遠山森林鉄道

江戸時代以降、遠山地方の山林は天領(のちの国有林)として村民による伐採が禁じられていたために、豊かな森林資源が残されていました。
明治から大正にかけての遠山地方は、民有林が王子製紙に買い上げられて大々的に伐採されましたが、南アルプスの国有林が本格的に開発されるようになったのは、遠山森林鉄道が登場してからのことです。
江戸時代以降、遠山地方の山林は天領(のちの国有林)として村民による伐採が禁じられていたために、豊かな森林資源が残されていました。
明治から大正にかけての遠山地方は、民有林が王子製紙に買い上げられて大々的に伐採されましたが、南アルプスの国有林が本格的に開発されるようになったのは、遠山森林鉄道が登場してからのことです。
遠山森林鉄道は、第二次大戦中の昭和15年、当時の帝室林野局(現在の営林署)によって国有林からの軍用材の搬出を主な目的として着工されました。
それまでの木材運搬は河川を利用した「筏流し(クダナガシ)」に依存していたため、森林鉄道の開通は遠山谷の林業に劇的な変化をもたらしたのです。
森林鉄道の起点である梨元貯木場まで運び出された南アルプスの木材は、トラックによって天龍村の平岡駅まで輸送されました。
森林鉄道は木材搬出だけでなく、鉄道沿線の住民の足として、また登山客や釣客の足としても利用されました。
南アルプス登山では、今でこそ便ヶ島まで車で行けるようになりましたが、当時の登山者は梨元から西沢渡まで、一日かけて森林鉄道の軌道を歩いたのです。
木材の大量搬出が可能となった遠山では、「木材景気」とも呼ぶべき活況に沸き、村人の人口も倍増するなど、森林鉄道が村の経済にもたらした影響は計り知れないものがありました。
しかし木材の伐採地が急峻な奥地へと進み、さらに集中豪雨などによる軌道の被害が重なって採算が悪化したため、昭和43年に廃止が決定されました。
その後も森林鉄道は軌道を縮小しながらも民間業者らによって運営されていましたが、昭和48年に軌道が完全撤去され、33年間に及ぶその歴史に幕が下ろされました。HPより転載
日本の森林鉄道の歴史は1909年12月20日に開通した津軽森林鉄道に始まる。その後、長野県木曽、高知県魚梁瀬をはじめとし、全国各地の林産地帯に大小さまざまな森林鉄道が建設された。
遠山森林鉄道は飯田市梨本を起点とし北又沢で分岐、大沢渡および西沢渡を結ぶ軌道。
最盛期には総延長36.5キロの路線があった。
遠山森林鉄道において最後まで活躍した酒井製ディーゼル機関車79号機。現在、ハイランドしらびそ敷地内に静態保存。
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