どうもどうも。しばらく多忙で書けませんでした。りんとろでございます。
本日は個人的な内容になるので、読みたくない方は回れ右でお願いしますね。
また、公開範囲をフォロワーに出来ないので、全体公開にて一時公開し、あとで公開範囲調整いたします。しばらくの間お見苦しいかと思いますがご了承下さい。
2025年3月26日に母が旅立ちました。未だに実感というか、居なくなった感じがしないのですが、ひとまず落ち着いたので経緯を書いてみようかと。
さて、話は一昨年から。
2023年11月
母が人間ドックを受ける。
この時は特になんの問題も見つからず。
2024年01月
母が新型コロナに感染する。
このコロナ後から食べ物が喉を通らない、食べれない、という症状が出始め、
2月後半から3月頃にはさらに悪化。
コロナの後遺症ではないかと言われていたが、流石におかしいぞと検査。
胃カメラにて、食道から胃にかけての部分にポリープらしきものがあり、細胞を採取、検査するも、癌細胞は検出されず。
それから3回ぐらい日を分けて色々な検査、胃カメラも何度も。
5月の胃カメラ検査で、更に奥の方の細胞を採取。
リンパ系のいわゆるスキルス癌であると告げられる。
そして食べれないので、瘦せすぎて体力も落ちてしまって、手術のための体力回復に1か月。
7月に胃の手術。
食道の一部と胃の大半に渡ってしまっているので半分以上摘出になると告げられる。
結果は胃の全摘出。
どうでも良い話だが、手術が終わって目が覚めた母親が、開口一番に言った言葉は
「プッチンプリン食べたい」
だった。
この時、製造工場が止まっていて買えなかったんですよね。
退院後しばらくして再販し、冷蔵庫には常にストックしていたのでご安心下さい。
前後しますが、術後は流動食から始まり、最後は柔らか目の固形物が食べられるようになってからの退院です。
実際のところ、食べられていたのかは不明ですが、傷の方は完治しているようで、そのまま退院し、ここからは自宅での闘病生活です。
手術で治ったら終わりじゃなく、ここからもとてもキツイのですよ。
本人はもちろん、周りもね。
胃を全摘なので、固形物はなるべく口で砕いてから飲み込む。
この作業が辛いようで、また、飲み込みづらいという食道の違和感がまだ残っていて、さらに飲み込んだ物を貯めておく胃が無いことで、食べたものを戻しそうになったり。
きちんと食べれるようになるには更に半年ぐらいかかったでしょうか。
その間、みるみる痩せていく体。
食べれない上に、胃で吸収するはずの栄養が吸収できないのだから、痩せるのは当然ですが、維持しないとどんどん痩せてしまう。
この時、本人は元気で、つかまり歩きは出来るぐらいには回復していたのですが、逆にそれが困りものでして・・・
自分で何でもしないと気が済まない性格で、どちらかと言うと「してあげる」のを生きがいみたいにしていた母なので・・・
よたよた歩きで台所に立って何か作ろうとしたり、一人で歩いてトイレ行ったり。
当然危ないからと止めるのですが、それが生きがいというか、出来ない事にもストレスを感じていたりで、どうしていいものかという。
で、そのストレスの発散先が、通販での爆買い。
冷凍食品が冷凍庫に入りきらないほど届いたり。
みかんの箱が5箱ぐらい届いたり。
誰が食うねん!!って言っても聞く耳持たず。
我が家では・・・ひと部屋を埋め尽くす食品の山から、賞味期限近い物を探しだして急いで消化するという戦い始まったのである。
幸いにも時期が冬で、常温放置でもそれなりに何とか持ったのが救いですが・・・・みかんは配ったりしたけど、量が多すぎて残念ながら救えんかった。。。。
とりあえず、賞味期限が長い物を除いて、
一通り消化し、落ち着いた次の週。
これが、玄関に置いてあったのだ・・・
・・・業者かっ!!!!
ちなみに5箱しか映ってませんが、先に届いてた小さい1箱が未開封で置いてあります。
この写真が今年の2月の写真ですが、今現在、配りに配って1箱と少し残っています。
ちなみに、この時も、ひと部屋埋め尽くす冷凍食品と生ものが増えていたのは言うまでもない。
その他、賞味期限が長い物で残っている物をいくつかあげてみますが、
・おしるこパック1ケース20個入り 会社違いで2ケース。
・コーンの缶詰 1ケースとバラで3個1セットが6個
・追いがつおつゆ 10本
・カップヌードルミニ カレー 2ケース
・春雨 3ケース
etc
まぁ、こんだけ買えば、銀行口座も空になるわけでwww
引き落とし出来ないという通知とともにビックリする親父。
今月の請求40万なんだけど?!
まぁ、そうなるよねー。
その他にも、○○買ってきてーっていつも言われるから、私も結構な額飛んでます。
あとあと調べたら、買ってこなくてもあるじゃんっていうのとか、買っても食べないとか、でも食べられない中で食べれる物を探すのになんでも試しで買っていくしかなく・・・・
ひとまずそこで爆買いは落ち着き。
2月の後半あたりからは、人の助けなしじゃ歩くのも困難な状態になってきました。この時点でもうガリガリ。骨と皮みたいな状態。
見てる方もつらいし、本人はもっと辛いだろうけど。
この時の私のスマホの検索履歴は、
・胃 全摘 栄養あるもの
・高カロリーな食事
・太る食事
まぁ、結局どれもダメだったのだが。
ドロドロ系ダメで、ウィダー系もあまりで、なるべく固い物じゃないと喉通らなくて、あまり栄養にならない物しか食べてなかったから。。。
ビーフジャーキーとか、噛みつづけても味が残る物なら食べる感じだった。
3月に入って足にむくみが出てきた。ガリガリの体に対して、足だけがパンパン。
で、本人も家での生活がそろそろ限界だという事で、10日に入院。
義姉がほぼ毎日顔を出してくれて有難かった。親父は毎日着替えを持って。私は仕事の関係で2日に一回しか行けなかったけど。
面会18時半にしていたのだけど、いつもギリギリ間に合うかどうかで、
次の予約取るとき、デブの看護師に「なるべく早く来てください」といわれる。
仕事で来れないのにどうしろと???
