7月16日夜、自動車ジャーナリストでTVK「新車情報」キャスターを
長年勤められた三本和彦さんが亡くなられたとの一報を
yahooニュースで見ました。
長年寄稿されていたベストカーのWEB版が伝えてました。
他に報じる媒体は無く、様子を見ていたところ、数日後に
共同通信が訃報を伝えました。
肝がんのため91歳で逝去とのことでした。
この数年、自動車雑誌を読むことも無く、他の媒体でもお名前を見ることも無く
執筆活動をいつごろまで続けておられたか不明なので、リタイヤされたのかと
思っておりました。
最後にお姿を見たのは、数年前のBS日テレの土曜夜のおぎやはぎの番組
だったと思います。高齢者マークを「枯葉マーク」と呼んだら頼むからそれは止めて
欲しいと言われたことや、車とは足であるということ、当時乗っておられた車
としてVWポロを紹介していたことなどが記憶に残っております。
私にとっては、自動車に対する見方・知識の基本はもとより
政治、社会問題に対する一市民としてのふるまい方を教えられ
深く大きい影響を受けた人物の一人という位置づけであり、大きな喪失感を
感じております。
三本さんの存在を知ったのは、ご自身「ゲリラ番組」とおっしゃっていた
TVK制作の「新車情報」で、初めて見た時は
地元のローカル局(GTV)で確か金曜夜に放送されていました。
偶然チャンネルを合わせたのだと思います。
恐らくそれは92年の年末だったと思います。
そこで紹介されていたのは92年10月に発売開始した
X90系トヨタ・マークⅡでした。
ちょうど番組のメインである中盤の
「不躾なコーナー」の時で、開発責任者が「1800ccのエンジンが良くなりました」
と言ったのに対し「ホントですか~?どうせタクシー用の情けないやつでしょう」
と返したことです。
これが強烈な印象として残りました。
それでもすぐに毎週見るようになったわけではないのですが、それからしばらく
して、何がきっかけかは全く思い出せませんが毎週見るほどになりました。
恐らく中学から高校に入る頃で、次第に寝る時間も遅くなる頃だったのも
背景にあったと思います。
番組だけでなく、三本さんの著書にも目を通すようになり
95年12月に日本文芸社から「辛口クルマ選び徹底ガイド」が発表され
以後2004年まで毎年発売されました。
図書館でも三本さんの本を何冊か読みました。
「三本和彦もう黙っちゃいられねえ」なんてインパクトのある書名もありました。
70年代後半から徳大寺有恒氏の「間違いだらけのクルマ選び」が毎年発表され
ベストセラーになっていてそちらも読んでいましたが、自動車の本として楽しく
読めても、バイヤーズガイドになり得るのは三本さんの著書の方かなとの
印象でした。ちなみに、三本さんの著書には徳大寺さんを
皮肉っぽく揶揄するような記述もあり、個人的印象ですが余り快くは
思っていなかったのかなと思います。
TBSテレビの日曜朝のサンデーモーニングは、2020年代の今も続く報道番組
ですが、90年代に時々、高速道路がいつになったら無料化するのかという
話題になった時、いつも三本さんがVTRで「高速道路の料金は、プール制
という仕組みで・・・」と説明していたことも思い出され、あちこちの
報道番組で自動車関係の話題をよくお話しされたことも記憶に残ってます。
進学の為他県に下宿した4年間はその県にも放送している局はあったものの
余り継続的に新車情報を見られず
就職の為帰郷して以後再び毎週見るようになりました。
運転免許を取得し車の所有者となってから新車情報や三本さんの著書を
拝見するのは、何となく感慨を感じました。
2005年3月の放送で「もう私より年上の経営者はスズキの社長だけになりました。
あと3回で、番組を終わりたいと思います」と番組終了を宣言された時は
驚きでした。そして、1977年から約28年続いた新車情報に幕が落とされました。
確か最後に話題の中心に取り上げたのは、トヨタの2世代目のヴィッツでした。
余談ですが父が定年前最後に乗っていた社有車もこのヴィッツで、思い出深い
モデルとなりました。
三本さんには、特に試乗レポートの時、いくつもの独特な慣用句的言い回しがあり、それも魅力の1つで
レンタカーや社有車などそれまで乗った事のないモデルに乗る時
よく真似したものでした。
「きょう話題の中心にするには」
「VTRが撮ってございます」
「頭上高は、こぶし○個分」
「いつもの山坂道」
「不躾なまま続けております」
また、江戸っ子特有のべらんめえ口調や、小ざっぱりしたテンポの良い
リズミカルな話し方も好きでした。
番組メインともいうべき「不躾コーナー」というべきか
開発責任者にズバズバ質問をぶつけていくコーナーは
タジタジで緊張している責任者が多かったものです。
「検討します」なんて言おうものなら
「カメラさんアップで映しておいてください。エンジニアは嘘がつけない
人たちなんです。その気があるか無いかすぐ分かります」なーんて仕打ちを受けた方も
いました。
肩を組まれて顔を近づけ「こうしたほうがいいじゃありませんか、ね!やりましょう」
なんて言われた方もいました。
4世代目のレガシィ(BL/BP)の回では、番組を見ていた富士重工社員の同級生が
「あの人すげー緊張してたわ」って言ってました。(その同級生も
若くして亡くなってしまいました)
「民生用の製品なんてこの程度の作りでいいんだ」と言った三菱のエンジニアや
どうしても意見の合わなかった日産のエンジニアと取っ組み合いのけんかもしたという
三本さん。
しかし、単に怖くて自説を押し通すだけの人ではありませんでした。
TBSラジオで1997年9月までは平日午後4時に放送されていた「全国こども電話相談室」
子供たちからの自動車やカメラ(こちらもご専門でした)の質問に分かり易く
答えていらっしゃいました。当時はネットも無く、新聞のラジオ欄で
自動車やカメラ、写真と書かれていると、あ今日三本さん出るかななんて思って
タイマー録音したものです。
そして、僕が三本さんの言葉で一番好きなのが、何年頃か忘れましたが
4月か5月の新車情報の冒頭で言われた
「新1年生が道を飛び回ってます。ドライバーの皆さん
運転の際は、気を付けてあげてください」
弱い立場に寄り添える優しい心の持ち主でした。
三本さん、あなたの新たな言葉を伺うことがもう出来ないのが残念でなりません。
これまで番組や著書から伺った数々の言葉、教え、そこから得た思い出
大切に抱いて、それを力にして、これからも歩んでいきます。
うるさい消費者になろうと思います。クレーマーになるという意味ではありません。
メーカーに対し、批判でなく提案をしていきます。
魂のこもってない偽物と感じたら、妥協して買ったりしないようにします。
おっしゃる通り、パワーは麻薬だと思います。そう伺っていたから
280馬力を積んだモデルに魅力を感じず、敬遠してました。
一度、285馬力の車を買ってしまいましたが、もう買いません(笑)
5ナンバーサイズこそが日本の道路事情に最も最適なサイズで、車幅はせめて
1750mmまでとの見解、御意です。
1795mmのアクセラに3年近く乗っておりますが未だに日々それを痛感いたします。
良心に忠実に生きたいです。腑に落ちないことに声を上げる勇気と力を
保持し続けていきます。一方で、弱い立場の人を慮る
行動に努めます。
三本和彦さん
本当にありがとうございました。