10年前の今日、大阪の教育大付属池田小学校で宅間守による児童無差別殺傷事件が起きました。ほどなく、本人の「希望通り」死刑が執行されましたが、異例の早さの執行でなんとなく関係者でないものでさえ納得できない気持ちが残りました。犠牲になられた幼い命・・・・親となった今では身震いするほど恐ろしい目に合わせた犯人に憎しみが強まるばかりです。どうか天国で幸せに楽しく過ごしてほしいと思います。今なおPTSDなどで苦しんでいる生存者の方々やご家族もいらっしゃることでしょう。その後も、「自分で死ぬのはできないが、死刑になりたかった」とかほざく糞野郎の通り魔殺人などが後を絶ちません。死刑を否定する法務大臣やそれを任命する総理大臣がいるのも信じられません。死刑否定はしませんが、キミキミは死刑は即執行は反対です。反省さえしないでニタニタ笑いながら絞首台に向かう犯人に、簡単に「安楽死」など与える必要ないと思っています。長い年月かけて反省させ、毎朝冷たい廊下に響きわたる看守の靴音が「死刑執行の知らせではないか?」と恐怖感を味わわせて、死ぬのが嫌だと思う時期に命を絶たせるのが最も効果的な死刑なのではないでしょうか。もちろん、死にゆく死刑囚に国民の大事な税金を使って食事を長年与え続けて行くことにも反対ですが、被害者が受けた恐怖以上の恐怖を味わわせないことには意味がないと感じてしまいます。また、永山裁判の判例の適用も疑問です。殺した人数によって無期懲役と死刑に分かれるのもおかしなものです。一人でも殺したら死刑。そう決めておけばいいんです。被害者や遺族のことよりも、犯人の人権を優先する風潮はそれこそ「殺意」すら覚えます。最大の人権侵害である命を奪うことをしておきながら、人権を振りかざして裁判で無罪を訴える・・・・その時点で頭部への発砲許可を得たいものです。そんな犯人を擁護する弁護士や死刑廃止論者も単なる売名行為にしか見えません。自分自身、考え方は偏っていると自覚していますが、何としてでも同じような事件は抑制されなければなりません。10年目の節目をもって改めて、この10年間に何ができたのか、何が問題だったのか、どんな成果があったのか、等いろいろ考えるべきだと思いました。最後になりましたが、亡くなられた児童のみなさんに改めて深い哀悼の意を表したいと思います。天国で健やかにお過ごしください。