
車の話題ばかり書いていたので、ここいら辺で、変わったネタを・・・。
シケた話なので、途中で具合の悪くなった方はパスしてください^^)
みなさん、ハンカチと聞いて想像するものは何ですか?
弁当、エチケット、汗、涙・・・な感じでしょうか・・・。
私の場合は「金」です。
昔の話になりますが、私の親父はえらく自己中心なガンコもので、私と弟(2つ違いの二人兄弟なんですが)は中学の頃から、親父を嫌っていました。
家庭の中では争い事が絶えず、中学を卒業すると、私は家を出て、神奈川へ・・・。
弟も私と同じく2年後に家を出ました。
少し離れたくらいが丁度うまくいく関係だったらしく、学校と仕事の合間に、お盆とお彼岸と正月には帰省する毎年を繰り返していました。
年に2、3度の帰省の帰り、母は必ずと言っていいほど、パンパンに膨らんだハンカチを父に気づかれないように私にそっと渡すのです・・・。
「いらない!!」
つき返す私に、手足の不自由でやっと歩ける母が、何とか渡そうとバッグに押し込みます。
ひどい時なんか、出発する瞬間に車の窓に投げ込まれたりして・・・。
そのハンカチの中には、500円玉がこれ以上入らないくらいに沢山入っていました。
時には、10円玉や100円も混じる事がありますが、ほとんどの場合、500円玉だけでした。
母は、父には何一つ口答えしない温厚な性格で、怒鳴られても小突かれても、謝る以外の事をする人ではありませんでした。
なので、家計を握っているわけでもなく、手足が不自由なので、働きにも行けず、買い物も月に数回、やっと行くくらいで、私に小遣いなんか作れるわけもありません。
母は、店のレジ(父は公務員を定年退職して小さな飲食店を建て、時々、母は自分の動ける範囲で手伝いをしていました)から、父に気づかれないように、小銭を持ち出していたのです。
多分、最初は10円や50円、100円を少しずつ盗み、少し溜まると500円玉に交換してハンカチに一枚ずつ増やしていったのでしょう。
父にそんな事が見つかったら、嵐が起こりますから、母の寿命もさぞ、縮んだに違いありません。
年に2、3度、このハンカチに一杯の500円玉を貯めるのですから、毎日、毎日、この繰り返しをしながら私達を待っていたのでしょう・・・。
金額にすると、確か2、3万円はありました。
私が中学を出て、家を出た時から、高校を定時制で出て、大学(3流の私立ですが)を出て、就職して、結婚して、子供が出来て、家を建て、私の子供達(母から見れば孫です)が小学校に入るまで、そのハンカチは、父に気づかれないように、こっそり私に渡され続けました。
金の額ではなく、何か違うものが、どんどん、私の心の中に重く積み重なっていくような気がしていました。
就職して、給料を取っているのに関わらず、生活だってそこそこ自分達で出来るのにも関わらず、母はずっと、私が家を出た時の母のままであったのだと、最近良く思い起こします。
毎日、毎日、来る日も、来る日も、私達が来るのを待ちわびて、今度来た時に、少しでも生活に苦労しないように、せめて、出来るだけの「金」を渡そうと、泥棒になった母の気持ちが、今、痛いほど良く分かります。
自分の為ではなく、子供のために、長い時間を、深い思いをかけ続ける事が、親の心そのものなんだと教えてくれました。
そして、それを決して恩にきせない、見返りを求めない、与えるだけの心が、親の愛だと思います。
私も子供を持ち、会社なんかで、お土産のお菓子なんかあると、やっぱり、自分だけでは食べられないんですよね・・・。
こっそり、子供に持って帰ってしまう。
自己中でガンコだけど、仲が悪かった父も昔、私達が小さかった頃、紙袋に包んだお菓子なんかを良く持って帰ってくれた・・・一口も手を付けずに。
父も私と同じだったに違いない・・・。
みんカラのお父さん達もきっと同じ気持ちでしょ?
子供達と回転寿司なんか行くと、金が無い時なんか、「腹の調子悪い・・・。」とか言ったりしてないですか?(笑)
私も今年で45になりますが、そんな純粋な気持ちで子供達を私の母のように見守れる親になりたいと思っています・・・多分、無理ですが。
訳あって、私は父とも母とも、かれこれ6年近く音信不通ですが、今度、実家を覗きに行って見ようかと思っています・・・会って話す事はできませんが、あの家はどうなっているのか、最近気になって仕方ないんです。
そんな、いきさつの時間の中でもDRはいつもそばにあって、気を紛らわせてくれた車だったりします・・・ほとんど動かなかったけど^^;)
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Posted at
2007/06/13 01:20:00