前回の日記から引き続き、僕がライフワークにしている、
「俺たちの夜明け」
について、ダイジェストではありますが、活動の記録を書き残していこうと思います。
第1回から第20回までは、前回の日記(↓)をご覧ください。
https://minkara.carview.co.jp/userid/2048908/blog/45798163/
第21回 「You & I」
2017年1月1日
北海道白老町 東町海岸
今回は、札幌在住の友人「Mさん」を誘っての夜明け迎撃となった。
本来、目的地は苫小牧市だったのだが、自分自身の不勉強もあり、ウトナイ湖以外の展望スポットを思いつかなかった。
その結果、夜明けを迎える場所を求めて彷徨うこととなり、白老町東町の国道36号沿いの海岸まで辿り着いて、「ここで見よう」と愛車を停めた。
今回も水平線近くに雲が多く、太陽が顔を出すまで時間を要したが、寒さに耐えながら待ち続けること1時間、なんとか初日の出を拝むことに成功。
同行してくれたMさんも(寒さには参っていたが)来て良かったと喜んでくれた。
外伝回 「RESONANCE 12/17」
2017年8月10日
北海道苫前町道の駅~稚内市・宗谷岬間のツーリング
杉原氏、来道。
今回は、ライダー仲間2人と共に北海道にやってきたとのこと。
ただ、僕のスケジュールの都合がつかず、夜明けを一緒に見ることが叶わなかったので、せめて彼らの共通の目的地である宗谷岬までの道中、一緒に走らせてほしいと頼んで実現したツーリング回である。
ムーヴとオートバイ3台のランデブー。
なかなか悪くない画だったのではないだろうか。
ただ、これがスポーツカーだったり、今の愛車(レガシィ)だったりしたら、もっと様になったのであろうことが、少々悔やまれる……
宗谷岬に到着し、記念撮影をしたり土産物店を巡ったりしてから、浜頓別方面へと行くというライダー仲間の2人と、利尻山に昇るため稚内のフェリーターミナルへ向かうという杉原氏とが、再会を約束し別れた。
僕は杉原氏を見送るため、フェリーターミナルまで同行。
鴛泊港行きのフェリーの出航を見届けてから帰宅した。
なお、これから3ヶ月後の11月20日、道路上に飛び出してきた鹿と衝突し、ムーヴが全損・廃車となってしまったため、初代愛車(ムーヴ)が活躍した最後のロングドライブだった。
第22回 「Re:Birth」
2018年4月29日
北海道小樽市 祝津パノラマ展望台
2代目愛車となったムーヴカスタム「Unlimited」のデビュー戦。
初代愛車と同じL160S型のムーヴなだけあって、力強い走りと使い勝手の良さは全く変わらなかった。
しかし、そういう意味だけではなく、僕はあのムーヴが、あの世から僕のもとに帰ってきてくれたのではないかと思えた。
それほどに、2代目の相棒は僕に馴染んでいた。
まさしく「復活」の言葉がふさわしい回だった。
第23回 「Hafenstadt」
2019年1月1日
北海道苫小牧市 苫小牧西港・入船公園
2年ぶりの初日の出遠征は、基本に立ち返り、単独行での出撃となった。
その理由は、この時点で9年間続けてきたこのオフの強行軍っぷりに、僕の友人たちを誘うのが申し訳なくなってきたからだった。
「日の出を見る」
世間一般の人々からすれば、ただそれだけのために、かなりの長距離・長時間、場合によっては夜通しぶっ続けで走り続け、朝早くに(それも冬なら寒さに耐えながら)朝日を拝み、その後はほとんど他の場所に立ち寄ることもなくただ引き返すという、一言で言えば「それ自体に意義を見いだせないとんでもないオフ」なわけであり、果たしてそれを元気に、心の底から楽しめるかといえば、そうではない人が大半なのである。
もちろん、例外となる人物(第3回・地球岬行きの際に参加した『BAN10氏』)は居たが、彼には奥さんと子供がいる。