後日ほかの看護師に聞いたら20時まで問題無いですよって言うし。なんなのあのデブ。
入院してから、多少食べれるようになったらしく、入院前より回復していた。
また、入院前に時々おかしな事を言っていたのもかなり改善されていた。
まぁ、元気になると、「帰りに○○買ってきて!」って当然連絡が来るようになり。
仕事終わったら、スーパーハシゴ、急いで帰ってタッパーに欲しい物詰めて、持っていく物まとめて、大急ぎで病院へ。
ハードスケジュールである。。。
行ったら行ったで忘れてる時もあったけど、まぁ、それはそれで。
本人は元気なのだけど、体はガリガリのまま。やはり辛そうな時もあって、回復に向かうのか、このまま弱っていくのか、全然分からず。
そして、今の今まで、迷惑かけるから連絡しないでくれって言われてて、親戚誰にも連絡してない。
まぁ、連絡しないでって本人は言ってるけど、実際は会いたいわけで・・・
やらないで後悔するのは嫌なので実行に移した。
それは母の弟にあたる人に、連絡すること。
弟の奥さんは若い時に亡くなり、弟の子供の面倒をうちの母が見ていた時期があったので、その子にとっても育ての母だし。弟さんなら母を叱ってくれると思って、思い切って連絡したのである。
この思い切った行動が母にとってはサプライズになったようで、言ってみてよかったと思った。
思った通り「なんで言わねぇんだよ!!」ってしっかり怒られたらしい。
けれど、積もる話もできて、また来る約束をしたそうな。
その次の日にはその弟の子供とうちの家族と、みんなで集まって、楽しい時間だった。それが3月23日の話。
次の日、義姉から連絡があり、少し熱が出ているとの事。
その日は予約していなかったので、25日のいつもの時間に様子を見に行く。
ちょっとやばいかもって気はしてたんだ。亡くなる寸前に熱が出ることがあるらしいから。
顔を見ると黄疸が出始めていた。本人も、前々日にみんなと話して疲れちゃったと言っていたが、満足気な顔をしていた。
別れ際も、まだ居てほしそうな感じは出ていたけど、面会の時間に制限があるので、仕方なく退出。
それが最後の会話になってしまった。
3月26日10時頃、仕事中に親父から電話がかかってくる。
朝食を食べてすぐ、容態が悪くなったという連絡をもらった。
やっぱりあの黄疸にあの熱はそういう事だったのかと思った。
急いで病院に行くも、すでに息は無かった。
「誰も待たずに逝くのも母親らしい」
あとで姉が言った言葉だけど、まさにそうなんだろうな。
最後まで元気な顔みせて、心配させないようにして、母らしい最後だったのだろう。
旅立った後の母も、まるで生きているかのような、寝ているかのような、そんな顔をしていたから、全く持って実感というか、そういうのが持てなかった。
4月1日 エイプリルフールだというのに、お通夜。そして2日に家族で告別式。
骨になってもなお、実感というのは湧いてこず。
そりゃ、泣くのは泣いたけど、なんだろ、居なくなったっていう感じがしない。
その間もバタバタでした、田んぼが始まるから苗床の準備したり、種籾冷やして芽だししたり。
葬式のあとは種まきだし。
バタバタしてる方が良いのかもしれんけど。
5月は田植えがあるので、早めの49日。
次は初盆が待ってるけど、ひとまず、よーやく。落ち着いたかなというのが今。
これがここ数か月急にブログ更新停滞していた理由です。
まぁ、なんにも出来ないですからね。それどころじゃなかったしww
そんでもって、それまでに使い込んだ額が結構ヤバいもんで、5月には税金くるし、今年はハチロクの車検もあるし、通勤車の車検もあるし、ヤバいよヤバいよですよ。
思い付きでブルーバード買ってる場合じゃないよあんたwww
まぁ、今年はなるべく貯金に回して、貧乏生活全開で頑張りますよ。
ということで、そんな出来事があった。というお話でした。
前に知り合いの整備士さんが亡くなった時も、その人が新しい工場で心機一転で始まった時、挨拶に行くの先送りにしてしまって、そのうち行こうと思ってたのが一生行けなくなってしまったからね。
そんなことがあったから、今回は生きてるうちにやってあげたいと思ったことは片っ端からやったから、悔いは。。。まぁ、あるっちゃあるけど、やってよかったなって思ってます。
胃カメラとかじゃ分からない胃の外側から進んでくるスキルス性の癌。あるいはリンパ系の癌なんて言われてますが、リンパに回ってしまっているので、目に見えて見つかった時はもう手遅れって事が多い癌で、うちの母のように検査しても検査しても出て来ない物もあります。
そして、検索の一番上に出てくるのが、「5年生存率」。何パーセントか忘れましたが、2年目でガクッと下がる生存率の癌です。
もしも周りの方がそんな癌になってしまったら、出来ること、してあげたいことを、生きてるうちにしてあげて下さい。
オチを書くの忘れてました。
亡くなって葬式が終わった後で、某乳酸菌飲料の会社から電話がありました。
母が病院から、
「もうすぐ退院するから、退院したら定期で注文したい」
と連絡したらしい。
どんだけ食い意地張るんだw元気すぎんだろwww
初七日、四十九日までの祭壇は食べ物で埋め尽くされたのは言うまでもありません。