
こんにちは。こちらは蒸し暑いです💦
曇っているので、直射日光ではないもののやはり一日中暑い毎日です。
東の方はかなり涼しくなったとの情報も有りますが、西のこちらはいつまで続くのやら、、、😑
さて、気を取り直して、、、
6月頃でしたでしょうか、着工したとほのめかしていた、“問題作“のこのプラモデル。
メーカー「河合商会」の通称“ウィリアムズFW09“のプラモデルです。
なぜ、“通称“なのか?
長くなるので、ググって下さい😅
諸先輩方々が詳しくご説明されております。
レジンキットに負けず劣らずの、ハードルの高さです。
諸先輩方々皆様、相当戦ってます😅
まぁ、普通に組むだけならなんとなくは直ぐに組み上がりますが。
〈組みつけ状況〉
※めんどくさいので説明無し!(笑
このモデル、なんとモーターライズです、しかも前後ともサスペンションとかリヤにデフがあったりとかして、メーカーとして本気で走らせたい意欲が感じられます。
でも、サスペンションは硬くてガチガチ、フロント側はほぼリジッド。電源スイッチ無し(なんで?)、車高も超ハイリフト状態になって、使えません💦(いじってなんとか使いましたけど)
そんなこんなで、格闘しながら結局3ヶ月ほどかかって完成。ドライバーの制作、塗装にも結構時間がかかりました。
アッパーのカウル部分もそのまま組んでも“ちょっとねー、、、どうしよう?!“状態になりましたが、それなりにしました。
私には重加工のスキルも無いので😅
K.ロズベルグ車(1983年最終戦仕様)
※1982年チャンピオン
※完璧には出来ませんでした(デカールが揃えられなかったり、スキルが未熟で)
※ニコのお父ちゃんです

デカールはFW07を流用+自作です。
元から付属していたものは、実車のものとは違うもので、更に黄化してましたので、そもそも使えませんでした。
これを製作するにあたり、我が人生バイブル「オートスポーツ」をヤフオクでゲットし、勉強。

1984年の2月11日に有った鈴鹿サーキットでのテストの時の取材記事の情報です。
その時の仕様が
↓↓↓コレです

1984年仕様なんで、グランドエフェクト禁止により、リヤウィングも巨大化しており、スポンサーの位置も違います。
私の製作したのは1983年の最終戦仕様です。一応😅。
↓↓↓1983年

まぁまぁの出来かと(自画自賛👏)
で、もう2点ネタを
まず、第一点目
このモデルを作る際にたまたまヤフオクで似た様なモデルが出されてたので参考用にと落としてみました。
※そのモデルが後々に恐ろしいくらいのモデルと気付かされました!
それが、モデルがコレ ↓↓↓

ゲットした時は“ふーん、そうね“そんな感じですよね〜的に横の棚に飾りながら、参考にしながら作っていたのですが、製作を進めるうちにこのモデルのすごいところに気が付き始めました。
大きくは4点
・リヤウィングが1984年仕様
・サイドポンツーンのラジエーター部を正確に再現
・コックピットの横の部品の分割部を全てパテ埋めで消してある
・デカールをほぼ再現(自作)
※ゼッケン5のデカール貼りとドライバー(J.ラフィー選手)追加は私がやりました。実はゼッケンが無かったのも意味がありましたのは後で気がつきました(これが次の二点目に続きます)
と、相当高度な技が織り込まれておりました!
次に第二点目
今から遡る事40年(!)、住んでいた所が鈴鹿サーキットに近かった市だったので、1984年2月11日に、、、

F1ファーストコンタクトで見に行って来ました😅よ。
通学用のケッタマシーン(チャリンコ)を2時間こいて。
初見えのドライバーはJ.ラフィー選手でした。
2回のスタートデモをして、東コースのみ走って、あとはドライバーにインタビューして終わりという、なんともシンプルなもので、時間も短かったですが、記憶に残る貴重なファーストコンタクトでした。初めて見たF1ドライバーにも感動🥹。
ちなみに2回のスタートデモはスタートの合図(シグナルブルー)が2度ともタイミングが全然合わずにフライングして走り去っていきました💦
何故か当時から新聞の切り抜きを残してます

なんかアナログの世界ですね。
新聞の切り抜きって(笑

※朝日新聞より
この記事を改めて読んで、この頃ってF1は年間16戦でした。
今は24戦!!しかもスプリントレースを入れたら、、、

ドライバーもスタッフも大変過ぎます!ほんと。
ではまたです
Posted at 2025/09/14 18:56:29 | |
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