その彼を、何かと忙しい年末年始に引っ張り出すというのはあまりにも非常識過ぎる。
そんなわけで、自分一人だけで再び初日の出を迎えるべく出撃したのである。
あえて展望スポットではない、苫小牧西港そばの入船公園を夜明け場所にチョイスしたが、港湾特有の風景が日の出にアクセントを加えてくれたので、これはこれで良いものではないかと思った。
なお、先に書いた理由のため、今後もほとんど単独行が続くことになる。
第24回 「Beginning of R」
2019年5月4日
北海道室蘭市 白鳥大橋展望台
元号が令和に変わってから初の夜明け。
前回に引き続き、港湾都市の風景を楽しみたかったために、室蘭の白鳥大橋たもとの展望台で日の出を迎え撃つことにした。
雲ひとつない晴天で、夜明け史上で上位に入るくらい素晴らしい空。
新しい時代の到来を告げる、最高の夜明けだった。
第25回 「RESONANCE 12/19 ~Fated Circle~」
2019年8月18日
北海道白老町 倶多楽湖
杉原氏、来道。
今回は彼にとって2代目の愛車となるスバル・WRX STIとのランデブーとなった。
本来は羽幌町の天売島に渡り、そこで夜明けを迎える計画のはずだったのだが、運悪く台風の影響により海が時化たために羽幌沿海フェリーが欠航。
そのため、急遽計画を変更し、倶多楽湖で夜明けを見ることにした。
南下する度に天候が良くなっていき、夜明け当日の朝、最高の空になっていた。
僕と杉原氏はしばらくの間、思い思いにシャッターを切り続け、太陽のパワーをおすそ分けしてもらったのだった。
夜明けを迎えた後は、地獄谷やクマ牧場を散策。
その後、偶然にも5年前(第13回)も訪れていた「登別石水亭」にて日帰り入浴。
身体の疲れを癒やしながら、それぞれの未来について熱く語り合った。
入浴後は、杉原氏が乗るフェリーが待つ苫小牧まで戻り、再会を誓って解散した。
杉原氏のWRXにも試乗させてもらったが、とても素晴らしい車だった。
この経験が、僕が今の愛車(レガシィ)に乗り換える一因となったことは間違いないだろう。
第26回 「Silver Ring "Go Beyond!!"」
2020年5月9日
北海道稚内市 稚内港北防波堤ドーム
国内では2020年1月から広まり始めた新型コロナウィルス感染症。
これにより、国民総出での外出自粛、それに伴う経済の停滞により、国内全体に広がる「絶望」という名の濃霧……
僕と杉原氏は、そんなことには負けていられないと思い、太陽から力を分けてもらおうと、夜明けを迎えることにした。
天気予報では稚内方面しか晴れる場所がないとのことで、目的地を宗谷岬に決定。
しかし、新型コロナ対策のため宗谷岬が全面閉鎖となっていたので、やむを得ず目的地を稚内港北防波堤ドームに変更。
強風が吹きすさんでいたものの、雲が少ないグッドコンディション。
「お前も負けるなよ」と背中を押されるような、綺麗で素晴らしい朝日だった。
なお、サブタイトルの由来がわかりにくいが、お互いが夜明けを迎えた場所から作り出した造語である。
「Silver」→杉原氏の夜明け場所である白銀平展望台の「銀」の部分
「Ring」→稚内市のひらがな表記のうち「わっか」の部分
第27回 「The Last Movement -MOVE Custom R Limited LAST RUN-」
2020年8月16日
北海道小樽市 毛無山展望所
2代目愛車「Unlimited」の引退日(8月21日)直前にギリギリ実現できたラストラン。
この日、全道的に悪天候が予想される中、小樽市だけが日の出の時間帯に晴れる可能性があったため、一縷の望みを託し、雨の降り注ぐ闇を切り裂いて走った。
