1970年代の中盤から後半にかけて日本では スーパーカー ブーム が巻き起こった。
カウンタックやフェラーリは当然の事、それ以外のポルシェやランチャと言ったスーパースポーツカーにも光が当たった。
その時、子供たちはタイアの幅の広さも驚いたもんなんだが、幅に対してサイドウォールの薄さにもエラク驚いたもんだ。
さてさて、どんどん70年代中盤から低扁平率のタイアを装着したクルマが海外から入っていたが、国産車には下手をすればラヂアルタイアでさえ車検で・・というお寒い状況であった。
なんと70%以下の扁平!?タイアが認められたのは1982年になってから。。。それまでも扁平率が低いタイアについて、着けちゃダメという明確な法律や運輸省令は無かったのだが、
(だから輸入車の多くは扁平タイアのまま日本に輸入できたのだが・・・閑話休題)
「行政指導」という口伝えで「70%以下は着けちゃならん」となっていたのだ。
また、その理由が荒唐無稽で
「70%以下のタイアを認めたら暴走族を助長する!!」
であった。正直に言って
「バカ!」 である。
そんな中、日本に神風が吹きまくるようになった。「外圧」だ。
亜米利加から「牛肉」や「オレンジ」に日本は不当な関税をかけていると言われると、急に政府はあたふたと騒ぎ出し、あっという間に関税が下げられた。
そして意外な国から、日本の運輸省に神風が吹いた。その国とは仏蘭西であった!!
80年代前半、仏蘭西との「貿易促進委員会」で意外な発言に、外務省の幹部は凍り付いた。
「なんで日本は70%以下の扁平タイアを認めないのか!?扁平タイアさえ認められたら仏蘭西のクルマが沢山日本で売れるのにねぇ!」
まぁ、言い掛かりも良いところなんだが、扁平タイアを認めても日本じゃ売れないのは確かなんだが、もう外国から文句を言われたら何も言えないお国柄、運輸省は正直触れられたくなったらしいのだが、まずは、70%タイア解禁が「努力目標」になり、いつのまにか60扁平が当たり前になって来た。
今から思えば幅もインチ数もかわいいモノなんだが、それでも大いに憧れたモンだ。
タイアが認められたら、次々に現代での当たり前のアイテムが認可されるようになって、1983年にはドアミラーも認可が下りることになった。
僕の記憶が確かなら、国産車初のドアミラー認可車はパルサーであった。
60タイアが認められると、今度は単純に60扁平と言うだけではなくブランドにもこだわるようになってきた。
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タイア | クルマ
Posted at
2015/11/21 21:24:59