この番組には
興味深い対談も収録されてた
まずお一人は
亡国のイージスの作者
福井晴敏さん
もうお一人は
前海上自衛隊自衛艦隊司令官
倉本憲一さん
この人は
東北大震災直後
「可動全艦出動」てゆう前代未聞の命令を出した人らしい
命令一下、約60隻の自衛艦は一路三陸沖へ
このインタビュー見ながら
心は何年も前の神戸へ
阪神淡路大震災から3年半ほど経った
1998年初夏
僕は阪神基地隊のバースに停泊中の
カナダ海軍補給艦
プロテクターの中に居てた
船内でプロテクター歓迎パーティーあったから
当時第三松豊ビルにあった
カナダ領事館からの招待で
立食パーティー会場
歓談の輪のメンバーは
1、呉地方隊呉地方総監
2、呉地方総監の副官
(山本さんゆう人で黒いアタッシュケース持って地方総監にぴったり寄り添おてた)
3、防衛大学卒業、現役艦長
4、一般四大から幹部候補生学校(江田島)卒業、ちょっと前まで海上勤務やったけど陸上勤務
5、同業者のよしみで館内案内してくれたカナダ人士官
てゆう感じやった
まず名刺交換すると
全員の名刺には
旭日旗
海上勤務の人の名刺には
自艦の墨絵
新鮮て言うかちょっとビックリした
名刺が海軍て言うてる感じしたから
なごやかに会話は続く
呉地方総監が言う
呉ゆうたら田舎モンやお思いになるでしょうけど
海軍時代から重要なポジションなんですよ
是非遊びに来てください
山本が案内しますから
四大から江田島の幹部候補生学校経て入隊した人が
陸自、空自は卒業年度
全部、防大何期て言うんですけど
うちは幹部候補生学校の卒業年度
江田島何期て言うんですよ
差別ないとこやなあ思てたのに
防大出たこいつ(3の人)まだ船乗ってんのに
僕はもう陸へ上がらされたんですわ
言うて笑わす
ここまでは笑いの連続やったけど
話は阪神淡路大震災当時の事に
1995年1月17日、朝まだき
第七艦隊司令部より阪神基地隊へ緊急連絡
偵察衛星写真によると
神戸の街が崩壊、火事も多数発生
地震直後からアメリカ軍は状況把握して即座に連絡くれたらしい
この話してくれた士官は
NAVY TO NAVY のネットワークは世界最高です
(NAVY TO Japan Maritime Self-Defense Force とは言わんかった)
て胸を張ったけど
情報を活かされへんかった当時の状況に悔しさも滲ませた
もしかしたら
神戸の教訓が
東北大震災発生直後の
敏速な可動全艦出動命令に繋がったんかなと
1人納得した夜やった
神戸で失われた尊い命が今後も活かされますように
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Posted at
2013/01/17 11:39:58