
★★ちょっと長文です。気合い入れて読んで下さい(笑)★★
★★青臭い話しなので、気の進まない方はパスで(^-^;)★★
来週から、約1年間の医療休業を取っていた部下が戻ってきます。
仕事は非常に出来る子で、入社した当時から色々と眼を掛けていたのですが・・・
失恋を契機に「鬱」状態となってしまい、欠勤や業務の滞りが目立ち始めた為に、本人や取締役、総務と相談して、昨年の夏から休養を取らせていました。
失恋による「落ち込み」と「鬱病」は、基本的には別物なのですが、本人が内に溜め込んでしまい、色々な事を我慢しながら生活を続けていると、最終的に鬱状態に陥ってしまう事もあるようです。
プライベートな事とは言え、こういった精神面のケアは難しくて・・・結果的に部下を鬱状態にしてしまった事は、管理者としては不甲斐ないところでもあるんですが・・・
「失恋の痛手を克服する」という事、みなさん、どうしている?(もしくは、どうしていました?)
『失恋した男は酒でもかっくらってみじめに泣いてりゃいいんだ。 それが別れた女へのエチケットというもんだぞ。』なんてセリフを言った、NATOの某高官もいましたが(笑)
僕の場合は、どうだったかなぁ・・・。
初恋からして結構痛い失恋をしたし、失恋を繰り返して成長して来たような気はします。
僕は、どちらかと言えば小さい頃から恋多き男(笑)でしたが(^-^;)
本当に心から苦しい程に人を好きになったのは、中2の頃からの恋愛でしたね。
これが本当の意味での「初恋」になるのかな?と思っています。
部活が一緒で近所だった同級生で、仲の良かった友達達とグループ交際のような付き合いをずぅ~っと続けていました。今考えると、なんとももどかしい(笑)
僕自身は、幼稚園からの幼馴染の女の子がおり、その子との間には恋愛感情は無かったものの、お陰で女の子慣れというか・・・女の子と話すのに緊張したり、抵抗を感じたりするような事はない少年でした。
それでも彼女の言葉の一言一言に一喜一憂し、彼女の仕草に赤くなったり期待をしたり。俺も青かったなぁ(笑)
告白らしい事もした事があり、彼女には「それは貴方の気の迷いだよ」とかわされてしまった事を覚えています(^-^;)
でも、そこからグループ交際の枠を超え、お互いに電話をするようになりました。
携帯電話なんて無い時代ですから、家の黒電話からや、公衆電話からの長電話です。
親にも色々怒られたりしながら(笑)
高校生になってからは、高校も違うのに毎日のように電話をし・・・でも、良く考えるとお互いに「好き」という言葉は、そのかわされてしまった一回しか言ってなくて・・・
月日が経つにつれ、その曖昧さが災いしたのもあるのか、お互いに部活やバイトに時間も取られるようになり、話をする機会が少しずつ減って行き、気が付いた時には、彼女はバイト先の厨房の先輩と恋に落ち、子供を作ってお嫁に行っていました。
その後、僕は高校を卒業してから、特にやりたい事もなく、2年ほどブラブラと生活している時に、街中で子供を連れている彼女を見かけた事がありました。
その頃、実は僕自身も高2で付き合い始めた彼女を病気で亡くした後だった事もあり、なんとも遣る瀬無い気持ちで見ていた覚えがあります。
でも、今自分が子育てをしている立場で考えると、あの若さで子育てをするには、きっと彼女にも色々と大変な事はあったんじゃないかな?とも思えます。もっとも、当時はそんな風に相手を思いやれるような気持ちは当然持てず、黙って見ているだけでしたが・・・。
今では「思い出」ですが、彼女を今でも好きか?と問われれば「Yes」でしょう。
でも、僕の中に住んでいる「好き」な彼女は、20年前の彼女なんですよね。
心の中に浮かんでいる彼女の姿も、20年前の中学生、高校生の姿のような気がします。その後の彼女の姿を見ているにも関わらず。
やっぱり「思い出」なんでしょうね。
当時は、そんな苦しい程の恋の気持ちであり、今も心の何処かで確かに暖かく灯っている気持ちではありますが、それでも僕は新たに好きな人を作り、別れも繰り返し、今は大切な奥さんと子供をとっても愛しています。
「前に進む」と言う事、難しい気持ちではあると思います。
病気で彼女を亡くした時には、本当にもうこれ以上の恋をする事はあるまいと、本気で思ったりもしました。
