2011年03月13日
東日本大震災を経験して
おつかれさまです。
金曜日に起きた「東日本大震災」で被災された方々
ご家族、ご友人をお持ちの方々へ心よりお見舞いを申し上げます。
私の親、妻の親とも東北、福島のため、あの地震の後一路駆けつけました。
途中から雪が降り出し、福島の県境では-3℃を示しておりました。
我々が妻の地元に着いたのは日付は土曜に変わり既に午前二時はまわっていたかと思います。
行くまでの道のりはほとんどが信号機が止まり、路肩は崩れ、一部の道路は地割れがおき、断裂状態であったと記憶しています。
やっとの事で妻の実家前にEVOを停めた時には周囲は真っ暗で灯りひとつもなく、既に雪が積もっておりました。
義父の車を見たら、そこからライトが光り出し、義父さんがおりてきて一言、『来てくれてよかった』と…。
そこからは正直、全てが初めての経験で、とにかく寝る場所を作ろうと、倒れたタンスを越え、押し入れから布団を引き出し、家族全員で氷点下の中、布団を何重にも掛け、仮眠につきました。
時折、突き上げ、揺さぶるような余震の中で…。
夜明けと共に家中の割れたガラス、落ちた瓦、倒壊したタンスを全て上げ、拭き上げ、元通りに…。
電気はまだ復旧の見込みも無く、水道も駄目、幸い下水は機能しているようなので、100mほど向こうの川までバケツを両手に水くみをし、トイレ用の水を確保したりもしました。
やっと夜に電気が戻った時、家族全員で歓喜の声を上げたのは言うまでもありません。
やがてポンプも生きかえり、井戸水で風呂も食事もとることが出来ました。
周囲の家も少しずつ人が戻り、にわかに灯りも戻って参りました。
後は自分たちのことを考える番です。
私もEVOを満タンにしないと福島からは帰ってこられないのでスタンド巡りをし、何十台もの列を見ながら方々へ…、やっとで開いてるスタンドの前で「売り切れました」の張り紙を貼られることに、、
『ハイオクなんだけどダメですか?』と一言、その地元のスタンドの人が「10リッターなら良いですよ」…、
ありがたいと思いつつも、まだこれでも帰路をまかなうだけの燃料には足りません。周りのGSもほぼ売り切れ、軽油だけが幾分あるだけとの話、、、
話は前後しますが、家の近辺の電気が復旧した瞬間、私だけ家を飛び出し、ダメ元で一番近くのGSへ…、開いていました!
前もって並んでいるクルマの後、9番目に並びそのGSで幸いにもハイオクを満タンにすることが出来たわけです。
それで帰ってくることも出来、今に至ります。
乱文で申し訳ないです。
本当にリアルな経験で…、
もうすぐ50にも成ろうかという大の大人が言うことや書くことでは無いと思いますが、とにかく辛く、悲しい経験でした。ただ幸い親族のみんなが生きていてくれたことが今はとにかく嬉しいです。
今日は向こうを9時半に出発、国道に沿ってずっと南下を続けましたが、とにかくコンビニでも水/弁当/衛生用品等は皆無、トイレを貸してくれと言っても「断水」だから…、と
とにかく高速道路を行き来するのになれているせいか、何百㎞を一般道で走る事なんて余り経験がありません。子供も連れて出たこともあり、必然的に休憩も取らざろうえません。
こんな時に、快くトイレを貸してくれるコンビニ、「停電で商品は販売できませんがトイレだけでもどうぞ!」と貸してくださるそんな優しさ、みんなが譲り合い、みんなが口々に「ありがとう」といって安らいだ顔で出て行く姿…。
こんな時だからなおさらじーんとします。
そうかと思えば、トイレ前を商品の段ボールで塞ぎ、トイレも貸してくれない酷いコンビニ…、理由は色々あるのでしょうけど、事態を分かって何故そうするのかが私には分かりませんでした。どう見ても断水など無いはずなのに…。
さらに許せないこともいくつも見てきました。
ロープの掛かったスタンド前で強引に割り込んできたかと思ったら、スタンドから人が…、
ロープを一瞬下げ、その車が通ったところでロープをピーンと張り、その車だけ給油。
お得意さんなのか、知り合いか分かりませんが、他のクルマを寄せ付けずやっていました。。
とにかくみんなが助け合い、時には譲り合いながらでないとこの後、復興にはほど遠い事となってしまうと思います。
私もですがそれを心にとめて明日からもがんばろうと思います。
みなさん本当にがんばりましょうね!!
2011.03.13 りゅう1
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2011/03/13 22:23:41
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