍・自衛隊・民間倉庫業者などの手によって維持管理・運営されている。
海軍針尾送信所、高後崎・牽牛崎など沿岸部に設置された陸軍重砲兵連隊の佐世保要塞砲台跡、弓張岳・烏帽子岳など周辺の山頂に設置された海軍高角砲砲台跡など、放棄された戦跡もいくつか現存する。
旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館や水交社、旧佐世保橋欄干など、海軍ゆかりの建築物は数多い。
早岐駅は県内の鉄道としては最初に九州鉄道の終点駅として開業し、その後も佐世保線と長崎本線(のち大村線)の分岐駅として重要視された。構内には開業当時から伝わる駅舎や、機関区で使われた煉瓦積み給水塔、転車台などが残っている。
世知原地区は炭鉱で栄えたため、煉瓦積み洋館の旧松浦炭坑事務所や、石炭を運ぶ馬車・牛車のために佐々川及びその支流等に多数設置された石積みアーチ橋が今も多く残されている。
黒島天主堂は信仰の島、黒島のシンボルでもある。2007年1月に長崎の教会群とキリスト教関連遺産の一つとして世界遺産暫定リストへの追加が決定した。
以上、ウェキペディアの「佐世保市」の抜粋より・・・
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
モデナノヤスシプロフィールにも上げさせて頂いてますが!
「映画 第一次~第二次大戦ものを好みます!」とか。
「歴史 史跡 遺跡 近代化遺産 お城 めぐり!」
と書いているように、「明治~1945」の歴史に興味があります。
戦争が好きとかではなく、なぜ?世界であのような悲惨なことがおきたのか?
を知りたくて、映画&TVや書物で日々勉強しております。←勉強は大げさですね!(笑)
別に教授になるわけではないのですが。。。(笑)(笑)(笑)
ライフワークと言うことデスね!
又いつものように~ ごちゃごちゃ言ってますが~
ここから今回わざわざブログカテゴリーの
「近代化遺産」を作り・・・シリーズ化を狙っているのは~
↑ウェキペディアの説明に書いてあるように~
日本では珍しい「近代化遺産」が佐世保には沢山残されてあります。
実は、昨年の6月くらいから今年の3月くらいまで「モデナミクス三本の矢」で忙しくして「ブログ&交流停止」をしていましたが。
いくら忙しくても、その隙間をぬっては~
カメラ持参で~ カシャ・・カシャ・・・ と地道に取材活動を行っていたのでありました。
それでもって輝かしい「近代化遺産」シリーズ第一回目の登場は!
「佐世保要塞」・・・
ここからはウェキペディアの説明になります。
佐世保要塞(させぼようさい)とは、佐世保軍港の防備のため設置された大日本帝国陸軍の要塞である。
1891年(明治24年)から佐世保軍港の防禦計画の検討が始められた。1893年(明治26年)2月に防禦計画が決定されたが、日清戦争開戦のため工事が開始されたのは1897年になってからである。
砲台建設は、1897年(明治30年)9月、高後崎砲台・面高堡塁から開始され、1901年(明治34年)11月までに当初計画したすべての砲台が竣工した。
1934年(昭和9年)に江の島砲台が着工された。1936年(昭和11年)8月、長崎要塞に合併された。
1897年(明治30年)9月 高後崎砲台・面高堡塁着工
10月 石原岳堡塁着工
1898年(明治31年)6月 小首堡塁着工
11月 丸出山堡塁着工
12月 高後崎砲台竣工
1899年(明治32年)7月 牽牛崎堡塁着工
11月9日 - 佐世保要塞砲兵連隊が東彼杵郡佐世保村の新築兵営に移転[1]。
12月 石原岳堡塁竣工
1900年(明治33年)4月 前岳堡塁着工・佐世保要塞司令部設置
6月1日 佐世保要塞司令部が東彼杵郡佐世保村に開庁[2]。
8月7日 佐世保要塞司令部が佐世保村字小佐世保の新築庁舎に移転[3]。
8月 面高堡塁竣工
9月 小首堡塁竣工 佐世保軍港防備のため、1900年(明治33年)に完成した陸軍砲台。大規模な遺講が良好に残る。
1901年(明治34年)9月 牽牛崎堡塁竣工
11月 丸出山堡塁佐世保軍港防備のため、1901年(明治34年)に完成した陸軍砲台。全国に珍しい観測所が残る。・前岳堡塁竣工
1934年(昭和9年) 江の島砲台着工
1936年(昭和11年) 江の島砲台竣工
8月1日 長崎要塞に合併。
主要な施設[編集]
面高堡塁
石原岳堡塁
江の島砲台
以上ウェキペディアの説明となりますが。
現在佐世保市に含まれているのは、「前岳~高後崎砲台」の5つまでとなります。
残りの3つは佐世保市の南側に位置する西海市となります。
今回シリーズ1回目は私の住む町にスポットを当てて紹介しておきます。
画像を見てみたい方は、それぞれのリンク先よりギャラリーへお進み下さい。
あえて整備手帳へ画像をアップしてギャラリー化しております。
これだとリンクや動画が貼れますからね~
さらに画像を見たい方用に近代遺産ギャラリー専用ウェブサイト(modenanoyasushi)を作ってしまいました。(笑)(笑)(笑)
ここなら沢山画像は閲覧出来るようにしてあります。
とっておきの画像を一枚・・・
ザクとは違うのだよ ザクとは・・・
と聞こえてきそうですが!
ザクヘッドもこれがイメージだったりして!(*^^)v
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