その時に慰めてくれた仲間は、「苦しい気持ちも、いつかは思い出に変わるもの」と言ってくれたりしましたが、僕的には「思い出」にはなるけれど、「気持ちが変わる事はない」と思っています。
ただ、その「止まってしまった気持ち」が、どう整理されるか?なんではないでしょうか・・・。
「どこかで幸せになっていてくれれば」
その「初恋」の子も含め、普通に別れた彼女に対しては、確かにそう考えています。
それは、今自分が幸せであるから、思える事かもしれませんが。
亡くしてしまった彼女については、僕自身もどう解決し、どう心の整理を行ったのか実はあまり覚えていません。時間が解決してくれた事もあると思いますが・・・。
時間は、放っておいてもドンドンと過ぎて行ってしまう。
ここで彼女の事を理由にして、自分の歩みを止めてしまっては、時間すら止まってしまった彼女に対する冒涜になるんじゃないだろうか・・・何かをしなくては・・・そんな事を考えた事はあった気がします。
そういえば、長い事お墓参りしてないなぁ・・・。
話は、ちょっと飛びますが、新海誠という監督の作る短編アニメに最近少し凝っています。
その中に、『秒速5センチメートル』という作品があります。
本編は、是非DVDとかレンタルして見て頂きたいですが・・・
これも、昔の恋が忘れられず、なかなか前に進めない、もどかしい男の話し(笑)
ネットの感想を見て頂くと判ると思いますが、中身については非常に賛否両論あります。
理由はいくつかあると思いますが、
まず、
結果が決してハッピーエンドとは取れないということ。
----------以下、ネタばれを含んでいますので、注意して下さい!-------------
親の転勤を理由に、長く遠くへ離れてしまった両思いだった男女が、ある日大人になってから、昔住んでいた思いでの地でバッタリすれ違い・・・
「あぁ、貴方は・・・」
「おぉ、君は・・・」
ヒシッと抱き合う二人・・・
とはいかんのですよ!現実は!(笑)
と、しっかり最後で監督は視聴者を蹴り落としてくれます(笑)
最初見た時は、僕も「え~~~!こんなんありぃ?(;_;)」と思いました。
何より、お話として完結してないではないか!と。
エンターティメントとしては、確かに完結して、視聴者にケジメを見せていないと言うのは、納得の行かない事ですし、失敗作としての烙印を押されかねないものだと思います。
ただ、この作品のテーマを「恋愛」としてではなく、「人生」として見て行くと、「あぁ、こういう結末もアリなのかもしれない。」と思えて来ます。
一人の人間が、前を向いて歩きだす為の物語であると・・・。
最後の踏切のシーン。
電車の通り過ぎた後に誰もおらず、すれ違った女性を敢えて追いかけて探そうとしなかった貴樹。
過去を振り返り、追い掛け続けるという事を、貴樹が振り切った事を象徴するシーンなのかな?とも思いました。
前に進む事を決心したんじゃないかなと・・・
振り返ってくれるだろうと思っていた女性が、既にそこには無く、貴樹の知らない人生を歩んでいるんだろうと言う事、それを受け入れたんじゃないだろうかと・・・
踏切が上がり、靴が向きを変えるシーンは、そういう「前へ進もう」という意志の抽象なんじゃないかな?って僕は思いました。
この後、貴樹がどう過ごして行くのかは分かりませんが、この数年後に本当に踏切で再会するような事が合った時、もしかしたら二人は、過去を思い出として話せるようになっているのかもしれません。
なんだか、長々とつまらない文章にお付き合いさせてしまってすみません(^-^:)
今週会社に行ってから、その復帰する子の事で色々と考えていたものですから、なんだかこんなテーマの日記になってしまいました(;^-^A
まぁ、結局のところ、やっぱり「忘れる」なんて出来ないんでしょうね。
自分の中で、どう向き合って、どう決着を付けて行くか?なんでしょう。
それを上手に処理して、止まってしまった気持ちを整理出来た時点で、それは「思い出」になって行くんだと思います。
ただ、そういう事が上手に処理出来る子と、出来ない子というのは、居るのでしょう。
だからと言って、外から手助けしてあげられるような事でも無いんだろうと思いますが・・・
でも、こうして、他の人の考え方を読んだり、聞いたり、作品で見たりする事で、もしかしたら心の整理をする切っ掛けくらいには、なるのかな?と・・・。
すみません、お粗末でした m(_ _)m