国営越後丘陵公園 クラシックカー展 2017.10.1
投稿日 : 2017年10月01日
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昭和42年式のプリンス・スカイライン1500デラックスです!
初代は高級車としてデビューしましたが、2代目のS50型は1900cc以上の上級市場はグロリアに譲り、1500ccクラスの量販車市場を拡充するために、G1型直列4気筒OHV1484ccエンジンを搭載する、小型ファミリーセダンとして開発・投入されたモデルでした。
当時の欧米自動車業界で本格化しつつあったメンテナンスフリー化を積極的に進め、4万kmまたは2年間保障の封印エンジンや、1年間3万km無給油シャシーなどが話題を呼びました。
昭和42年のマイナーチェンジで、G1型に替わり、G15型直列4気筒OHC1483ccエンジン(88ps)を搭載するS57D型が登場し、6万km無給油シャシーとなりました。
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昭和46年式の日産・スカイライン・2000GT(GC10型)です!
ハコスカの愛称で親しまれているC10型スカイラインで、2000GTでは、L20型エンジンにシングルキャブ、4速ミッションが供えられたモデルでした。
サスペンションは、フロントは4気筒同様のマクファーソンストラットであるが、1800ccではリーフリジットですが、リアはセミトレーリングアームとコイルスプリングへ変更され、4輪独立懸架となっています。
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昭和47年式の日産・スカイライン・2000GT-Xです!
通常の2000GTより豪華装備で、エンジンも通常のL20とは違い、SUキャブが2基装着され、ミッションも4速ではなく、5速となっておりました。
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昭和46年式の日産・スカイライン2000GT-R(KPGC10)です!
デビュー当初は4ドアセダンでしたが、運動性能向上の為にホイールベースを70㎜短縮し、リアフェンダーにオーバーフェンダーを装着し、太いタイヤを履けるようにしていました!
おとなしいボディに獰猛なエンジンという意味の「羊の皮を被った狼」のキャッチフレーズが、先代から受け継がれていきました!
当時の販売価格は150万円。通常の2000GTの倍の価格で、S20エンジン単体で2000GT一台分に相当しました!
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昭和48年式の日産・スカイライン・2000GT-R(KPGC110)です!
二代目のGT-Rとして登場したケンメリGT-Rでしたが、エンジンの性能強化はされず、ブレーキの4輪ディスク化、リアサスにスタビライザーが装備され、燃料タンクがハコスカGT-Rの100Lタンクから55Lタンクへとほぼ半減されていました!
このケンメリGT-Rが戦わなければならなかったのが、排気ガス規制という時代の波で、純レーシングエンジンといえたS20型は適合できなかったため、発売からわずか3か月、197台を生産して販売を終了しました。
その後日産は栄光の記号でもある、GT-Rを封印し、再び復活させたのは16年後の平成元年8月21日、R32型で第2世代として復活を遂げることになったのです
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昭和48年式の日産・スカイライン・2000GT-Xです!
広告キャンペーン「ケンとメリーのスカイライン」から、ケンメリの愛称で親しまれ、歴代スカイラインの中で、最も多い販売台数を記録したと言われています!
スカイラインの特徴である「丸目4灯テール」は、ケンメリからのもので、この後の歴代スカイラインもこれを受け継いでいきました。
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昭和55年式の日産・スカイライン・2000GT-ESターボ(GC210)です。
「日本の風土が生んだ名車」であると名乗った広告キャンペーンのキャッチコピー「SKYLINE JAPAN」から、ジャパンの愛称で親しまれ、歴代初のターボエンジン「L20ターボ」が搭載されたモデルでした!
排気ガス規制の波に飲み込まれ、当時のライバル、トヨタ・セリカに「名ばかりのGT達は道をあける」と揶揄されたこともありましたが、歴代で唯一DOHCエンジンが搭載されなかったモデルでもありました!
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昭和55年式の日産・スカイライン 2000GT-EXターボです!
石原裕次郎、渡哲也主演のポリスアクション「西部警察」では、初めて特殊車両「マシンX」として登場しました。
「セドリック/グロリア」、「ブルーバード」に次ぐ日産において3車種目のターボ車であり、日産初のターボとATを組合わせた車種でもありました。
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