
チャンピオンシップホワイト。
この色がホンダF1が1965年に初優勝した際のマシンであるRA272に由来することは知っている方も多いと思います。
純白ではなくアイボリーがかった白。
チャンピオンシップホワイトは1992年発売の初代NSXタイプRで初めて登場しました。
その後、チャンピオンシップホワイト、カラーコードNH0はタイプRを象徴するカラーとして歴代のタイプRに継承され続けています。
チャンピオンシップホワイトはなぜアイボリーがかった白なのか。
これはホンダF1がフルコンストラクターとして参戦したことから始まります。
ホンダは当初エンジンサプライヤーとして参戦する予定でした。
当時、F1のコンストラクターであるロータスに搭載する予定でエンジンが開発されていました。
しかし、参戦開始年である1964年の2月にロータスから搭載できなくなった旨の電報が届きます。
新しいコンストラクターを探す時間はない。
ここでホンダは自社でシャシーを造るフルコンストラクターとして参戦することを決断します。
1964年当時、F1マシンのカラーリングは国ごとのナショナルカラーを採用する旨、FIAが規定していました。
そのため、ホンダがF1をフルコンストラクターとして参戦することになると、それまで無かった日本のナショナルカラーを決める必要が生じました。
最初、本田宗一郎氏は黄金の国ジパングにちなんでゴールドを希望しました。
しかし、ゴールドは既に南アフリカのナショナルカラーで登録済のため却下。
そこでアイボリーを提案しましたがドイツ(1964年以前はホワイト、1965年からシルバー)と見分けづらいということで、日の丸を追加した「アイボリーに赤丸」が日本のナショナルカラーとなりました(ドイツが1965年からシルバーになったのはホンダに配慮した訳ではなく、マシンの軽量化のためホワイトの塗料を塗らない無塗装=シルバーになったという逸話があります)。
電報から僅か6か月後の1964年の8月に、F1ドイツGP(ニュルブルクリンク)でアイボリーに赤丸のナショナルカラーを纏ったRA271が初参戦を果たしました。
翌年、アイボリーに赤丸のナショナルカラーを纏ったRA272が投入され、10月に開催されたF1最終戦メキシコGPで初優勝を成し遂げたのです。
もし、ロータスの電報でホンダがF1参戦を諦めていたらチャンピオンシップホワイトは生まれなかった。
もし、ホンダが当初の予定通りエンジンサプライヤーとして参戦していたらチャンピオンシップホワイトは生まれなかった。
もし、ゴールドの希望が叶っていたらチャンピオンシップホワイトは生まれなかった。
もし、ドイツのナショナルカラーがホワイトでなかったらチャンピオンシップホワイトは生まれなかった。
たくさんの数奇な分岐点を経てチャンピオンシップホワイトは誕生しました。
携わった多くの先人達に感謝を。
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Posted at
2021/04/18 12:18:04