僕の願いが届いたのか、それともムーヴがこれから向かう新たな旅路への餞別を神様がくれたのか、それは定かではないが、水平線付近に垂れ込める雲から太陽が顔を出してくれた。
今思えば、あの時往路で降り続けた雨は、天がムーヴへ、別れを惜しむ涙をこぼしていてくれたものなのかもしれない。
2代続けて、11年もの間、ムーヴは僕の期待と信頼に応えて走り切ってくれた。
彼らとの思い出を胸に、僕は新たな相棒と共に、新たな旅に出たのだった。
第28回 「LEGACY "Evolution" Touring」
2022年1月1日
北海道網走市 網走海岸・能取岬
3代目愛車となったレガシィツーリングワゴン「Верный(ヴェールヌイ)」のデビュー戦。
2021年の元旦は新型コロナの感染拡大、5月と8月は、3月に母方の祖父が亡くなった関係から遠征を取り止めることとなってしまい、約1年4ヶ月ぶりの夜明け遠征となった今回。
GT(グランドツアラー)であるレガシィの能力テストも兼ねたロングドライブとなった。
年末年始にかけて全道的に猛吹雪という状況下で、道東方面のみ晴れることがわかったため、網走方面を目指すことにした。
しかし、北見峠を超えるまでの間、大雪が降り続け、また場所によっては吹雪により視界が怪しくなる状態だったが、レガシィはそれらを物ともせず、スバルのフラグシップらしい安定感のある走りを見せてくれた。
網走は氷点下18~22度という極寒状態。
ほんの数分カメラを構えていても、寒さですぐさま手が悲鳴を上げる状態だったが、気嵐と澄んだ空に太陽というなかなか出会えない風景を前にしては休んではいられず、なんとかシャッターを切り続けた。
ある程度太陽が高く上がったところで、本来の目的地である能取岬へ向かう。
新型コロナの変異株「オミクロン株」が流行し始めていたため、可能な限り感染リスクを下げるべく、大半の見物人が帰り始めるであろう日の出後を狙って能取岬に行くことに決めていた。
能取岬に着くと予想通りほとんどの見物人は帰った後で、ほんの数人が残っていただけだった。
せっかくなので、広くなった駐車場を使い、レガシィと朝日を写真に収めた。
夜明けを迎えた後は、適宜仮眠を取りながら帰宅した。
仮眠の際は、後部座席を倒して確保した広々としたラゲッジに布団を敷いて眠った。
BR型は大きすぎると忌避するレガシィファンが多いが、前部座席を全くいじらず後部座席を倒すだけで男一人が余裕で足を伸ばして横になれるスペースを確保できるという点は十分評価されるべきであり、そういう観点から行くとBR型はレガシィ史上最高のグランドツアラーだと実感した。
走行距離 約744km
平均燃費 約11.75km/L
冬のドライブ、かつ道中ほとんどエンジンを切らずに回しっぱなしだったことを考えても、カタログ燃費である11.0kmを超えるのは素晴らしいとしか言いようがない。
さすがはスバルのフラグシップ・グランドツアラーである。
なお、サブタイトルである「LEGACY "Evolution" Touring」だが、これはレガシィが僕の相棒となったことで、これからの夜明け遠征がいろいろな意味でさらに「進化」したものになるだろうことを願って、そしてレガシィの後継車種であるレヴォーグにも負けない活躍をしてほしいという想いを込めて、このタイトルにした。
そして実際、今回の遠征でレガシィは僕の期待と信頼に応える大活躍をしてくれた。
そこで僕はレガシィに、ロシア語で「信頼できる」という意味の言葉である「ヴェールヌイ」をニックネームとして名付けることにした。
相棒はきっと、これからもその名に違わぬ大活躍をしてくれるだろうと、僕は堅く信じている。
以上が、12年間の夜明けの記録です。
次はおそらく5月頃の遠征になると思いますが、新型コロナの感染拡大が続かないことを祈っています。
これを読んでくださった皆様の健康と、一刻も早い事態の収束を願います。